odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

トーマス・マン「魔の山」(筑摩書房)第7章-2 サラエボの銃弾は友愛社会を壊し愛国心を目覚めさす

2023/04/26 トーマス・マン「魔の山」(岩波文庫)第7章-1 ペーペルコルン氏はカリスマ独裁者のカリカチュア 1924年の続き

 

 療養所の時間は「低地」とはことなるゆっくりした流れであるのだが、「低地」の時間はもっと早く流れる。その影響は次第に療養所にまで届き、ハンスやベーレンス顧問官らが意識しない領域で療養所を変える。影響はたとえば資本主義の商品であり、国民国家の理念であり、競争から脱落したモッブと彼らに支えられる支配者など。

 

「楽音の泉」 ・・・ 療養所は新しい慰安機器として蓄音機を購入した。ハンスが管理者兼監督になり、独占使用する権利を得る。昼は患者のリクエストに応え、夜は一人で繰り返し聞いた。特に好んだのは、ヴェルディアイーダ」第4幕、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、ビゼーカルメン」第2幕、グノー「ファウスト」から「祈りの歌」、シューベルト菩提樹」。共通するのは、男が女を思慕し破滅する物語であること、死に共感していること。
(語り手は録音が音楽の純化・抽象化であり、好ましいというのだが、アドルノのように考えると超俗的な「魔の山」に文化産業の商品が入ってきて世俗化・頽落化が始まったとみなせる。ハンスがレコードの音に耳を傾かせるのは、彼が次第に「低地」の思想に染まっていくことなのだ。)
(20世紀最初の10年間の録音技術は劣悪であり、小説に書くような想像力をもたらす音質ではなかったと思う。それにハンスの聞いたレコードのうち、ヴェルディドビュッシービゼーのものはまだ録音されていなかったのではないか、とクラオタは思うのだ。)
ドビュッシー「牧神の午後」戦前録音

牧神の午後への前奏曲あれこれ

 ここからのツイートで初録音を調べているので、参照のこと。

(本章を読んでようやくわかったのは、芸術の具体物と観念をつなぐのが「精神」だということ。そこで行われている表現(形象や色、音など)から真善美・高貴・崇高などの観念につなげるが精神の働き。この精神を深く大きく持たないと、観念の詳細を理解することができない、というわけだ。そしてドイツのロマン主義はこの図式が反転していて、精神が自我の外にある実態として扱われるようになり、具体物(絵画、音楽など)そのものが精神を持っているという倒錯に至ったと見える。音楽批評によく出てくる「精神性のある演奏」「精神性の高い指揮者(作曲家)」のような使い方。精神などといわずに知識・感受性・理性・経験の蓄積・批評などといえばこのような倒錯にはいたらなかったものを。精神という言葉を使わない記述の仕方をすると、ドイツ観念論はイギリス経験論と違いのないものになりそう。そうすると精神を持ち出すのはドイツナショナリズムの表れとでもいえるだろうか。)
(追記 どうやらこの「精神」の由来はヘーゲルらしい。福吉勝男「ヘーゲルに還る」(中公新書)参照。)

「ひどくうさんなこと」 ・・・ クロコフスキー医師はこのごろオカルトに凝るようになった。講演会でも超常現象の話をするようになったのである。そこにエリー・ブラントという少女が入院し、千里眼テレキネシスの能力を見せた。医師は彼女の調査を開始し、まずこっくりさんで彼女の守護霊との会話を試みた。うまくいったので、少女を憑代にする交霊会を催した。ハンスはヨアヒムを呼ぶことを提案。少女が呻吟苦悩すること数時間、ヨアヒムの姿が現れた。ハンスはしばらく凝視したのち、部屋の明かりをつける。そこには誰もいなかった。
(19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパ全域でオカルトが大流行した。ロシアの宮廷には皇妃の寵愛を得た怪僧が権力をもっていたくらい。そこには精神分析の影響もあるはずで、超常現象を霊の仕業とする見方が「科学」的な検証に変わった。もちろん科学的な説明がつくことはなく、アドホックな仮説をくわえていつまでも超常現象があると言い続ける。「低地」の流行が超俗的な療養所にも届き、汚染するようになったとみてよいだろう。ハンスがオカルトを否定したのは、療養所の気分から離れつつあることの証。)

