odd_hatchの読書ノート

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福永武彦「死の島 上」(新潮文庫)-2 「芸術は人生が生きるに値するものでなければならない」というができたものはそれを裏切る

2022/10/28 福永武彦「死の島 上」(新潮文庫)-1 1971年の続き

    


 相馬鼎が目指す小説はどういうものか、少し聞いてみよう。

人生をつくり変えるというより、その人生を生きている人間の精神をつくり変えることの出来るようなもの。それも作者だけの問題じゃなくて、読者の精神にまで関って来るような小説です(略)だから僕の考えによると、これからの小説では読者が小説の世界の中に本気で参加するようにしむけること、つまり読者の想像力が作者によって刺戟され、彼等自身の力で、というより作者と読者との共同作業で、小説が読まれるようにすること、それが作者の任務だと思うんです。その時初めて、読者の精神をつくり変えるという仕事が作者にとって可能になる。」(P38)
「芸術は、人生が生きるに値するように、それ自身の存在に値するものでなければならないんです……(P91)」

 心意気やよし、といいたいところだが、内実は乏しい。すなわち「読者が小説の世界の中に本気で参加するようにしむけること」に対する方法が乏しいから。大江健三郎のようなグロテスクイメージとか異化とか周縁とかを持ち出せばよかったのに。作者が想定しているのは文体の実験や多視点などかしら。三人称無視点、三人称一視点、一人称の独白、カタカナの意識の流れ、それらの文体が多様に使われる。でもどれも東京山の手の標準語で、小難しい観念語や翻訳文体を使ったインテリの文章。多様な声が聞かれるのではなく、ひとりの語り手の声色を聞いているよう。
 全体のストーリーは探偵小説的構成をもっているとはいえ、起きて出社して外出して長距離電車にのるという単調なもの。とくに冒険もないし、意外な人物の邂逅もない、これらは1950-60年代のとくにフランスの作家による実験に影響されたのだろう。もはやプルーストトルストイのように全体を書く意欲もないので、このように構成に凝ることになる。

シベリウスの場合に、一つの断片から次の断片へと続く時に、必ずしも同じテーマが演奏楽器の種類を変えただけで持続しているわけじゃない。まるで違ったものがはいって来て、断片が幾つも過ぎて行くうちに前に聞き覚えていた主題が、形を変えてまた現れて来るということがある。そういう面白味は小説の場合でも出せはしないかと思う(P451)」

 作者はクラシック音楽の構成を小説に生かそうとする試みをやっている。中編の「告別」がマーラーの「大地の歌」終楽章から主題と構成をもってきているように。シベリウス(1865-1957。本書では90歳越で存命中とされている)の「トゥオネラの白鳥」「レミンカイネンの帰郷」から主題を、交響曲第7番から構成を持ってこようとする。前者はフィンランドの民族性が強くて日本にはあわないし、後者の断片を積み重ねる方法は読みなれた読者でないと理解するのは難しそう。どちらもハイブローすぎるなあ。
 この小説形式で読者との共同作業ができるのは、「未来都市@「廃市・飛ぶ男」(新潮文庫)だけではないかしらん。

 


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2022/10/26 福永武彦「死の島 下」(新潮文庫) 1971年