odd_hatchの読書ノート

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野口米次郎定本詩集第3巻 印度詩集 03

野口米次郎定本詩集第3巻 印度詩集 02の続き

 



賢い人は語るらく

「存在」の戸は錆びたり、
開け放ち、
君の心に狂喜の風を吹き入れよ・・・
風だ、風だ、風だ。
風に時代の塵を一掃させ、
風に吹き飛ばされて、人生を改まるという世界の涯へ。
廃墟を見ること長きに過ぎた、
空気を背負う事長きに過ぎた。
君の瞳は曇れり、腰は屈せり
君の額は歪めり、顎は落ちたり。
神の作れる最初の姿にかえり、
海を渡って驚異を漁り、
山を登って太陽と語れ。
鳥は海図なくして浪を越え、
花は数えられずに美の峰を極める。
君を肉の崩壊たらしめるは、そも誰の手ぞ、
君は知識の迷宮に失われ、
憐れむべし、墓堀りに急に、遂に蝙蝠と蚋の兄弟となれり。
知識官能の悉くを捨て、君は羽翼を軽快ならしめよ、
元素に自らを解体して、再び「可能」を効果たらしめよ、
人生の制限と譴責を離脱せよ。
凡ての個性を悪魔の門に残し、
見えざる世界を叩き、裸体の客として迎えられよ。
かく賢い人はわれに語り、語り終わって微笑めり、
われその時彼が、最後は秘して語らざるを知れり。
しかし彼は指をあげ、行くべき道を示すが如けんも、
我未だ何処に行くべきかを知らず。


瑜伽の行者

瑜伽の行者は人生の現実に触れない、
彼はただその足音を聞いている。
彼は瞑想の目を開いて、側に拡る庭の芝生を眺める、
芝生の花は、蕩酔の法悦を味っている。
マンゴウは鷲のように葉や枝の羽翼を張り、
椰子は鶴のように首をのばし、
洋々たる生命に目覚めてすべての束縛を離れる。
邉りに見える石造の家も、銅像も噴水も、
互に頷き合い耳語し合っていると思われる、
もとより普通の人にはその言葉が聞けない。
瑜伽の行者は耳を聳たてる、
国民会議派の大行列が、
自由と独立の旗をかざし、
遠方から進んで来るその足音が聞こえる。
芝生の噴水は急に水を高く吹きあげる、
水の虹のように燦然とかがやく。
幾十羽の鳥は、噴き上がる水の間を飛び廻る。
瑜伽の行者は疲れた足をもんでいる。

菩提樹下の釈迦

彼はこの木を求めたのではない、その影に座りたいと思ったのでない・・・
彼はただここへやって来て、そして座った。
彼は目をつぶって、思うともなしに、魂が初めて軽るがるして来たように思った・・・苦行の鞭で打たれた肉の衰弱も癒えるように覚えて、真理真理と探し回る騒ぎから離れたように感じて、
彼は楽な気持ちで魂を眺めた、本当にそれが自分のものになったと思った。
彼は今うとうととしている。
一天にわかに曇り始めたかと思うと雷は火花を散らした。風は雨を呼んで、暑い砂塵を捲き起こした。悪鬼は魔軍を率いて、一気に彼を責め落とさんと進んで来ると思われた・・・
だが、彼は安住の静けさに入っている、魔軍は近寄ることが出来ない。
美人の嬌態や肩や腰の動きを見よ。見に纏った薄い絹は淫蕩の波紋を作っている。彼等の踊る足拍子はだらしない。誘惑の一手で彼の黙想を乱さんとしている・・・
だが、彼は乱されるにはあまりに静かだ。しばらく立って、
彼は黙想から目覚めた。
菩提樹にただ清らかな風だけが吹いている。
彼は徐ろに周囲を見廻した。
彼の顔は円満具徳の微光にすがすがしい。

 


