odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「パルチヴァール」(郁文堂)-1 13世紀初頭に成立したドイツ騎士物語の最高峰

 1200~1210年に中世ドイツ語で書かれた古典を1970年代の日本語訳で読むのは、たとえば英訳された「平家物語」を読むようなものか。日本中世の武士の作法や暮らしぶりは他の本や映画などで想像できるのであるが、中世ドイツとなるとはてさて。そこでワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」をとりあえずの手掛かりとしてよむしかない。

 ストーリーに入る前に(いや、ややこしくてとてもではないが一読ではサマリーも作れない)、これまで読んできた西洋中世の本の記憶を呼び起こすことにする。

・遍歴の騎士は途中で出会った豪族や別の騎士と馬上槍試合をしていた。勝てばしばらく逗留でき、負ければ家族や親族が身代金を払って釈放された。これは戦国から江戸にかけての武士の武者修行に似ている。道場に「タノモー」と声掛けして試合や指導をすれば一宿一飯にあずかることができた。このような生産に関係しないものが旅をすることができるのは、土地の生産性が上がり、人口が増えたからだろう。最初のミレニアム期のヨーロッパはそれができる余裕がなかった。気候の温暖化、鉄器の導入などいろいろな条件が加わったため。
(西洋中世の概略は下記エントリーが参考になる)
2016/03/29 鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)-1
2016/03/30 鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)-2
2016/03/31 鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)-3
2016/04/01 鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)-4

・騎士の旅が可能なシステムはヨーロッパのみならずその周辺にまで拡がっていたようだ。当時はヨーロッパよりビザンツオスマンのほうが栄えていたのであるが、本書の南ドイツの騎士たちはトルコからギリシャ、フランス、ブリテンまで足を延ばす。徒歩か騎馬の移動であれば、言葉を覚えるのに十分な時間があり、修道院付きの騎士であれば関連する院の支援を受けることも可能だっただろう。

・重要な概念は「ミンネ」。

「ミンネ」 (minne)は中高ドイツ語で「回想、記憶」「友愛、愛情、好意、精神的な愛」を意味し、神の人間への愛、人間の神と隣人への愛も意味するが、とりわけ男女間の愛、性愛を意味する。この場合、精神的なものと官能的なものが含まれている。
一種の「暗黙の前提」「約束事」としての、高位の貴婦人に対する騎士の恋愛奉仕を指している。奉仕に対する報酬としては、アルブレヒト・フォン・ヨーハンスドルフの歌で、婦人が報酬を切望する相手に答える、「優れた人となり、高潔な心を持」つ、というような「道徳的浄化」「社会的向上」「騎士道的自己完成」「人格陶冶」の要素があった。

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 本書でも貴婦人が騎士に「ミンネを与える」こともあった。訳注では「肉体の愛」と解説されてもいた。「アーサー王の死」では、騎士ランスロットアーサー王不在中にグウィネヴィア王妃と逢瀬を重ねる。「トリスタンとイゾルデ」ではトリスタンはイゾルデとの間に剣を置いて寝ることによって、ミンネを実行したりするので、とても多義的ったのだね。wikiによると、愛(liebe)とは別の概念であるとのこと。

・ほぼ同時代の1220年、フランスで聖杯伝説に基づく「聖杯の探索」(邦訳は人文書院)が書かれた。こちらではペルスヴァル(パルジファル)は聖杯の探索に失敗するなど違いが多々あるが、もっともおおきいのはエッシェンバハ版ではキリスト教の教えや道徳などの文言がほとんどないことだ。夢や超常現象を修道士や隠者が解説することはない。ドイツとフランスのキリスト教伝播の速度や受容の仕方が違っていた。(なので、宗教改革は1200年ごろはイタリア北部やフランス南部、スペインで起きたが、1500年代はドイツで起こることになる。)

