odd_hatchの読書ノート

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野口米次郎定本詩集第3巻 印度詩集 04



雨のラクノウ

秋雨が降る、
歌の遺産を心の酒杯にそそぐ、
妖魔は器用で愛すべし、お前は糸を紡いで、
銀針金の小さな籠を編む。
猿はお尻と額を赤く塗る、
樹下の聖者を気取るぶら提灯、
或は枝から枝へと橋をかける虹。
花は恋の格子戸により添って、
恥ずかしそうに唇染めて物思う。
(私の自動車は忍び足で滑べる、
王様のお庭へ闖入する違犯者。
「この街を庭園都市とはよく云った」と私は呟く。)
樹木は一つに押合いへし合い、
深緑色を滴らし、染物屋の羨む所、
漫々たる海を地上に漂わせる。
白づくめに身を隠す回教徒の貴婦人、
流し目を私に送るモスク・・・頽廃的ならざるに非らず、
その繊細美たるや、
誘惑に近い。



本詩のラクノウは自然美に恵まれた印度の都会、筆者は一一月末に訪れたが気候が薄ら寒く日本晩秋の感じであった、モスクワは回教寺院のこと。七つ八つあって中にイマンバラと称する恐ろしく大きいのもある。この大礼拝堂の中央が円天井になって、その周囲に婦人席が作ってある。絶対的に人に見られることを拒んだ回教婦人の座る場所だから天井に近い位置に置いたのであろう。私をラクノウ見物に引張り回したラクノウ大学の教授は、私共がある宏大な建物の立っている場所へ来た時、この中に立派なヘーレムがあるといった、そしてこう続けた、「代々回教の王様が沢山の妾を囲ってこのヘーレムに置いたのです。部屋に同じ窓がずらりと並んで付いているが、この窓二つで一婦に対する一区画になっている。」

光の伽藍

自然の荒々しい手の平にのった真珠だ、
紫色の紗につつまれた宝石だ、
私は目をこすった、私は二度眼をこすった・・・この真実を疑ったからである。
眼前の光景は、すべて倦怠の恍惚に溶け込んでいる。
思慕の存在となって、人に記憶へと遡らせる。
私は戦勝記念塔に立って、一面に広がる幻の海を越え、はるかに聳える城郭を眺めている。
私は目をこすった、私は二度眼をこすった・・・この真実を疑ったからである。。
幻の海に光っている無数の燈火は、恰も昔王様に額づいた武士の如しだ。
光の伽藍はその敬意をよみしている。

 


本詩はニュウ・デリーに於ける印度総督府廳の夜景をうたった作。私は「印度は語る」と題する書中、ニュウ・デリーの項目にこう書いている、「遥かに総督府廳を望んで夕日のなかに悠然たる姿を見せる戦勝記念塔の前に立った時、印度特有の夕映が空を広く色取って、自分の顔さえ光るかと感じた。府廳の前に幾万坪と言う広場があって、それに円を描いた自動車道が堂々と流れている。それに照らされた電燈は遥かな総督府廳の建物にかがやく電燈と相応じて、離れてそれを眺めると、これ地上の光景にあらじの感が深かった。」この文に照らし合わせて本誌「光の伽藍」を読んでください。

拝火宗

光が生命の壁龕に燈える、
高野山の蝋燭が墓場の彼方に燃えて、
夜杉の木に呻く孤を道しるべするように。
私の魂は争いに悶える時代に吠える、
(不釣合の存在に相違ない、)
そして光をめぐる神秘へ自らを投げつける。
ああ、生命の壁龕に燃える光よ、
あなたは燃える、だが動かない静止する。
ああ、青白く気高い光よ、
あなたは私を孤独と祈祷に導く、
光は微笑み、私に話しかける、
私の魂は生命の奥まった聖殿に座る。
ああ、聖き光よ、私を迎え給え、
紅葉の表徴よ、私は膝まづきあなたを恐れ敬う。
ただ私が死んだ場合、私を谷か森へ捨てて、
そして鷹か雀に食わせ給え、
私はあなたの助力なしに、原素に帰へらねばならない。
ああ、光よ火よ、あなたは神聖過ぎて不潔な死骸に触れない。
人間は血に汚れ罪に腐る、
あなたはあまりに高貴過ぎて私どもの低い場所へ腰を屈しない。



