2023/04/29 トーマス・マン「魔の山」(岩波文庫)第5章-2 「若きハンスの悩み」はゲーテのパロディ 1924年の続き
ドストエフスキーの小説ではたくさんのキャラクターが出てきて、それぞれが雄弁(ないし饒舌)に会話し、複数の物語が進行するものだった。トーマス・マンの小説もドスト氏と同じくらいの分量を持っているのだが、主要キャラクターはとても少ない。ハンス・カストルプとロドヴィゴ・セテムブリーニ、そして後半になってから登場したナフタの三人を押さえておけば十分(いえ、あと第7章に登場したペーペルコルンも追加)。いつもいっしょにいる軍人志向のヨアヒムとハンスが憧れる謎めいたショーシャ夫人、科学の代表といえるベーレンス顧問官の三人が重要。何人かの名前が付いたキャラクターもいるが、ほとんど後景に退いている。登場人物の少なさは筋を把握するのには便利。
またドスト氏の小説では、さまざまなキャラクターが職業や階層や宗教を異にする思想や考えを開陳してぶつかりあっていた。この小説では、思想を演説するのは主要キャラクターくらい。その思想も読書からつくりだした人工物のおもむきがある。ある程度の読書を積み重ねると、キャラクターが言っていることの背景がおおよそ見当つきそうな感じ。
さて、ハンスが療養所に来て半年以上がたつ。
第6章
「変化」 ・・・ 4月になっても天気はよくならず、ときにクロッカスの花を見つけて喜んでも、翌日には雪という次第。でも雪は雨になり次第に春の訪れを感じる。ハンスはクロコフスキー医師と特別な治療を行っているらしい。ヨアヒムはハンスが秘密にしているのをいぶかしがる。
(日本の冬から春への変わり方と、スイスの高地やドイツの低地のそれとは異なる。春が来るうれしさが空間や時間の開放というふうに捉えるのだろう。それと同様に、同じような日々が続く療養所でも人の入れ替わりがあり、時に自暴自棄・自己破壊的な衝動で快癒していないのに「旅に出る(患者の隠語)」人たちがたくさんいて、斬新的な変化が起きている。ダーウィンの進化論が次第に定着してきたころだ。)
(ハンスはショーシャ夫人からレントゲン写真をもらって、肌身につけていた。通常の写真ではなく、骨や臓器の影をみて、いなくなった人を思慕する。恋愛の記号を身に付けることで嫉妬が回避できるのだ。)
「さらに一人」 ・・・ 夏至が近づき、ハンスが来てからそろそろ一年になる(章ごとにいつのできごとかを記すのは律儀)。ハンスは植物採集と観察に熱中している。あるとき、セテムブリーニが新顔をつれていた。すでにハンスらを知っている醜い男はナフタという。とても論争好きな男で、セテムブリーニといつも議論している。
(ハンスの要約を使うと、セテムブリーニは資本主義的世界共和制を志向する進歩主義者でヴォルテール主義者。民族国家が世界の基礎であり、理性に基づく無限の進歩を確信している。一方のナフタは僧侶的国際都市の集合を理想にしていて、国家のない世界を求めている。こちらはプルードン主義かしら。しかしこの章ではナフタの考えはほとんど語られず、セテムブリーニに反論しているだけのようだ。二人に共通するのは世界の変革を求めていて、戦争や暴力を否定しているわけではないところ。いずれも穏健な社会改良をめざしてはいない。可能ならば結社や秘密組織を作って活動したい。その要員としてこの療養所ではとても若く比較的健康そうなハンスに目をつけている。ハンスは非政治的を標榜し、軍人として国家に役立ちたいヨアヒムらの保守主義とはかなり異なる。彼ら二人はハンス達をオルグすることができるだろうか。追記:以上はこの章の読了後の感想。あとで二人は違うことがわかりました。)
「神の国とうさんな救済」 ・・・ ハンスはナフタの「絹ずくめの僧房」(外見は粗末な部屋、中は美術品や絹織物で飾られている)を訪問する。あとからセテムブリーニも「教育係」の役目もあってやってくる。ハンスは二人の政治思想を聞かされる。ナフタの話は恐るべきもの。彼は近世の市民精神と資本主義は人間の堕落であると断定する。たとえば貨幣の利子は罪悪であり、金貸しなどの金融資本を制限した中世の教会はただしい。社会的な問題は神学の前では二義的であり、神の前では自由や民主主義には価値はない。それよりもキリスト教のドグマを徹底した禁欲と支配の共同体国家を設立することが重要である。そこでは服従、命令、規律、自我の否定、個性の抑圧が徳なのだ。この思想は無産者階級(プロレタリア)に普及しているので、彼らの力による恐怖(テロル)でキリスト教的共産主義を樹立すべきである。
(セテムブリーニはナフタがイエズス会会員であり、ナフタの贅沢な生活はイエズス会から出ていると暴露する。真実であるかどうかはおくとして、セテムブリーニは陰謀論が好き。この時代、イルミナティや黄禍論などの陰謀論が流行った。)
(ナフタの思想を具体的に展開した思想家は思い当たらない。ここに社会主義やマルクス主義への批判をみるよりも、当時勃興しつつあったドイツナショナリズムに基づく極右思想のパロディを見たほうがよい。キリスト教的共産主義は滑稽にみえるが、ナチスが中世ドイツを規範にしたり、イデオロギーを優先して社会の問題を二義的にしたのを思い出すと、マンの先見性に驚く。ナフタはこの全体主義実現のプロセスを具体的に描かないが、プロレタリアの運動とテロルにみているのであって、ナフタとナチスの距離はとても近い。)
「激怒。そして、もっとたまらないこと」 ・・・ 次の8月になり、ハンスが療養所に来て一年がたった。寒い夏のあと、いらいらしっぱなしのヨアヒムはベーレンス顧問官に一年半もいたのだからもう出発する(軍隊に入る)と宣言した。激怒した顧問官は腹立ちまぎれによろしいといい、ハンスにも全快したいつでもたってよろしいと大声を出す。とたんにハンスは不安(まだ回復していないのに大丈夫か、ヨアヒムがいなくなって一人でやって行けるか)になる。結局ハンスは完治するまで居ると申し出て、数日後にヨアヒム一人が出発する。
(これはラストシーンの先取り。軍人になりたいヨアヒムと祖国のために軍人になることを辞さないハンスが対比される。)
「攻撃失敗」 ・・・ 聖霊節(11/2)も近い10月、ハンスの叔父のジェイムズ・ティーナッペルがやってきた。1年前にハンスがやったように、ハンスの案内で療養者と同じ生活をすることにする。面食らうことばかりであったが、ハンスが「低地」のことに一切関心をもたず、無感動で、久しぶりの叔父との対面でもそっけないのであった。ベーレンス顧問官や他の療養者もおよそ「低地」にはいないような人ばかり。ティーナッペルはある晩逃げ出してしまう。
(ジェイムズは勤勉で仕事好きな小市民。彼のふるまいは「低地」では賞賛に値するマナーなのであるが、療養所の人たちは受け入れない。地縁や血縁の共通性をもたない単独の人々の集まりなので、社会を形成していないのだ。療養所がヨーロッパの縮図に見えながら、そこからはみ出して居場所を持てない人たちのたまり場であることの暗喩。低地ではみいだしがたいモッブや全体主義者が集まるのも無理はない。前の章のヨアヒム同様に、療養所を抜け出すことはとても困難なのである。イーグルスの「ホテル・カルフォルニア」を思い出してしまう。)
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