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 エッシェンバハ「パルチヴァール」は全16巻である(後世の人による分け方)が、パルチヴァールが登場するのは、3~6巻と9巻と13~16巻。全体の半分にも満たない。1~2巻はパルチヴァールの父ガハムルトの冒険譚で、7~12巻はガーヴァーンの冒険譚。これらは当然、ワーグナー版には反映されていない。自分はワーグナー版に長年親しんできたので、ワーグナーの「パルジファル」との違いでメモを書いていく。
 ワーグナー版の概要はリンク。

ja.wikipedia.org


 翻訳すると原稿用紙1500枚にもなりそうな大作を3幕のオペラに圧縮したので、さまざまなことが漏れてしまった。たぶんドイツ人にとってはほかの本やメディア作品で自明のことが、極東の島国では意味不明になってしまう。そこがこのオペラとエッシェンバハの作品理解の妨げになっているのだ(と大上段に構える)。

 


(画像左の数字が翻訳者がつけた章の番号。次が舞台になった場所。右が主役。)

 最初の2つの章はパルチヴァールの父ガハムレトの冒険。そこは割愛して、第3章のパルチヴァール誕生以後を見ていくことにしよう。
 パルチヴァールは騎士ガハムレトの子。生まれる前に父は死んでいる。(妖精の血をひき)アンフォルタスの妹である母ヘルツェロイデに育てられたが、母は「かわいい坊や」などと呼ぶので、自分の名前を知らない。周囲に騎士がいないので、騎士のマナーと貴婦人のミンネを知らない。一方、神による男性の理想像ともいえる美貌の持ち主(そのことで聖性を持つ)。なので「聖なる愚か者」なのである。
 幼いころに森の中でアーサー王と出会っていて、王はパルジファルを騎士にすると約束した。少し長じた頃にパルチヴァールは騎士の修行に出かけるが、母は心配してパルチヴァールに道化服を着させた。これも「聖なる愚か者」の意。
 旅の始まりで、ブローバルツの都ペルラペイレに住む女王コンドヴィーラームールスが侵略されているのを防ぐ。そして女王コンドヴィーラームールスと結婚し、ブローバルツの王になった。しかし冒険の心抑えがたく、旅に出る。妻への思慕は止みがたいが、聖杯の探索が終わるまで妻と会うことはない。
 旅の途中、グラーハルツの領主グルネマンツと隠者トレフリツェントに騎士の教えを受ける。ワーグナー版ではグルネマンツは聖杯城で暮らしているが、本書ではどうやら関係はない模様。グルネマンツはパルチヴァールの愚かさに飽きれて、軽々しく口を開くな、質問するなと命じる。しかしこの命令が後の失敗の原因になる。
 モンサルヴァートの聖杯城を初めて訪問したとき、アンフォルタスは急所(まあ股間ですな)の傷が閉じないので、痛みが高じると槍を傷口に差し込んでいた(うわっ)。これをパルチヴァールは戦闘の痛みとしてしか理解しなかった。王自らに剣を贈られるが、グルネマンツの戒めを守って、口を開かなった。翌朝、誰もいなくなった城を飛び出すが、旧知の貴婦人になぜ質問しなかったと詰問される。アンフォルタスが剣の呪文を教えてくれて、天下無双の剣になるはずだったのだ。
 アーサー王キング・オブ・キングスなので居城をもたず、支配下の城を転々としていた(当時の生活ではとても大変)。ガーヴァーンとパルチヴァールがアーサー王の円卓に招かれた時、魔術師クンドリーエが登場(醜女で彼女のミンネを求める騎士はいない。あらゆる言語に通じ、論理学・幾何学天文学に詳しい)。パルチヴァールがアンフォルタスの苦悩と剣に質問しなかったことをなじり、騎士の資格はないという。それに深く打たれたパルチヴァールは聖杯を見出すまでは帰らないという(聖杯が行方不明になった経緯はなかったような気がするが、どうなんだろ)。

 

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2023/06/05 ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「パルチヴァール」(郁文堂)-2 ワーグナー版「パルジファル」と同じ話かと思ったら全然違った 1210年に続く