odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

伊藤乾「指揮者の仕事術」(光文社新書) 指示を一方的につたえるだけではすまないプロジェクトマネージャー。よい響きをもとめる試行錯誤の歴史がおもしろい。

 指揮者が仕事を書いた本はたくさんあるが、本書の特長は秘教的なところを極力排除し、プラグマティズムに徹しているところ。すなわち指揮台に乗った指揮者は身体運動(とくに腕)で指示を奏者に送るが、それを体系化しようとする。そのために、指揮者の運動を分解してそれぞれの意味を解析し解剖学などの医学の情報とすりあわせする。それらを統合する運動方法を提示することで、指揮者の方法を体系化しようとする。あいにくこの試みは挫折したのであるが、研究に参加したブレーズやエトヴェシュ、シュトックハウゼンらには絶賛される。これまで指揮の方法は言語化記号化されなかったので秘教的にかたっていたのであるが、それを科学的に語る可能性をつくったのだった。

 たとえば、4拍子の指揮棒の動きは、1拍と3拍が下に向かってアクセントをつくり、2拍と4拍が上に向かって弛緩する。指揮のメソッドはオン・ザ・ビート前拍を前提にしている。小倉朗も同じことをいっていた。オフ・ビート後拍にするには指揮棒の動かし方を変えないといけない。なるほど、ピリオド奏法でオフビートを強調する指揮者はしゃくりあげるような手の動きをするものだ。
 似たような指揮の形式化には小澤征爾らが学んだ斉藤英雄の「サイトウ・メソッド」がある。著者によると、完成された演奏には最適でも、トラブル続出のオペラなどには使えないとのこと。なので、以下が必要になる。

 もちろん指揮者は指示を一方的につたえるだけではない。奏者からの質問や不満に答え、ホールごとに異なる音響から最適な響きを模索し(ピアニストが会場備え付けのピアノで最適な奏法を見つけようとするのに似ている)、ステージや袖裏で起きているさまざまなトラブルにすぐさま解決の方向付けをし、ここには書いていないがオーケストラやオペラハウスが潤うように活動するといったさまざまなことをこなさなければならない。これは音楽院などの教育機関では教えられないことなので、現場でトラブルに対応する経験を積まねばならない。日本の若手指揮者は25歳か30歳までに1000曲を覚えなければ仕事の声がかからないとどこかでいっていたが、それだけでは指揮者の本分の半分もできたことにはならない。現場に入ったからと言って、ステージの上でも下でも「上司」に適性を判断され、見込みなしとみなされれば篩から落とされるという。
 何とも過酷な仕事場であるが、著者は指揮と作曲のみならず、演奏団体を主宰し、「脳認知生理学に基づく音楽表現の国際基礎研究プロジェクト」も推進し(彼は理学部物理学科の出身で博士号取得)、本書のような文筆家をしても活躍。多数のプロジェクトを同時に進行でき、それぞれのプロジェクトで成果を出している。上に書いたような指揮者の活動がマネジメントに役立っているのだろうと思うが、とてもマネできない。指揮で重要なのは、事前に作品をよく勉強する、現場で明確な指示を行う、トラブルにはすぐに最適な対処策を示す、というのが凡庸なわれわれにはどうにか参考になる。

 いくつかをメモ。
・奏者が学生やアマチュアの時とプロの時では、指揮者のリハーサルのやりかたは異なる。プロに気持ちを伝えることは重大ではない(ドイツ・ロマン派やその影響下の評論にあるような「精神性」の共有みたいのは現場にはないってことだ。)