本詩はポンペイに於いての作。ポンペイの紀元は十世紀前に遡る。今日のイラン即ちペルシャの住民パーシー族が回教徒の迫害を受け追われて印度へ渡り、西部各地を放浪した所グヂャラットの王様の庇護を得始めて安住の地を見出したのが、今日のポンペイである。彼等の宗教的特徴は世に拝火教と呼ばれる信仰であって、常に祭壇の日を絶やすことなく、白檀をふんだんに焚くことである。彼等は火の乱用を恐ろしく嫌って、煙草を消して吹かさないほど宗教の掟に忠実である。彼等は火を通して全知全能の神に合一することが拝火教の義である。それで死骸を始末するに当っても火葬にせず、沈黙の塔と云われる特定の場所へ持って行って禿鷹に喰せることにしている。本詩「拝火宗」は彼らの宗義を歌って光否な火を礼賛したものである。
沈黙の塔はマラバル・ヒルと言うポンペイ随一の住宅区内にあって、バック・ベイの清水を見下す場所に作られている。塔といっても巨大な臼のような円筒形で、五つあるが一番大きなのは周囲二百七十六尺、壁が三十五尺の高さ、入り口は五尺半角の穴で地上を八尺離れている。塔の中に三通りの段がぐるりと出来ていて、外側に近いのが男、次が女、中央の井戸に接した段が子供といった工合に死骸を載せることになり、死骸は塔の壁に並んでそれを持って待っている禿鷹が飛び降りて来て始末する。沈黙の塔と言う名前だけを聞くと、人は定めて寂寞な所だろうと想像するかも知れないが、実際は綺麗な樹木や花で飾られた小公園である。中に立派な礼拝所があって、白檀の香気が常に絶え間なく漲り、白衣の僧侶が聖典を読んでいる。そして私が詩に書いたような聖火が永へに燃えている。

 

印度の修業者は語る

「世間は学問をものを知る道だとしているが、私どもから見ると、ものを知れなくするに過ぎない。人間の可能性を不自然にし台無しにして仕舞う。」
「あなたは結論を示して、どうして結論に達する日の道程をお話にならない。」
「無線電信にしろ、人がその原理を知っても、適当な器具なければ役立たない。器具を持たない人間に、原理を解いたところで無用の沙汰だ。」
修業者は微笑を洩らした、彼は長い睫毛を下へ落とした、睫毛の影が黒光りする顔の皮膚に映る。
「人間は四角の紙をもう一つ上に置く、三角の板をもう一枚重ねることを知っている。だが立体型を立体型の上に重ねる、ピラミッドをもう一つ上に置くことを知らない。私共はそれが立派にできる。私どもはその完全を期することが出来る。」
「学者の研究は、第四次元が存在することになると、到底人間が住めないことを教えるそうではありませんか。」
「でも私どもは現に存在しているではないか。」
修業者は更に言葉を続けた、
「人間の知識が完全だというのでない。私共は知識の連続的に起る日々の事件のためその進路を邪魔される。私共はまだそれを避ける方法を知らない。人間すべての心が一つに流れ、交通も秘密も要しない日に到達するには、前途なお遼遠なるものがある。私共の希望する唯一無二の世界を作るには、人格と言う妨害物を捨てるのが先決問題だ。」

生ける屍

人印度の荒野を彷徨うと想像せよ、
彼の心寂し、歌の声暁の闇を横切り来る・・・
歌は去りし友達を悲しむが如く、
小供帰らざるを嘆く母の慟哭、
恋裏切られたるを難じる愛人の悲鳴、
女神カリーの切なる抗議、
痛み深く柔らかいクリシュナの声。
我憂愁を湛えてプラットフォームを歩く、
蟋蟀の声のみ我が歩みに答える。
我が心遠く故国に馳せて震える。
裸体の苦力プラットフォームに長ながと横たわる、
ああ、戦に敗れたる負傷兵の群よ、
生ける屍よ、卿等頭を分けて我を通らしめよ。
停車場の火幽か彼方に燃える・・・
友よ燈火よ、お前は力弱くただ喘げど、
我を迎うに春の挨拶を以てせよ。