本詩はブダ・ガヤ(仏陀伽耶)すなわち釈迦成覚の霊地に於いての作。私は十二月六日ガヤより砂塵煙りの酷い広い道を自動車で走り、左右に林立した椰子やマンゴウや菩提樹を眺めてガヤに向かった。しばらくすると樹木が間ばらになって道の右手に、あたかも幅広の帯のような小川が砂原を流れているを見る。この河がすなわち尼蓮禅河であって、仏教徒の間にやかましい存在である。二千幾百年前釈迦がどんなに山間の苦行を積んでも、成覚に到達しえない煩悶の餘り、山を降りで体をこの川水で洗ったそうだが、その時分はもっと水量が多かったかも知れない。伝説に依ると彼は此処でウルヴェラ村の地主の娘スチューダから乳粥の供養を受けている。私の自動車が坂道に入ったと思うと、眼前にぬっと聳える巨大な塔を見る・・・これが印度史に有名なアソカ大王が釈尊記念のため建設したと言う塔なのである。塔は低い盆地からその威容をそびやかして、高さ百八十四尺礎五十尺角だとのことである。ブダ・ガヤ訪問者は誰でも第一にこの頭に上って周囲の光景を眺めるのであるが、所謂釈尊の金剛宝座は塔の後にあって、大きな菩提樹を前にしている。私は緬甸の仏教徒十五六名がこの菩提樹の前に座って読経しているのを見た。混合宝座は四五尺平方大の石で作られ、それが高い大きな四角な壇上に置いてある。

夜の仏院廃墟

昔二百尺の仏院が高く聳え、通夜僧千人が読経に夜を清めたそうだ。
今は何物もない。
ただ荊や草の間に蝙蝠が羽ばたき、蟋蟀が途切れとぎれに鳴いているのみだ。
頭や手をもがれた石の卒塔婆は痛ましい・・・運命に碎かれた癩病患者のようだ。私は独りその間を歩く、釈迦の古い智恵の遺骨を集める幽霊!
少し離れたところに歩哨が並んで廃墟を守護している。それは大きなマンゴウの並木だが、夜の煙に包まれて幻に見える。ああ、見渡す限り一面に漲る勇気よ。
私は数千年の彼方から呟くような低い声が聞こえるように覚える。
昔御全盛の時代には、黄金絢爛たる仏像が沙弥壇にお立ちになったであろう。数百の僧侶が仏像の前に頭を一斉に下げた時、背中の丸い後光も一緒にお辞儀をして、どんなに見事な一幅の絵を作ったであろう。私は僧侶の讃歌合唱が雲のように高まり、沙弥壇のほうに流れていくように思った。

「ああ風や吹き、雨暴るるとも、
われ等心に、法身の喜あり、
黙然として、
無限の知恵を、求め行く。
ああ褒めよ称えよ、
帰命頂礼、わが浄土、
われ等祈って、
生死一助の、道に生きる、
われ等観じて、この世をば、
御法の霊地たらしめよ。」
私は今空想から許されて常の意識にかえる。
振り向き後を見る。ダメーク塔百四十尺、天空を支える巨大な岩石の集り、厳かに地上の廃棄を見下ろしているを知る。塔はいうであろう、
「嘆く勿れ、毀れた石よ傷付いた卒塔婆よ。過去の光栄を悲しむ勿れ、僧侶の幽霊よ、蟋蟀よ蝙蝠よ。夜は失われたのでない、新しきもの古きに替る。真理の明法人生を再び導くだろう。」
私は更に塔の彼方を見る。新しき仏院ムラガンダ・クチ・ビハラ胸に烽火を燃やして、天上の星と美と壮を争うを知る。



