odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

樋口裕一「音楽で人は輝く」(集英社新書) ドイツ音楽優位の考えで19世紀音楽の変化を語る。政治や経済、社会思想の影響を考慮していないから各自補完しないといけない。

 NHK-FM片山杜秀「クラシックの迷宮」はクラシック音楽のDJとしてユニーク。エアチェックを繰り返し聞いているが、19世紀フランス音楽の回がおもしろい。ベルリオーズ、グノー、デュカスなどの作曲家特集を聞いてわかるのは、当時のフランス音楽が政治と経済の影響を受けて、変化していくことだ。すなわち、1789年フランス革命、1848年パリ革命、1871年普仏戦争、WW1、WW2などの社会の変化はフランス作曲家を変え、音楽を変えた。フランス音楽は、ラモーやリュリらの優美で優雅な宮廷音楽だったのが、革命で一変して市民音楽になる。以後、ベルリオーズの大人数向けのイベント音楽がグノーやマスネのエレガントで雅な音楽にとってかえられ、ドビュッシーやサティの私的な呟きの音楽になり、メシアンやブレーズの数学とテクノロジーの音楽に変わる。それに絶対王政時代からパリは新作発表の場所だったので、各地の作曲家が来ては、出自や勉強したところの民俗音楽を反映した作品を発表し、それがフランス音楽にとりこまれた。その節目には政治状況の変化があった。上の人たちを、よそからフランスにきてウケた作曲家であるロッシーニマイアベーアショパンオッフェンバックストラヴィンスキーなどと並べると違いがよくわかる。

 本書は19世紀のドイツ(とオーストリア-ハンガリー帝国)の音楽の変化を語る(なので帝国支配下チェコドヴォルザークがはいり、ロシアのチャイコフスキーは省かれる)。しかし音楽を作る論理や個人の独創で変化を説明しようとするので、片山のような政治や経済、社会思想の影響を考慮しない。その点で、パウル・ベッカー「西洋音楽史」(新潮文庫)1924年あらえびす「楽聖物語」(青空文庫)1941年と同じ内容だ。というか、でてくるエピソードもこれら数十年前の著作に書かれたことと同じ。このようなドイツ音楽の歴史はすでになんども書かれてきたし読んできたので、ほとんど新味がない。すごい勢いでページをめくってしまった。

 それでも気づいたことはあるので、メモを取る。
・ロマン派の作曲家には梅毒に罹患した人が頻出する。これは当時若い男女の交際を厳しく制限していたので、性欲を抑えきれない独身男性は娼館に行き、そこで罹患した。シューベルトシューマンニーチェスメタナなど(異論ある人もいる)。なので「禁欲」は当時の男性の切実な思想的・肉体的な課題であったのだということに気づかされる。ワーグナーパルジファル」が禁欲をテーマにしているが、宗教的なテーマであるにとどまらず、当時はとてもリアルな問題だったのだ。
上山安敏「世紀末ドイツの若者」(講談社学術文庫)
トーマス・マン「ファウスト博士」1947年

・19世紀ドイツ地域の思想潮流をみると二つの流れがある。ひとつはフランス革命に影響されたナショナリズムの勃興。国民国家が生まれていなくて小さい封建国家に分断されている状況で、民族の統一理念を探すために、歴史に向かう。その際に発見されたのがゲルマンの音楽で、とくにJ.S.バッハベートーヴェン。彼らの構築性のある作品と難しいことを実現する意志に注目する。もうひとつは啓蒙思想や理性信仰に対する反動のロマン主義。不合理や幻想などの現実に存在しない/できないものへの畏怖や憧れを表出する。このような幻想はバッハやベートーヴェンの構築性と相いれないが、彼らの音楽は規範である。その分裂の象徴はシューマン夫妻にみられる。クララは古典志向で、構築性のある音楽を作ろうとする。ロベルトは小品を集めて不統一で不秩序な音楽に幻想を見ようとする。ロベルトの試みはJ.S.バッハベートーヴェンなどの前世紀の作品ですでにとても立派なものができていて、同じものは作れないという挫折やあきらめに由来する。以後、ロマン派の作曲家はこの感情を引き継ぐ。

・後期ロマン派とされるドイツ音楽は、ブラームス派ワーグナー派の対立でみればよいという。本書では個々人の思惑や確執で語られるが、抽象化するとブラームス派の形式優位とワーグナー派の感情優位の対立といえる。これを俺の関心で言い換えれば、ブラームスは形式すなわちルール(和声、コード、音楽の形)を遵守するのであり、ワーグナーは形式から逸脱しても感情の変化を自由に描き陶酔に誘うのである。