「ヒステリー蔓延」 ・・・ 以後、療養所の空気が一変。喧嘩癖が横行した。口論やわめき合いがおき、ポーランド人グループは上級ロシア人に名誉棄損の謝罪を求める。というのも、ある反ユダヤ主義の商人が入所して、反ユダヤ主義をしきりに口にしたからである。その緊張はついにセテムブリーニとナフタにまで届き、ナフタが宇宙的ニヒリズムであらゆる価値を罵倒した時、セテムブリーニはナフタに決闘を申し込んだ。数日かけて準備が整ったのち、療養所から離れた森の中で行われた。セテムブリーニは空を撃ち、激高したナフタは自らの頭を打ちぬく。
(ナフタやセテムブリーニ、ハンスその他が決闘の儀式に精通していたのは、ドイツの学生組合で決闘が頻繁に行われていたから。あと、このシーンからドスト氏の長編のあれこれを思い出そう。「罪と罰」「賭博者」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」など。)
(喧嘩や口論、暴力沙汰が療養所に蔓延したのは、19世紀の資産を持つ者たちによる市民社会が壊れていったことの反映だろう。資本主義の発達による格差の拡大、国家を超えた人の動き、国民国家間の反目と戦争、それらが市民社会の安定を揺るがす。それの後押しをするのがレイシズム。この小説では後景でしか触れられないが、反ユダヤ主義ヘイトスピーチとデマが療養所のいたるところで聞かれたのが「ヒステリー蔓延」に至ったのだ。)
(途中でセテムブリーニが「タイタニック号」を話題にするので、1912年か翌年のこととわかる。)

「青天の霹靂」 ・・・ さてハンスはもう7年も療養所にいたのである。その間にティーナッペル領事が死亡し、ハンスは「低地」とのつながりが切れてしまった。時計は止まったままで、髭を生やし、自分のことにかまわなくなり、人生からかけ離れているのであった。しかし1914年にサラエボで一発の銃声が聞こえる。そのとたんに、療養所の人々はいっせいに故国に向けて脱出していった。ハンスもその外部からの力によって「解放」を感じたのであった。こうしてハンスは物語から脱出する。その後の様子はわからない。どうやら兵士になったらしい。ハンスは戦場で行軍したり銃弾を撃ちあったり突撃したりしているようだ。しかし姿は硝煙に隠れ、もはや二度とみつからない。
(兵士になったハンスの同輩の記録が下記。マンの戦場描写は幻想的でありながら迫真的。ハンスは孤独に戦い、となりの戦友を見ないし語り合わないし、自分の命を粗末に扱う。孤立化アトム化したモッブの極致が戦場の兵士なのだと得心した。)
2015/12/21 エリヒ・レマルク「西部戦線異状なし」(新潮文庫)
2011/08/13 アンリ・バルビュス「クラルテ」(岩波文庫)

 

 「教養小説」なのに、ついにハンスは療養所の中で何も学ばなかったし、人格的な成長もしなかった。精神を高めることも、芸術を極めることもしなかった。人生や生活から逃れ怠惰に時を過ごすだけの人になった。自分の価値を高いと認めることができず、他人の人生の価値を認めることもなかった。そのようなハンスはアーレントのいうモッブなのであるが、ハイデガーの「ダス・マン」なのでもある。
 そのような何でもない人、ただの人が自我に目覚めるのは祖国の危機において。誰か敵が侵略してくるという恐怖で自分の存在価値を見出す。当然のことながら彼自身のなかみは空っぽなので、価値をつけるには国家という観念で埋めなければならない。国家と自分を一体化させると、国家目標を達成することがすなわち自分の存在意味になる。そのかわりに多民族・多国籍の人たちが作った共同体意識は消える。セテムブリーニやナフタの国家共同体や超国家を待望する革命論には見向きもしなくなる。友愛の共同体の代わりに立ち現れてくるのが民族である。