本詩はサルナートに於ての作。サルナートはサンスクリット語サランガナートの訛ったもの、日本では鹿野苑と言っている。ダメーク塔は「真理の探求」と言う意味だそうで、紀元四五世紀にできたものとされている。ムラガンダ・クチ・ビハラはセイン僧ダマルバラの建てた新仏院、初轉法輪寺と訳されている。
玄奘三蔵鹿野苑記事の中に、仏院建築高さ二百尺と出ている。彼が印度を訪れたことがすでに仏教衰退期に入った時代だが、それにも係らずサルナートが仏教の中心として栄えていたものと想像される。今は詩に書いたように、全然廃墟になって何者も見られない。ただ散らばった無数の卒塔婆や僧侶の私室らしい穴などから昔を想像するのみである。仏印の中央御仏お立ち給うた場所だろうと思われる所に、アソカ王記念として円柱の毀れに鉄柵が廻らしてある。この円柱のことも玄奘の記事に出ていて、よく符合するそうである。廃墟は六十年前頃に発掘に着手せられ、今に新しいものが掘出されるということである。今は仏教信者に対してばかりでなく、天下一般の興味を集め印度訪問者にして誰一人サルナートの廃墟を訪れないものはない。私は当時ここに住んでタマルバラの新仏院壁画に従事されていた野生司君の厄介になり、1週間をサルナートで費した事は私一生のいい思い出である。

仏院の鐘声

千年の沈黙を破り再び響き始めるムラガンダ・クチ・ビハラの鐘・・・
道を失いさまよえるもの、来りて妙音の祝福を受けよ。
叫ぶを止めよ、悲しむ勿れ、人生の遊戯を捨てて信仰を求めよ。
鐘は言う、「正見、正思せよ。」
鐘は言う、「正語、正業せよ。」
鐘は言う、「正命、正勤せよ。」
鐘は言う、「正念、正定めよ。」
廃墟よりたって、再び威容を正しくするムラガンダ・クチ・ビハラの塔・・・
魂の国を求めるもの、来りてその前に跪まづけ、
鐘は鳴る、金はいう、
「無常に不変を知り、転変に永劫を観ぜよ。」
千年の沈黙を破り、再び響き始める鐘の音・・・
煩悩を忘れて妙音の歓喜を受けよ。

 


サルナートは二千五百年前釈尊時代には、日もなお暗いジャングルであったが、その後仏教繁栄につれて信仰の中心となり、周辺が開拓されて立派な場所になったのである。釈尊はブダ・ガヤの菩提樹下で円覚無上の境地に入ったが、その前彼と行動を共にした五人の比丘があった。彼等は釈尊が苦行を捨てたと言う態度を非難し遠く離れてサルナートに来り、依然として林間生活を続けていた。釈迦は今成覚の喜を堤げその法を彼らに分けようとしてサルナートに彼らを追った。彼らは以前の釈迦と違ってその眼光に円満具徳の霊が輝くのを見て、前非を悔い合掌礼拝して彼を私と迎えた。釈迦は五人の弟子を得て初めて僧団なるものが成立し、その後五十年間の説法はサルナートから出発しているというので、この発祥地を初伝法輪の聖地と呼ぶのである。それでダマルバラの神仏院もその名を取ったものだ。

画家は語る

星の私語に答え、
漫ろに歩く・・・星は光る金剛石、
身を清めて頭上に燃える。
夜はベンガル湾の水より甘い、暖かい、
その溜息は雲形の波を作る、
そして夢を硫黄の潮に乗せる。
かれマンゴウの奇怪な小路を歩き、
此処に時間は疲労にくづれると観じ、
漫ろに歩く・・・されど亡命者の悲しみなきでない、
われ冀ふ、体疲れて樹下に横わる時、
印度人の如く世界を歌一節を見做さんことを。
お漫ろに歩く・・・流罪人の懐郷迫れど、
ただ芸術を友としてその声に傾聴するのみ。
芸術の声や低く悲し、われに語る、
「印度こそ夢が化して真理となる国だ、
人生の苛立や怒りに煩わされず、
わが心空の虹となって飛び得る国だ。」
われ漫ろに歩く、
夜の天気酒となって流れる所を歩く、
心絵の具と絵筆となって、
ひたすらに明日の芸術を思うのみ。