ブラームス派の形式優位は秩序と安定をもとめ、ワーグナー派の感情優位は表現と自由(他人の介入を拒否するのと政治参加するのとの2種)を求める。これにヨハン・シュトラウスの娯楽と経済繁栄を加えれば、市民社会の要求や欲望を現したものがドイツの後期ロマン派の音楽であることがわかる。ブラームス派とワーグナー派は対立ではなく、市民社会の欲望のどこに注目し強調するかの差異でしかない。
(形式と感情の対立はほかの国の音楽ではみられない。フランス、ロシア、イタリア、東欧、南欧など。ドイツ・ゲルマン地域だけであった対立で、西洋古典音楽全体の問題ではないのだ。)

・それぞれの方法は彼ら二人に最高の作品を得たが、本書にでてこない追随者や模倣者の音楽を思うと、ブラームス派は誰が書いても似たような響きと形式の音楽になる(ロマン派の協奏曲が「派手・感傷・短調」と称されるゆえん)。ワーグナー派はものまねの未完成・未成熟が再生産される。20世紀になってどちらのやりかたも作品は量産されるが同工異曲なものばかりで飽きられる。ふたりを凌駕する新しい才能は生まれない。ドイツの後期ロマン派はこうしてドンづまりにいたったのだ。
(フランスでも、ワグネリアンであるショーソンシャブリエのオペラは元ネタがわかるし、未成熟だった。シャブリエは「ジークフリート」をフランス語読みした「シグレ」というオペラを書いているくらい。そのなかでドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」は、物語は「トリスタン」を、響きは「パルジファル」をなぞっていても独自になっているのは立派)

・このように後期ロマン主義は後継を失ってしまったのであるが、それは市民社会大衆社会に変質していくのと軌を一にしている。資本主義の勃興から帝国主義に至る変化の反映としてロマン派音楽の変遷をみることも可能(ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」が参考になる)。上掲「クラシックの迷宮」の見立てによると、ドイツ後期ロマン派や民俗学派の音楽は、20世紀ハリウッドの映画音楽に継承されたとのこと。リヒャルト・シュトラウスドヴォルザークラフマニノフらの音楽が規範になり、コルンゴルドが映画音楽作曲家に転向し、クラシック音楽の教育を受けたものが映画音楽専門の作曲家になった。ドイツに残った人は、形式を純化・徹底しようとした新ウィーン楽派は聞く人を限定する「前衛音楽」にいたるか、ロマン主義をやめて新即物主義社会主義リアリズムなどで生き残りを図ろうとする。どちらもナチスによる芸術の政治化/政治の芸術化で壊滅された。19世紀の流行りであった後期ロマン派の音楽はWW2以後だれもやらなくなったので、20世紀の終わりから空き地になっているロマン派に回帰するようになったという見立てもできそう。

ワーグナーは統一の喪失と回復を芸術のテーマにしたと言っていて、その通りであるが、ドイツのナショナリズムや民族統一理念の勃興との関連をみないのは不充分。ワーグナーの「指輪」初演のほぼ50年後に、フリッツ・ラングが「ニーベルンゲン」二部作の映画を作ったが、ワイマール共和国の民族統一理念に合致した表現になっていることに注目。
ワーグナーも若い頃からすでにワーグナーになっていたのではなく、ウェーバーマイアベーアベッリーニ、グノーらの強い影響と模倣がみられる。音楽手法だけでなく、リブレットのモチーフでも。)

ワーグナーに典型的なドイツナショナリズムの賛美と反ユダヤ主義は、のちにナチス全体主義に利用された。ナチスは後期ロマン派音楽が大好き。祝典やラジオで繰り返し流された。そのナチスが打倒されたとき、後期ロマン派は精神的支柱の「ドイツ精神」ともどもとどめを刺されたのだ。新しい音楽はロマン派の否定、異質な音楽の取り込み、ロシア・東欧・アメリカなどの辺境の創作などでもたらされる。ロマン派が重視しなかったリズムの復権民族音楽和声の取り込みがポイントだったのだろう。

・女性への愛が芸術表現や創作意欲に重要であったと指摘しているが、作曲家個人の生涯や作品にみられるミソジニーパターナリズムレイシズムなどを見ないのは不充分。ファニー、クララ、アルマらが男や夫の抑圧で創作活動をつぶされたことが書かれていないのは不当。他にもいた女性作曲家にも目配りが必要。

 

 というわけで読むことより、そこから考えを発展させることや自分の考えを整理することのほうがおもしろかった。著者はクラシックCDの評論でよく名前を見る人だが、書かれたものには失望した。どうやら本書は東京の音楽祭の広告宣伝を兼ねているようだから、音楽祭のパンフレットとして書かれたのかも。2011年初出。