odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)-3 昭和の戦争。列強は植民地支配を不効率なので止めようとするが、日本だけは安全保障戦略に固執して直接統治の植民地を持とうとする。

2023/01/27 加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)-1 2009年
2023/01/26 加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)-2 2009年の続き

 

 20世紀前半の朝鮮と満蒙をめぐる国際関係が奇々怪々なのは、同盟と敵の関係が時々入れ替わることだろう。日露戦争で敵対した日本とロシアはその後秘密協定を結び、満州内蒙古を南北に分けることにした。イギリスが日本との同盟を解消する。そしてロシアで革命が起きて帝国はなくなる。清は辛亥革命でなくなり(英米は未介入方針)、新政府ができたが首班がすぐに倒れたために、権力を継承できない。地方閥が生まれ群雄割拠のようになり内戦が始まる。中国共産党が結党され、抗日運動がさかんになる。反共を国の方針とした日本は国家防衛と安全保障対策を練り直すことになる。
(20世紀になると、列強は植民地支配をすることをやめる。すでに世界が分割されていたのであるし、植民地経営は効率がよいものではないのがわかっていた(軍隊派遣が高コスト、治安維持に苦慮)。そのために既存政権に取り入ったり、傀儡政権を作ったりして、貿易を独占することを目指していた。しかし日本(とナチスドイツ)だけは安全保障戦略固執して直接統治の植民地を持とうとする。そこで国際と日本の考えがずれていた。)

  

4章 満州事変と日中戦争―日本切腹、中国介錯論 ・・・ 日本は満蒙の特殊権益を主張したが、承認する国はない。中国の反発もあったので、満州軍が独断専行で「事変」を起こす。リットン調査団がはいるが、日本に有利な内容の報告書を出した(世界不況にあったので英米ソ連は余裕がない)。軍の独断専行を政府は止められない(警察と軍は何をしでかすかわからないという恐怖感)。日本は戦争の正当性を主張できないところに、天皇が裁断を下した熱河省への軍隊派遣を実施する。これは国際連盟規約違反であり、進行中の調停が反古となり、日本は連盟を脱退する。
(1930年代になって昭和天皇が歴史に登場する。30代の青年が国家の最終決定者となり、自分の判断に苦慮するようになる。天皇や時の首相は熱河省への軍隊派遣命令を撤回しようとするが、侍従ほかによって止められる。天皇の権威が落ちること、陸軍が反抗することへの恐れから。天皇は政治と軍事に深く関与していた。統帥権天皇をも自縄自縛にした。)
 1930年代。不況と凶作は農民を苦しめたが、政党は農民の要求を聞かない。陸軍は農民を救えという政策スローガンをだし(兵士の供給源が農民)、共感を得た。ソ連の極東軍事力が増大し(所有飛行機数が日本の数倍)、対抗のために満州に増兵。しかしこれによって日中貿易が激減(中国は満州の資源を加工して日本に輸出していたが、満州の資源が入らなくなった)。極東でのソ連アメリカの軍拡が日本を凌駕しないうちに、中国全土を侵略することをもくろむようになる。
(弱い中国はすぐに攻略できると日本は見込んだが、中国の指導者には長期戦、それも敗北続きの、を覚悟するものがいた。電撃戦で都市と占領すれば戦闘は終わると考える日本軍(実際、日露戦争後日本軍は短期の戦闘しかしていない)のうえをいっていたわけだ。そういう発想が共産党以外にもあった。)
毛沢東「遊撃戦論」(中公文庫)、ヴォー・グエン・ザップ「人民の戦争・人民の軍隊」(中公文庫)

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2018/04/10 アグネス・スメドレー「偉大なる道 上」(岩波文庫) 1953年
2018/04/12 アグネス・スメドレー「偉大なる道 下」(岩波文庫) 1953年
2018/04/06 エドガー・スノー「中国の赤い星 上」(ちくま学芸文庫) 1937年
2018/04/09 エドガー・スノー「中国の赤い星 下」(ちくま学芸文庫) 1937年
2023/01/10 莫言「赤い高粱」(岩波現代文庫)-1 1987年
2023/01/09 莫言「赤い高粱」(岩波現代文庫)-2 1987年

 