私がポンペイの東方百六十二哩のマンマッドに着いたのは麻四時近くであった。私はここでナイザム王国の私鉄に乗りがえてエロラやアジヤング見物に向うのであった。本詩は私がマンマッド停車場のプラットフォームで経験した光景を題材にしたもの。寂しい田舎の停車場で薄暗いプラットフォームに、幾十人となく苦力がごろごろと寝ているのを見た時の感じ、決して喜ばしいものでなかった。あるものは物凄くも見える黒檀磨きの顔を汚れた毛布からさらけ出し、あるものは煮しめたような黒い一枚の木綿にくるまって打遣られた荷物の如くに見えた。私は印度到着以来しばしば人から、印度の貧乏人は道路を家とすることを聞かされたが、今目のあたりにこの光景を見て、人間の生活もこの程度にまで下げると、他の国で論じられる生活難などは馬鹿げた沙汰であると感じられた。知識を漁ったり名誉に憧れたりする人間社会以外に、印度にはもう一つ違った社会があると思った。かく地べたにごろごろ寝ている印度人を眺めて、彼等に国家の独立などを説いた所で無役だと思わざるを得なかった。

田園風景

牡牛の荷車が後ごとりごとりと廻る、
ターバンの御者は鞭を手にした釈迦、
車の上で胡座をかく。
時にはトンガが軽快に踊りながら走る、
馬につけた鈴は道のバンヤンを覆う厳粛を破ってゆく。
牧童は原へ羊を追い込む、
原は槍型のリボンをつけた仙人掌で縁を取る。
樹下に座る人間は、行者か乞食かはたまた愚物か、
額に白墨で幾筋も横線を引いている。
女は半ば裸体、黄や赤の腰巻一つ、
頭に真鍮の壺を載せて、
腰を振りふり軽るやかに通る。
腕や足の踵に付けた銀の輪が、
ちゃりんちゃりんと鳴る。



トンガは小馬の二輪車

葬式

紫を払う椰子の箒は軽く動く。
玉のように澄んだ朝の空気は、樹木が乱す初秋の香気に溢れる。
私は、何ものか知らないが求める所あって、それが今にも得られるように感じながら、小さい湖水のほとりを歩く。
手首を指先でたたく太鼓の音が聞こえて来る。間もなく、粗末な行列が私のそばを通る・・・葬式だ。
行列の中心は、いうまでもなく四人の男が担架で運んでいく死人で黄色の更紗で覆われ、頭の前に花が置かれ、ぬっと食み出た足の裏は紅に塗られている。
死人は声高く歌われる吠陀(ベダ)の聖句で送られ、カルカッタを流れるフーグリー川へと急ぐ、聖句の意味は分からないが、おそらく「死して土に還る喜び」を唄うのであろう。
私は行列の見えなくなるまで見守った・・・果してこれが、私の知らずに求めていたものであろうか。
朝の空は紫色に澄み渡って香ばしい。

母性愛

「乳絞りがやって来ましたよ」と主婦は叫んだ。
(二人の印度人、黒檀の皮膚、紅の腰帯、白の親牛と犢、三色の取り合せ。)
「特にじゃれていないと、乳が沢山に出ないというのですよ。それで乳絞りは親牛だけでは来たことがありません。犢が病気にでもかかると、可笑しいですよ、代用品ですね、木製の犢を傍に置いて親牛を騙しますの。」
バンヤンの樹蔭が濃い後庭で、今親牛は犢の首に頬ずりしている。
「ああ、母性愛は麗しい」と私は叫んだ。
仕事が終わって二匹の牛は、日光のぎらぎら光る芝生に横たわり、役目を果たしたという満足に目を閉じている。
雀が一羽を親牛の背中に止また、それが瘤から頭の方へぴょんぴょんと飛んで、牛の目脂を啄み始める。覚めているのか眠っているか知らないが、牛は鳥に自由を任せている。愛と慈悲の権化バルバチ女神の再来でもあろうか。



