odd_hatchの読書ノート

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江口圭一「十五年戦争の開幕 昭和の歴史4」(小学館文庫)-2 農村問題と不況に手をつけず「自己責任」のように放置している議会と政党に国民は愛想をつかし、軍の横暴に目をつぶり支持する。

2023/01/13 江口圭一「十五年戦争の開幕 昭和の歴史4」(小学館文庫)-1 1988年の続き

 

 加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)-3を意識して読む。軍は政治的に先走っていく。戦略的な動きをするが、軍の思惑とは別に世界の列強は日本の動きを侵略とみなした。そのために孤立を深めていく。本書の時代はまだ虚勢をはっていられた。
 軍の横暴は目に余るものであったが、それでも日本人が支持したのは議会と政党が農村問題に手をつけず「自己責任」のように放置しているのに愛想をつかしたのだろう。それに比べれば、貧困に手をつけるとマニフェストに書いた軍の国家改造運動や国体明徴運動のほうが良いと思えたのだった。

42対1 ・・・ 柳条湖事件満州国樹立は国際連盟の審議事項となり、リットン調査団が派遣された。結果は日本の侵略であるとされた。タイトルの評決で日本への制裁が決議され、日本は1932年に国際連盟を脱退した。日本の国民は脱退を支持した。日本は世界から孤立する。満州国樹立後も日本はレジスタンスや国民軍などの掃討を続け、戦争が継続される。現地民へのジェノサイドが起こり、差別政策が進む。ソ連は不干渉であり、のちに日ソ不可侵条約を結ぶに至る。
(この時期は世界不況の最中。そこに膨大な戦費と人員を投入する国家プロジェクトがあり、国内投資に向かわないので、日本の経済回復は遅れた。)

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1935、6年の危機 ・・・ 同時期の国内情勢。1935年に国際連盟を正式脱退し1936年に軍縮条約が無効になることから「危機」になると軍部が騒いだのがタイトルの由来。軍部が承認しないと組閣できず、軍事費大幅増が議会で承認される。民間では急進的国家改造運動があり(たいてい「革新」を名乗る)、農村問題に無関心が議会と政党の支持が失われ、軍部の政治運動が支持される。国内で軍事的デモンストレーションが行われ、司法は右翼やクーデター首謀者に甘い。共産党員や労働組合員を弾圧して組織を壊滅させたあとは、リベラルに矛先を向ける。思想弾圧が相次いで行われ、表現に軍隊や警察が介入してくる。
(この流れはナチスファシスト党スターリン下の共産党などが国家を全体主義化した手口と同じ。互いに真似しあいながらブラッシュアップしていったのだろう。)

文明の光と影 ・・・ 日本の生活の変化。都市化、洋風化、大衆娯楽の普及など。新興宗教の乱立(多くは皇国イデオロギーの補強)と自殺者急増。国内インフラの整備。在日朝鮮人や女性などを安い労働力として使う。国民を組織化し全体主義運動に参加させる。
(都市化、洋風化が進むのは日本の伝統や共同体を破壊していくことだ。都市に出た人々は孤立化アトム化する。それを国家から押し付けた運動に参加することで国家への帰属意識を植え付ける。ここも上記ドイツやソ連で見られた全体主義運動との共通性を見出せる。)

国体明徴 ・・・ 貴族院議員美濃部達吉の学説に右翼と軍部が文句をつけて罷免させた。軍による表現の自由の侵犯というとらえ方より、右翼などの国民運動があって反対や抗議ができなかったことが問題。陸軍では皇道派と統制派の派閥抗争。皇道派は分が悪く、負けが込む。

華北分離 ・・・ 満州国の建国式典を行ったが承認する国はなく、世界的には侵略とみなされていた。軍と警察の強圧により治安はかえって悪化する。

反乱と粛軍 ・・・ 1936年226事件。詳細は省略。クーデター派を粛正し、軍が一枚岩になる。大軍拡を開始。ベルリンオリンピックにあわせて日独防共協定を締結。

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満州事変と現代―おわりに ・・・ この時代の問題は、マスコミが真実を報道しない、教育が軍国主義的、国民が排外主義に染まる、であるとする。

 

 以上をこの時代特有の問題とするのは矮小化になる。むしろ明治政府の尊王攘夷思想による政策が完全に浸透した結果であるとみる。上のサマリーにも点描したように、政府と軍部の動きは全体主義運動であった。
 ナチススターリン下のソ連では組織が扇動した大衆運動が起きて、リベラルや宗教者の抵抗や抗議を潰していった。日本はそのような運動を領導した組織はなかったので、西洋型の全体主義運動とは区別されてきた。しかし、本書の記述を見ると、民間から「自発的」に右翼や大衆運動が組織され、排外扇動や戦争拡大扇動の運動が日常的にあった。そうなる素地は長年の政策によってレイシズムと排外主義を浸透させたことにある。1930年代の日本の全体主義運動は、1923年の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺の延長にあり、同時期に大陸や半島など植民地や占領地で起こしてきた民族浄化ヘイトクライムとつながっていた。
 WW2の敗戦では、軍部の独走に国民が巻き込まれたと説明されることが多いが、それは誤り。国民の全体主義運動は戦争の拡大を大いに進めた。