5章 太平洋戦争―戦死者の死に場所を教えられなかった国 ・・・ 太平洋戦争を開始するきっかけは、中国に対する支援がソ連アメリカから行くようになったこと(それまではドイツが支援。ドイツが反共の戦争を開始するにあたり独ソの協調関係を破棄した。そこで中国の国民党も共産党ソ連に接近)。米ソの支援を遮断するために援蒋ルートである仏印を押さえることにした。また枢軸国と連合国と米ソの戦力比較をして、相対的優位にあると1940-41年に判断した。1937年の日中戦争以後戦費の大部分を対米対ソに充てていて、軍事力の余裕があると判断した。
(日本の政治家も軍部も情報収集に熱心で、内外の情勢に通じていたが、総力戦を戦う国ではないことまでに考えが至らず、「合理的な判断」をして戦争を起こした。長期的な計画を立てても、その瞬間の情勢に敏感に反応して、計画を覆し機会を得ようとする。やらない道を検討せずに、やる場合の方法に考えを集中する。これは日本人の考えの悪いくせ。俺にもあるわ。)
 日本の戦死者1944年以降に急増。全体の8-9割を占める。大半は餓死。軍部は誰がどこでどのように新だかを教えられなかった。日本人には独身男性が異郷で非業の死を遂げると故郷にたたると信じている。そのために非業の死で残された遺族は被害を受けたと感じている。また最大で800万人以上の人が列島・本土外の植民地や占領地にいた。そこで日本軍および占領軍によって酷い目にあわされた。ことに満州での経験をしたものは200万人以上になり、反ソ・反ロシアの感情が増幅された。日本人と日本軍は兵士を大事にせず、食糧の生産や流通に関心を持たなかった。そのために捕虜の死亡率が異様に高く、食糧生産が44-45年に著しく落ち、敗戦後の食糧難になった。
満州開拓団の話題が出てくる。満州の防衛のために民間人を入植させようとした。おりしも世界不況で絹や綿の輸出が落ちていた。事業転換のできない貧村・寒村では保証金を政府が支援することで、村ごと移住する例があった。敗戦によって資産を失い、引き上げで大変な目に合う。その際に、村のリーダーには移住政策に乗らないように運動したり、行ったにしても現地の人と友好関係を結んで無事に引き上げできた人がいる。国や軍の命令に従って他人を差別的に扱うのではなく、対等な友好関係を結び協力しあうことが生きる上では大事。)

2022/12/08 佐藤卓己「八月十五日の神話」(ちくま新書) 2005年
2021/01/28 佐藤卓己/孫安石 「東アジアの終戦記念日―敗北と勝利のあいだ」(ちくま新書) 

 

 このように戦争する日本を政治家と軍部の動きとしてみて、そこに国際関係を加えることによって、日本の戦争の見え方が変わる。狂気に陥って支離滅裂な行動の末に奈落に飛び込んだのではない。当初から、日本のエリート(ベスト&ブライテスト)が合理的に考え、功利主義に基づく判断をしていったすえに、日本と周辺諸国を破滅においやった。
 ここから教訓をえるとすると、
・皇国イデオロギーレイシズムは人々を破壊し、国家を危うくする
・日本は戦争ができない国
の二点。島国にあり、他国や他民族との交流がやりにくい土地なので、他人との接し方がとても下手。自尊心と猜疑心が強く、刺激に敏感で暴力的な反応をする。短期間の戦闘は得意だが、長期の戦争や外交は苦手。そういう政治と社会を作っているので、意識的にならないと、この教訓を実行するのは難しい。これまで反戦戦争放棄イデオロギーやWW2の敗戦経験で語られることが多かったが、本書のように政治学や軍事の面で不可能であると言うことを増やしたほうがよい。
<参考>

加藤陽子の主張は、戦争になったら死人一杯出るよ。日露戦争時に戦死凄くて社会退廃したよね?その尖兵たる軍部をまた支持するのはナゼ?陸軍によってもたらされた今の生活の豊かさ(現状維持)を選択しちゃったねだから(大意)。
https://twitter.com/tcv2catnap/status/1485466385145012224


 以下の指摘は重要。

「歴史とは、内気で控えめでちょうどよい。(略)」「(『大嘘』『二度と謝らないための』などの)刺激的な惹句のものを(略)読み一時的に留飲を下げても、結局のところ『あの戦争はなんだったのか』式の本に手を伸ばし続ける(略)なぜそうなるかといえば、ひとつにはそのような本では戦争の実態を抉る『問い』が適切に設定いないからであり、二つには、そのような本では史料とその史料が含む潜在的な情報すべてに対する公平な解釈がなされていないからです。これでは、過去の戦争を理解しえたという本当の充足感やカタルシスが結局のところ得られないので、同じような本を何度も何度も読むことになるのです。(P477-478)」

 歴史捏造本や嫌韓反中を煽るヘイト本が「刺激的な惹句」のものにあたる。それがダメな理由がここにあった。なるほど、これらの「刺激的な惹句」の本を読む人の本棚は似たような内容の本がいくつも並べられている。彼らが同じような本を読むからヘイト本のビジネスが成り立ってしまうことになる。
 多くの人がE・H・カーの「歴史とは何か」(岩波新書)の

「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」

引用するが(著者はこの本をペシミズムの本だという)、これをどのように実践するかまではいわない。実践している稀有な本が本書だ。もちろん、本書は政治から歴史を見るようにしているので、庶民大衆がどうみていたのか、インテリが戦争にどうかかわったかなどは触れていないので、別書で補完しないといけない。
(とはいえ昭和の時代にかかれた20世紀の歴史は書いている当人の経験と反省が濃厚に反映しているので、ときに距離を置いて読むことが必要だろう。本書などを見ると、多くの日本人は戦争を期待していたのであるが、古い昭和史の本では無垢な庶民大衆が軍とメディアのプロパガンダで戦争にいやおうなしに巻き込まれたことになってしまう、など。)

 

  

 

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