本詩はサルナートにおいて、野生司委、君を心に想像して作れるもの。

暁の驚異

地上低く鈍重な霧破れ、
巨大なマンゴウの彼方より上る、
太陽は燃える風船だ。
ああ、薄黒い褐色より深紅色に、
一変する世界よ、
歓喜にあふれる蓮の花だ。
歌に震える黄金の鉢だ。
見よ、空中の瓔略は火に燃える、
聞け、自然の階音地を覆う。
われ示現の新しきに驚き、
礼賛を目覚める鳥に委ねる、
鳥よ、村落起きよの歌を奏でよ。
友よ来れ、暁の驚異間もなく消え、
自然の額朱を失うであろう。
だが露未だ花の唇を去らない、
空気は香ばしく甘い。
われ路傍の樹下に立ち、
蛇や蝙蝠を夢に縛する力なく、
黎明の輝きをそのままに止まらしめざるを悲しむ。



本詩は印度大陸西方への旅に上る時、サルナートよりベナレスに向かう途中、驚くべき暁の光景を眺めて作れるもの。

キンチンジャンガ

金剛石の巨大な三稜系の連続、
むくむくと泡立つ雲、いな綿の海に半身を埋めている。
蓬莱の島か、それにしては恐ろし過ぎる、人間の接近し難い千丈の絶壁。
不思議な霊気に包まれ、金剛石の光りが瞬間毎に変化し往く。
神はかかる自然の殿堂を我々に示し給い、人間の恐怖と感激をもう一度試験せんとせられる。
私は想像した・・・
この空中の防塁でも、攀じ登ったならば、青々した樹木で覆われているかも知れない。
熱帯色で色取った島や鳥や蟲が群り遊んでいるかも知れない。
山がここそこに堅に避けて水が瀧を作っているかも知れない。
魚が谷に横になったり仰向けになったりして浮いているかも知れない。
また耳を聳だてると、自然の言葉にベートーヴェンを聞くかも知れない。
三稜刑の峰を蔽っている雲も靄も、自然の塔や円天井を隠すに無駄骨折りしているかも知れない。
ああ、私共と違ったもっと気高い人間の生活が山に栄えているかも知れない。
かく私が想像している間に、太陽が西に沈んで往く、
夕映が空を一面に真赤にする、雲の海も真赤になり、金剛石の山はもっと荘厳な五色に光ってそそり立って見える。
私は幾千羽の白や黒の鳶が、風に乱れる木の葉のように、山をめぐって飛んでいると想像する。
ああ、神は何と言う気まぐれの画家だ!
この驚くべき眼前の絵画を、一二分の間に黒く塗りつぶして仕舞った・・・
金剛石の山はどこへ消えたか、姿が見えない。
私の想像した絶壁も音なく、
私の心は恐怖と祈祷へと深まり往く。



筆者がヒマラヤ見物のためカルカッタをあとにダージリングへ向い、同地の観光ホテル・エヴェレストに入ったのは十一月二十四日である。カルカッタは日本の夏のように暑かったが海抜六千尺に近いダージリングへ来ると、まるで冬であった。私は部屋に火を焚かせ、早速お湯に入って体を温めた。浴後部屋の窓から四十幾里遠方にあるキンチンジャンガを見たときの感想が、すなわち本詩である。

 

