odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

岡倉覚三「茶の本」(岩波文庫) 茶道(や日本の精神)を説明するのに欧米の思想やことばを使わなければならないのが物悲しい。

 著者が1906年に英語で書いた。没後の1929年に村岡博が翻訳して岩波文庫に入り今に至る。勝手に背景を考えれば、日露戦争の「勝利」によって欧米で日本への注目が集まった。軍事的には注目されるが、経済と文化ではほぼ存在感のない国の文化を紹介する目的があったとみえる。またこのころは黄禍論の時代でもあってアジア人蔑視と差別が強まっていた(ガンジーの体験が参考になる)。貿易の不平等条約も維持されているとなると、欧米に向かって日本を誇示しようとする思いは強くなるのであろう。したがって、本書の想定読者は欧米のインテリやエスタブリッシュメントであることに留意しておこう。
 そうすると、本書の構成はどうしても欧米の思想を意識しなければならない。日本国内向けであれば冒頭にはまず書かれることのない定義が示されるのである。

「茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。」

 これが百年余を経て物悲しく思うのは、茶道(や日本の精神)を説明するのに欧米の思想やことばを使わなければならないところだ。20世紀冒頭のWW1より前の欧米の階級社会にむけて説明するために、当時欧米では凋落しつつあった「ロマン主義」を使わねばならない。そのうえ、茶の美しさを説明するにあたっては 

象牙色の磁器にもられた液体琥珀の中に、その道の心得ある人は、孔子の心よき沈黙、老子の奇警、釈迦牟尼の天上の香にさえ触れることができる。」

とすでに欧米では知らられるところ大の孔子老子、釈迦の名を借りなければならない。しかも茶は唐から宋の間に成立したが、元や清の牧草地帯の民族の支配によって大陸の伝統は失われたが、列島にはそのような文明の転換がなかったので、日本に保存継承されていることを誇るという、ナショナリズムを強調するにはいささか弱いことをいわなければならないのである。そうなると、帝国主義列強によるグローバリズムと植民地拡大の政策が非西洋諸地域を蹂躙している現状に対して、

「われわれは侵略に対しては弱い調和を創造した。」

と日本の軍事や政策が侵略意図を持たないことを強調せざるを得ない。それは西洋には直接侵略しないことを言ってはいるものの、非西洋諸国、とくに東アジアに侵略することを容認しろとの意思が含まれているのだ。このあたりが岡倉の政治的な主張とみた。
 以降、茶道の文化を縷々説明する。千利休がどうの小堀遠州がこうのというのはおいておくことにし、茶室の構造やらお点前の精神的な説明やらもスルーしよう。注目するのは、日本の茶道(に限らず他の道も)が西洋の堕落(富と権力、利己、俗悪など)を払拭する徳であるというところ。その根拠は茶(に限らず道全般)が禅と道教の教えを受けついでいるから。禅と道教の特質は正邪善悪を相対的であるとみなしている。それが世の推移と応じて変化しながら伝統を継承したのだという。禅も道教も中国由来であり、茶とともに日本に残されているという主張はナショナリズムを誇示するには弱い。それに加えて日本は昔からポストモダンの価値相対主義だったのか。「どっちもどっち」論が根深く、世の無常を見据えてしまって現状を改変する力に乏しいのもそのせいか。しかも正邪善悪を相対的であるとみなすから、自分や他人の伝統や文化も相対的に価値がないものとして、貶したり破壊したりするのに躊躇しない。その具体例は明治政府が樹立してすぐに命じた廃仏毀釈であって、古い寺社が周囲の自然もろとも破壊された(その目的は寺社を集会に使う地元の共同体の破壊であり、反政府活動の弾圧である)。小さな事例は本書にもあるが、相対主義による伝統や文化破壊には触れられない。
 道教や禅を持ち出すのは、西洋の規範である真・善・美を茶道においてどう表れるかをみようとするからなのだが、上にみるように真と善は相対主義。最後の美に日本的な特質があると、さまざまな事例や故事を持ち出す。しかし畢竟、本書の美は上流階級・支配階級(閑で退屈で仕方がない人たち)が余暇に見出すもの。庶民がどう感じているかは蚊帳の外。それに茶道に必要な茶の生産、茶道具の制作にはみむきもしない。生産者は目にはいらないし、道具はもっぱら鑑賞において意味があるので職人の腕には関心を持たない。そういう偏狭さが目に付く。(そのうえ、西洋のコーヒーや紅茶を単純なもの、深みのないものとして退ける。このあたりの書き方は、日本スゴイ本と変わりはない。西洋と日本の架け橋になるというよりは、日本のことを「理解」しろという傲慢なものだ。さらに加えると、21世紀の日本スゴイの言説は明治後期のこの本より知的な質が落ちている。)
 日本人である俺がこれを読んで何かを啓発されたかというとそういうことはなく、1890年以降の帝国主義イデオロギー1906年の初出時には定着していたことに目を向けるくらい。この国は認識論や存在論などの哲学を受容することはできても、政治哲学を作ることはできなかった。すでにある帝国主義イデオロギーに反対したり付け足したりする行為が許されなかったからだろうし、自由民権運動が叩き潰され、労働運動・社会運動が潰されている状況で、インテリは現状肯定・政権追随をするしかなかったのだろう。政治哲学と運動の貧しさは今でも続いている。
 で、岡倉覚三都はどういう人でどういう思想の持ち主であるのか。まったく興味をひかれなかった。これなら田中正造ガンジーを読んだほうがよい。

 

  

 

 青空文庫にもある。

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