「ヨーロッパは今日救いがたい盲目のままに、いつもわれと我が身を刺し殺そうと身構え、一方にはロシア、一方にはアメリカと、両方から挟まれて大きな万力のなかに横たわっている。ロシアもアメリカも形而上学的に見ればともに同じである。それは狂奔する技術と平凡人の無底の組織との絶望的狂乱である(P70)」
「われわれドイツ民族はまん中にいるので、万力の一番きつい重圧を経験している。われわれは最も隣人の多い民族であり、したがってもっとも危険にさらされた民族であり、そのうえさらに形而上学的な民族である。われわれはこの天命を覚悟しているのだが、しかしこの天命からわが民族が自分の運命を成就するとすれば、それはただ自己自身の中に反響を、この天命の反響の可能性をつくりだし、自己の伝統を創造的に把握するときだけであろう。これらすべてのことは、歴史的な民族としてのわが民族が、自己自身および、ひいては西洋の歴史を、それの将来的生起の中心から存在の諸力の根源的領域の内へと取り出しておくことを含んでいる(P71)」
「われわれは、存在についての問いをヨーロッパの運命と関連させたのであって、ヨーロッパの運命の中で大地の運命が決定されるのであり、しかもその場合ヨーロッパそのものにとってわれわれドイツ人の歴史的現存在は明らかに中心をなしているのである(P77)」

 以上はハイデガーが1935年の「形而上学入門」講義で語った言葉だ。ハンスがそのように考えたとしてもまったくおかしくない。ハイデガーの本を読んだときはこれらの言葉がでてくるわけがさっぱりわからなかったが、トーマス・マンの「魔の山」を経由するとWW1勃発で突然愛国心に目覚めた人たちの心象を正確に(かつ「精神的に」)に書き表したものなのがわかった。目覚めるまでの過程はハンナ・アーレントの「全体主義の起源」の分析と一致している。
 この民族概念はレイシズムと一体なのであり、民族と国家への愛情を注ぐほどに、隣接したり内部に板いるする多民族への憎悪が増す。最初は偏見にとどまっていたのが、ヘイトスピーチになり、暴力犯罪行為になり、ジェノサイドに進む。そのようなエスカレートの過程は(ひかえめに)本書に書かれている。ここが最も重要なところだ。
 孤立化アトム化したモッブがそのような民族主義愛国主義に熱狂した者が死の哲学を構築したのが、ハイデガー存在と時間」なのだ、と妄想を進めたくなる。自分に価値を認めないものは自分の肉体を嫌悪するようになるし、それは自分と似たものと思い込む他人の価値も意味がないと考える。存在の不条理に耐えきれない中身が空っぽのモッブは空白を埋めるために国家や民族に憑依する。そうすると国家や民族の「危機」が自分の危機と同一になる。戦争による死はだれにも共感されない孤独な死であるが、そこに意味をどうにかして与えたい。そうすると国家や民族のために死ぬことは崇高で高貴で有意義であるという幻想を作らなければならない。近代人は神から疎外されていて天国に行くことに価値をみいだせないが、国家や民族のために死ぬことだけが有価値なのである。でなければ戦場であっけなく死んだ人々は救われない。でも無意味で無価値な戦場の死はこのように考えることで意味と価値が逆転する。都市や田舎で日常や平穏のうちに暮らすものには意味や価値のある死は訪れない。<この私>は国家や民族のために死にたい。そういう心的な過程を克明につづったのが「存在と時間」なのだろう。ロックやアダム・スミスのように国家が常に自分の外にあり、自分の意志で変えられるという思考であれば、存在の根拠に国家や民族を持たないはず。
 図式化すると、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(M.ウェーバー)」をもたない孤立化アトム化したハンス・カストルプのようなモッブ(H.アーレント)が、植民地管理から生まれたレイシズム全体主義運動由来の愛国主義に染まり、総力戦と大量死を経験したところから、ハイデガーの「存在と時間」が生まれ、ファシズムに取り込まれていった。3人の思想家のそれぞれ単独に書かれた大著がトーマス・マンの「魔の山」を媒介にしてつながっていると考えたい。そのネットワークにはヒトラーの「わが闘争」やレーニンの「国家と革命」もはいるだろう。小説という形式は、抽象的な理論を展開するにはふさわしくないが、具体物を描写することで理論をわかりやすくすることができる。小説の機能の一つだ。

 

 最後はこう結ばれる。

「君は「陣取り」のやり方で予感的に、死と肉体の放蕩とから愛の夢が生まれてくる瞬間を体験した。この世界的な死の祭典からも、雨に濡れた夕空を焼きこがしている悪性の熱病のような猛火からも、いつの日か愛が生まれてくるであろうか?」

 愛は生まれず、レイシズム全体主義の「悪性の熱病のような猛火」が生まれ、「世界的な死の祭典」を繰り返した。

 


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