本篇はマドラスに於いての作。牝牛に対する印度人の尊敬は大きい。神様にまで高められて、彼等は動物の人間化と言う興味ある問題を提供する。彼等に野生な所が少しもない、容貌は非常に穏和で上品だ。

動物園

鶴一番いが村人の笛につれて飛び跳る、
お喋りの見物人は屋根上の烏だ。
小供と猿はマンゴウの影を遊戯場にする、
孔雀は洒落者、紫の空へ一張羅の着物を広げる。
拒絶の心配なく、落付き払って、
牛や羊が人間の家を我が物顔に振舞う。
太陽照り始めてよりとんと変わらない世界だ、
全てが友情と天の命令に服する世界だ、
鳥と動物が人間と同じ言葉を話す世界・・・
動物園と命名したよかろう、
人間はこの世界で動物に招かれた客だ。



壁画見物のためオーランガバットからアジャンダへ至る六十五哩を自動車で走った途中、ここに書いてある汚い村の光景を見た。泥を固めたに過ぎない家、ひどいのになると枯枝に蓆一枚の屋根といった癒え、原始的というと詩的に響くが、まるでこの辺の印度人は犬や豚一匹と同じ地べたの生活をしている。

跣足

印度人は跣足で歩く。
彼らは大地の呼吸を聞く、大地の香気をかぐ。
大地は彼らに「わが慈悲は汝をはぐくむ」と叫ぶ、「我より出でたる汝は我に帰る時あり」と叫ぶ「我汝の床となりて汝の疲労を和らぐ」と叫ぶ、「汝目覚めるとても我を離るる勿れ」と叫ぶ。
印度人は跣足で歩く。
印度人は大地に礼賛して、蟻とも蜘蛛とも甲虫とも、その先を平等に分ける。
彼らが猟犬のように走る場合でも、大地の平和を破らざる程度に走るであろう。
彼等が死んだ牛のように横たわる場合にでも、大地の呼吸を、嗅ぐとも嗅がないともつかずに自らわが身に染みゆくと思うであろう。
印度人は生まれて死ぬまで、足を洗わない。大地の泥や砂を捨てて仕舞うには勿体ないからであろう。
印度人は跣足で歩く。

向日葵

差掛け小屋が二つ、
この間に広い白壁が挟まる、
白壁に牛糞の団子が並ぶ、
向日葵行列の図案、
印度代表的な村落の光景。
だがこの光景を完成するには、
壁の彼方バンヤンの森から小唄一曲が聞こえずばなるまい。
若い女が頭に真鍮の壺を載せて顕れる、
私は昔苦行疲れの釈迦に牛乳を捧げ、
行者達の禁欲に疑問符を打ったスジュタのことを思う。
私はこの女が木の陰に消えるのを謹んで見送る。
太陽は西へと沈み往く。
そして私に路傍の花一つを遺した。
花は薄暮の胸に浮彫りされた赤い杯。



本詩はブタ・ガヤ付近で見た光景。印度では牛糞を燃料とするので百姓はそれを団子に作り乾かすために家の壁へべたべたと面白く張りつける。

感激の瞬間

ただものに一寸触れること、指先で弄って見ること・・・
長い一生を、王様で通らねばならなかったらどうしよう。私は一日中雲のなかを歩くより、虹に立って一寸下界を臨んだ方が好きだ。
舌で一寸舐める・・・
花の香りを一寸かぐ・・・
美人の肌に一寸触れる・・・
一寸が嬉しい・・・
黄金の光が五体を射る、魂のすみずみまで感激に揺れる。
池の水が太陽にあたって、金と銀を混ぜたような笑を洩す。
蓮の花が、現実と幻の交差点から吹いて来る風に操られて、訳解らずにぱっと開く、開いたかと思うと、ぱらりと散って水に落ちる・・・
ふわりふわりと浮ぶ、
一寸の感激に酔払ったという形。

 

 

野口米次郎定本詩集
第3巻
印度詩集

友文社
昭和二十二年五月十五日印刷 五月二十日発行 定価四十二苑

野口米次郎定本詩集第3巻 印度詩集 05に続く