今まで日本軍、とくに15年戦争時代の日本軍、には紋切り型の説明がなされてきた。曰く精神主義、曰く非合理、曰く戦略・戦術なしなど。20世紀の軍批判はその線にそって行われてきたが、それは正しいのか、という問い。21世紀には、日本軍が残した資料をつかって、兵隊の実態を明らかにするものがでてくる。
本書の特徴的なのは、米軍が軍内部で出していた広報誌『Intelligence Bulletin(『情報広報』)の記事を参照する。日本軍の敵である米軍がどのように日本軍をみていたのか。あのプラグマティックな国では、日米開戦が迫ると学者に日本研究を行わせたものだが、おなじことが軍隊で行われていた。外からみることで、当事者である日本人には刺激的であるはず(翻ると、日本の兵や将校の記録を見ると、その種の敵国分析が配布され共有されていたというのを聞いたことがない。せいぜい日露戦争のバルチック艦隊の見分け方を訓練していたくらいか。)
第一章 「日本兵」とは何だろうか ・・・ 米軍が日本兵分析を行ったのは、日本兵と中国兵の区別がアメリカ人には困難だったから。敵と味方の識別が難しいので、アメリカにとって「太平洋戦争」は人種戦争になりえない。また戦争前には「日本兵超人伝説(黄禍論の変形)」があって、アメリカ兵は恐怖心を持っていた。それを覆すために、分析と弱点指摘が必要だった。それによると、日本兵は集団戦は得意だが個人技と体格に劣り、負けになるとパニックを起こし、命令には忠実だが、将校(指揮者)がいなくなると死を恐れる、など。今の日本人論にでてくるような指摘が1940年代にでてくる。
(「日本兵超人伝説」はWW2でアメリカからは払底したと思うが(かわりに人種的偏見を助長した)、日本では生き残っていて、主に伝統保守・愛国主義の側に残っていそう。兵士になって強くなることなどなく、そこらのしょぼい兄さん、おっさんが類になって、いつもの行動様式で兵隊行動をするから当然だ。)
第二章 日本兵の精神 ・・・ 日本軍の士気について。軍・国家・公への忠義ではなく仲間内の私情(メンツや恥)で結合し、親分子分的関係にあるので他の集団には冷淡。敗色濃厚になると軍紀は緩むが、その理由は装備や援護の不足、食糧の不足、医療体制なし、性病他の疾病治療体制なし、重罰と日常的な暴力など。一般的に、日本兵は敵を本気で激しく憎むことはなく、ときに親米(文化)であったので、戦争の意義を認めていないものが多かった。捕虜になることへの恐怖や危機感は1942-43年ころからの軍のキャンペーンで強くなる。また、兵隊の給料は安くインフレが進行していて送金もできなかったので、残された家族は故郷の周囲の人々の支援を期待していた。脱走や捕虜になるのを避けたのは、故郷の支援がなくなることを恐れたため(家との関係を断つ決断をしないといけなかった)。
(重要な指摘は、日本人や軍は死者には丁重であるが、傷病兵などには冷淡で、しばしば暴力的であったこと。それは軍内部の暴力から、医療や食料支援までにみられ、生きているものを生かそうとする努力をしてこなかった。その理由も「金がないから」。)
(親分子分的関係で結合されていて、親分の指示がなくても意向を忖度して先回りし、関係の外にいるものには冷淡で、死者には丁重というのは、いろいろなところでみる。ことに21世紀10年代の自民党政権下で。)
(米軍による日本兵捕虜聞き取りによると、靖国神社を信仰する者はあまりいないとのこと。ことに都会の出身者。また米軍からみると、日本の軍隊は例を見ないほど非宗教的。宗教行事を行わないとか、聖職者が兵士や将校のカウンセリングしたり戦争の大義を説教しないとか。これは日本人が合理的とみるより、宗教の戒律や規律が機能しないから、軍隊内や戦場で暴力や略奪に歯止めがかからなくなくなる理由になるだろう。)
2022/12/09 一ノ瀬俊也「日本軍と日本兵」(講談社現代新書)-2 2014年に続く