黎明

藪や樹木が黒闇に包まれる。時にさらさらと陰鬱な声で、私の車に答えることがある。道は段々と険しくなる。空一面に星の通夜僧がダイヤモンドの眼を見開いている。
私は暁の単独奇襲にはやる中世紀の騎士だ。
私は耳を西蔵の苦力がうたう唄に聳てる、薄気味悪い嗄ら声だ、妖魔の呪文のようにも思われて、浪漫的な感じが幽怪的になって来る。
星は白みゆく空に徐々と光輝を失って行く。やがてタイガー・ヒルに着いて、私の体の強張りが解け、香ばしく新鮮な風が立派な朝を約束して、私の頬を舐める。
ああ、誰が夜明けが足元に渦巻く雲の海で始まるを知ったであろう。
低い空の新月は印度婦人の眉、間もなく消えたがこれも印度人らしい、男神の太陽が出た給う時姿を消すことが女性の嗜みだ。
静寂は深い。
一分過ぎる、二分過ぎる、三分過ぎる、今太陽は深紅色の大円盤だ、血潮を燃やして雲の海を沸き立たせる。
実は、キンチンジャンガ黄金の装い、三稜刑の聖相!何たる威容よ、誰にも長い凝視は許されない。何たる荘厳よ、長く称えるには餘りに神聖すぎる。



印度を訪れヒマラヤ見物にダージリングへ赴くもの、七哩の道程タイガー・ヒルへ上って黎明のキンチンジャンガを拝むことが慣例になっている。私の印度旅行記にこう書いてある、「私は翌朝三時前にたたき起こされた。すっかり晴れ渡って星天に満つとの言葉に率先よしと喜び、顔を洗ってすでに卓上に用意されていた珈琲一杯を啜る小さい麺麭をかぢった。まったくの冬支度に熱い襟巻きをしてホテルの門を出ると、七名の汚い西蔵人の荒くれ男が用意よしと私の出発を待っていた。六名は私の人力車を引き1名は従者の乗る馬の手綱を取るためである、人力車の長い柄は妙な西蔵語の合図であげられ、道を左に取って坂道をうんそらうんそらとのぼり、それから右へ廻り左へ廻ったかと思うとまたもや左へと道を取り、地理を皆目知らない上に僅かな星明りを頼りに車を引っ張って行くのだから、私はただ最後の到達点はタイガー・ヒルであるとだけしか知らなかった。最初の間は道に電気がぽつりぽつりと点って居り人家らしい建物の前を通ったが、三マイルも行ったかと思われた頃からは道の両側が暗い林で人夫達が歌い出した西蔵の唄が、私を慰めるよりは寧ろ薄気味悪からした。朝といってもまだ四時にならないから真暗である、上り坂の山道は随分と険しい、人力車で揺られて行く七マイルであるからなかなか楽でない。私は自分を達磨のように包んでしまった毛布の間から、物凄く光った明け方近い空の乱れる星を眺めた。気候は幾度位か知らないが風は寒かった。人夫達は同じ言葉の唄を不細工な銅鑼声でなんどもなんども繰返した。そしてその唄が途切れた時、後からくっついて来る従者の馬が、山道の石にあたる蹄の音を空の星に響かした。」かくて私はタイガー・ヒルに着し、本散文詩に書いているように荘厳無比の朝日を拝してキンチンジャンガに霊光の輝くを見たのである。

ヒマラヤのバザー

鳥の羽は赤と青、
小さい像を縁に織り込んだ敷物に名の知れない動物の毛皮、
真鍮細工の皿や徳利・・・異様の花が模様化され、緑や朱の玉が嵌込んである、
蓆の上にならべた油のあげものに、食べられそうにない漬物が盬づけ
安ものの香水や更紗やフランネルの店、
あるは仏像や得体の知れない置物を売っている所もある。
レフチャス、リムバス、バチアス、バハリアス、チベタンス、ネパルス、
ベンガル人カシミールにマルワリ・・・
私は1点日本人をそのなかに入れた。
銀細工屋に寄り、腕輪を二つ三つ土産に買わんとすると、店の主人はいちいち秤にかけて値を定める。
私は思った。
「これはまるで草市と年の市が一緒になったようだ。」



本詩はダージリングの町風景の一。

 

 

野口米次郎定本詩集
第3巻
印度詩集

友文社
昭和二十二年五月十五日印刷 五月二十日発行 定価四十二苑

 

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