前回から15年ぶりの再読。
1913年発表なので、トーマス・マン38歳の作。作家は若いが、主人公は初期老年だ。トーマス・マンが年齢よりも老けているのではなく、ドイツやヨーロッパが年老いて衰弱しているのだとみなす。実際、翌年に第一次世界大戦がはじまる。WW1がヨーロッパを変えた状況はリンク先を参照。
2021/03/19 木村靖二「第一次世界大戦」(ちくま新書)-1 2014年
2021/03/17 木村靖二「第一次世界大戦」(ちくま新書)-2 2014年
第1章 ・・・ グスタフ・アッシェンバッハ50代。ミュンヘン暮らし。ある時南洋幻想を感じ、旅にでようと思う。妻はすでに死に、娘は嫁いでしまった一人暮らし。貴族の身分になり、国民の尊敬を受けているが、このところとみに疲れ・倦怠・命の衰え・嫌気・憂愁を感じていて、いま-ここから逃避したいのである。
第2章 ・・・ アッシェンバッハは「マアヤ」「みじめな男」の小説、「精神と芸術」など幾多の論文を書いてきた。それらには「理知的な青年らしい男らしさ」のひとつの英雄型が描かれていて、優美・力・自生・典雅・忍従・奉仕・壮烈・剛勇・意志・賢明・若さ・粗野などの道徳を持っている。
(これらの英雄がアッシェンバッハ自身と真逆の性向であることに注意。ドイツ人らしさ、英雄らしさはイマジナリーであって、現実の世紀末の芸術家やインテリが持ち合わせていないものなのだ。)
第3章 ・・・ ミュンヘン→トリエステ→ポオラと来て、ベニスに行くべきだと天啓が下り、行先をそこに決める。ベニスに向かう船は老朽化していて、せむしのような水夫が目配せし、人工照明がある。客には偽物の青年がいて、気分が悪くなる。空と海はにごったなまりのよう。ベニスについたら、潟のくさったようなにおいがあり、運河からはいやな蒸発気が流れて、海風と熱風(シロッコ)が息苦しい。
(船では若者たちがはしゃぎおどけている。そこに、「ひとり、淡黄の、極端に流行ふうな仕立の夏服に、赤いネクタイをつけ、思いきってへりのそりかえったパナマ帽をかぶった男が、からすのなくような声を出しながら、ほかのだれよりもはしゃいだ様子を見せていた」のだが、アッシェンバッハは「この青年がにせものなのを、一種の驚愕とともに認めた。かれは老人である。それはうたがうわけにいかなかった」。このニセ老人の姿は最終シーンで髪を染めて若作りをしたアッシェンバッハ自身の姿の先取りだろう。大江健三郎は「小説の方法」(岩波書店)で、「ベニスに死す」に現れるさまざまな老人と異形の人たちに関心を寄せ、彼らのグロテスクイメージがこの小説の神話イメージを喚起・強化していると指摘している。さすがプロの読み(しかもこれを読んだ自分より若い時の書き物)。俺が読み過ごしたことをきちんと観察している。恐れ入りました。)
(ベニスは、ゲーテの時からドイツ人にとっては風光明媚で健康で美しい都市と目されていた。しかしアッシェンバッハは時宜をはずしたのか、ベニスは悪天候と熱気につつまれた倦怠と不健康な都市になっていた。ベニスの様相はアッシェンバッハにとっての地獄。ベニスにわたるには小蒸気船にのるかゴンドラを雇うしかないが、アッシェンバッハは棺のようなゴンドラを(それも無免許の違法船)を選んだ。棺のようなゴンドラは冥土の河を渡る渡し船のようではないか。他にも死と退廃の象徴がたくさんでてくる。表向きは観光であるのに、現実がいつのまにか地獄へ向かう幻想に変わっていくゆっくり読んでマンの筆を堪能しよう。)
ホテル・エキセルシオールには、ヨーロッパ各地からの観光客が集まっている。ロシア、イギリス、フランス、ポーランド。ポーランドの一家のなかに14歳ばかりの髪の長い少年をみつける。そのときからベニスは脱出したい地獄の都市ではなく、滞留したいと願う場所になった。
(アッシェンバッハはベニスにいる観光客のなかからロシアやポーランドの人々に目をつける。東欧とそのさらに東はヨーロッパではないところだ。21世紀になって資本主義はグローバル化が進み、国民国家を超えて広がっていく。金をもっていれば、非ヨーロッパからもヨーロッパの聖地に行くことができる。19世紀の西洋列強による秩序が資本主義によって解体されつつあるのだ。これもヨーロッパが倦怠と不健康になっている理由のひとつだ。)
(少年はどうやらタデウスの愛称タッジオあるいはタッジウというらしいことがわかる。この少年はアッシェンバッハが書いてきた「理知的な青年らしい男らしさ(第2章)」とは異なるタイプであった。軽やか・優雅・昂然・はにかみなど。なにかをする期待を持たせるのではなく、単に在ること自体が美であるような存在だ。こちらから何かを投影するような英雄やカリスマではなく、おのずと美を放つだれか。他人を誘惑するが、それ自身は中身を持たない空虚な存在。最も似ているのは、声で男を引き付けるセイレーンだ。アッシェンバッハは少年に魅せられ、誰かの制止すらも聞かない。地獄にいることがこの少年によって喜びになってしまったのだった。そうみると、アッシェンバッハは視線の欲望を満たすために、悪魔と取引をしたとみなせる。悪魔はアッシェンバッハの欲望を十分に満たす代わりに、彼のものをひとつ奪った。この悪魔はのちに、アドリアン・レーヴェルキューンと同じ取引をした。)
(少年タッジオは14歳。ナボコフの「ロリータ」は13歳。これらの年齢、こどもでも大人でもないあやふやな年齢と身体の時期に、ある選ばれた人たちは天使や妖精になることができる。誘惑もしないのに、人の視線を集め、人を狂わす。そういう存在であることを本人は自覚しないで、内心では「中二病」にかかっている。なのでこういう「妖精」は大人の視線で見たときだけ存在するのだ。)
グスタフ・アッシェンバッハは「精神と芸術」という論文を書いている。その内容は、この短編に織り込まれているので、芸術に関するところを抽出するとアッシェンバッハの論文の概要がわかるだろう。自分はそこまでやるほどの気力・体力はないのでパス。というのも、この短編はのちの長編「ファウスト博士」の先取りであり、長編で思う存分、いやになるほど懇切にトーマス・マンの芸術論が書かれているので。
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2023/05/15 トーマス・マン「ベニスに死す」(岩波文庫)-3 アッシェンバッハは美に見放されドイツ精神は死に向かう 1913年に続く