ベートーヴェンの第9のバリトンソロ「このような音ではない」は、難聴だったベートーヴェンが聞きたい音聞ける音楽を求めている。シラーの詩は創世記を下敷きにしているが、多数の神と唯一神が共存する奇妙なもの(当時ドイツで流行ったインドや仏教の影響があるらしい)。ソナタ形式キリスト教ユダヤ教の復活思想の現れであり、ベートーヴェンの第9では歌詞の配置がソナタ形式。それは人間の死の試練とその乗り越えを主題にしている。18世紀の科学の時代には神に頼らずに人生や善の意味を解釈する動きがあり、フランス革命の影響で人間の上下を認めない(王侯貴族と平民には差がない)と主張する人が増えた。シラーもそのひとり。なので人間のいる場所では、神に帰依する個人よりも、平等である人間の集団のほうが大事(というカントの哲学をベートーヴェンは作品化した)。第9の復活の思想(シラーを読み込んでようやくわかること)はロマン派の作曲家が継承した。ことにワーグナー(ほかにシューマンマーラーなども)。

odd-hatch.hatenablog.jp

odd-hatch.hatenablog.jp

odd-hatch.hatenablog.jp

 

・ロマネスク教会の小さな空間では、単旋律のグレゴリオ聖歌を複数で歌うと空間が共鳴してよい響きになった。巨大なゴシック建築になると簡単には共鳴が起こらない。そこで共鳴する場所をみつけてそこで歌うようにしたり、和声を積み重ねたりの工夫が凝らされ、音楽を複雑にしていった。複数の聖歌隊金管楽器をよく響く場所に配置したり、天井高い所や舞台裏などに配置して音響の遠近感を強調したりした(ガブリエリやモンテヴェルディらのルネサンスの音楽で顕著)。

・19世紀ではオペラの歌手がステージの音響効果をよくわかっていて、ワーグナーがこれを利用した。ことにバイロイト劇場の音響の仕組み。「神秘の奈落」は奥ほど低く低音楽器が集められているが、天井の高さを利用して倍音をひびかせるようにしているため。巨大なピアノの箱のように共鳴を作り出すのだ。舞台の下と観客席の下には巨大な空洞があって、ウーハーのように低音をひびかせる(普段は物置)。それによって箱鳴りやボディソニックのような特別な音響体験ができるようになっている。とくに「トリスタン」と「パルジファル」。

NHKの音楽番組でバイロイト劇場の模型を製作していた。コンサートホールでの配置と異なる。ちなみに、第1バイオリンは指揮者の右手、第2バイオリンは左手と通常と逆。なので録音で聞くと、通常左チャンネルから聞こえる第1バイオリンがバイロイト劇場では右チャンネルから聞こえます。)

(最下段で立って演奏するのは、場面転換などで一時的に楽器が増強されるときのエキストラでしょう。)

grunerwald.livedoor.blog

・オペラ歌手は劇場のステージで声が響くポイントを探し、反響を利用して客席に伝える歌唱法をとっていた。声質や声量で一人一人異なるので、歌手と指揮者は最適な場所を探し、時に演出家に動きを変えるよう交渉しなければならない。ところがレコード録音が盛んになると、劇場ごとの特性を利用する音響はうまく収録されない。そこでマイクに直接声を送る歌唱法に変わった。演出優位の歌劇場では歌手の声を響かせることは重要とはされない。それらが歌手の個性がなくなった理由のひとつ。以上を知らない指揮者は舞台の仕事でうまくいかない。
NHKでデル・モナコの回顧番組を放送した時、ゲストのテノール歌手が「デル・モナコは声を前に出すように歌う」といってその歌い方をしてみせた。歌手自身はテクニックの一つとしてデル・モナコのような歌い方を習得しているが、普段は別の歌い方をしているようだった。ということは上の指摘は20世紀半ば過ぎまでの歌唱法から生まれたアイデアであるといえるかも。歌唱法も時代によって変わるので、指揮者や演出家も変わらなければならないのだろう。)

 ビジネスを意識した指揮者の仕事よりも、歴史や社会の話のほうがおもしろかった。これまでの音楽史の見方が変わるし、いくつかの読書で得たアイデアが統合されたり新たなリンクが張られたりする感じ。とてもインタレスティングでした。できれば後者だけで独立した本にしてほしい。

伊藤乾「指揮者の仕事術」(光文社新書)→ https://amzn.to/49nOCFx