19世紀の日本史を読書するとき不満になるのは、尊皇攘夷論がどこから出てくるのか説明がないことだ。本書にもない。尊皇と倒幕という革命思想は、主従関係を求める儒教や武士道からはでてこない。 俺のつたない読書から説明するとこうだ。17世紀後半に列島では経済安定もあって知識欲が強まる。寺子屋ができるなどして識字率が上がる。彼らが勉強したのは漢籍と儒教だった。しかし百年も続けると飽きて新しい学問を勉強したくなる。この欲求にこたえたのは、18世紀末からの洋学と国学だった。前者は書籍にアクセスしにくいので知的エリートだけの運動になり、大多数(武士、町民、豪農など)は国学と神道に傾倒した。そこに書いてあるのは天皇エライと日本スゴイ。神がかりの言説は列島に住むものの向学心を満足させた。全国に国学者が住まい、神道団体ができ、一部は農村改革運動を起こす。19世紀になってからは儒教と武士道に代わって国学と神道が列島に住む人々の常識になる。江戸の剣術道場は武道といっしょにこれらの学問も教えた。
菅野覚明「神道の逆襲」(講談社現代新書)
そこにアヘン戦争の情報が伝わる。西洋がアジアを侵略・征服するという危機と恐怖が人々の意識に定着する。そこから国学と神道が一気にカルト化し、排外扇動と反権力を主張するようになる(攘夷と武装決起と倒幕)。こういう私塾で有名なのが長州の松下村塾。カリスマが過激なことを言うと若者がそのとおりに行動するという状況ができていた。「維新の志士」と称する下級武士は国学と神道由来の尊皇攘夷を思想として血肉化していた。黒船来航で列島の危機と恐怖が現実になると、上流武士や公家も尊皇攘夷の考えに染まっていく。これが尊皇攘夷の温床。すなわち明治政府の前から国体思想はできていた。
また国体思想が優勢な藩ではのちに明治政府が行う政策が先取りされていた。長州藩では戦争で死んだ兵士の魂を祀る招魂社があり、のちに靖国神社になった。薩摩藩では財政危機を乗り切るために奄美諸島と琉球を植民地にして収奪し、利益を軍備拡充に使った。これらは、のちに東アジア諸国や国内マイノリティ居住地を植民地化する政策になる。
明治維新の過程では大政奉還以後の1年の動きが重要。薩長の策略で幕府に大政奉還させたのち、公議政体を作るが公家が主導する優柔不断な寄合所帯だった。財政危機にある過激な武装闘争派の諸藩がクーデターを起こす。戊辰戦争。これによって国体思想の新政府ができ、列強が幕府を見捨て新政府を承認する。新政府は幕府との全面戦争を行うことにしたが、そのまえに幕府が降伏する。旧政権の為政者を排除した以後は、地方に分散する不平士族討伐が主要政策になる。彼らが嫌がることを新政府は次々とおこなう。版籍奉還と廃藩置県で藩主と士族の主従関係を消滅させる。身分制を廃止し不平士族の特権を剥奪し、人民を武士扱いにして新政府権力に統合する。天皇親政と祭政一致によって、国体思想を教育し臣民を醇化する。廃仏毀釈と神仏分離で地方の自治的な共同体を破壊する(これには地方の神道団体が参加)。この過程はロシア革命にそっくり。大日本帝国の原型がこうしたカルト宗教組織によって作られて、宗教と政治が一体化した宗教国家になった。
大久保利通(1830-1878)は以上の新政府の政策の立案者で実行者。彼(を含めた重臣たち)は人民を政治の主体とは認めなかった。無識文盲の民とさげすむ。したがってエリートによる専制政治をもくろみ、工業化を図る開発独裁を目指した。国益や国権のためというが要は人口を増やし軍隊を強くすることに他ならない(もちろん植民地争奪のための先兵にするためであるが、同時に薩英戦争や馬関戦争でイギリスに敗れた恥の仇を取るという心理的な目的もある)。とはいえ復古と宗教国家を前面に出しては列強が承認しないので、形式的な法支配がある君主制(プロシャとロシアがモデル)を目指す。
宗教国家化か君主制かは、1870~71年の岩倉使節団の経験で別れる。留守政府が進めた宗教国家化を大久保らは止めさせ、首謀者たちを粛清する。こうして国内の対抗勢力を大久保は一掃して、独裁の地歩を固める。その後長生きすれば、ビスマルクのような、スターリンか毛沢東のような独裁者として君臨しただろうが、テロに会い49歳で若死にする。
対抗勢力を一掃したといっても、帝国主義化と宗教国家化の政策まで捨てることはない。征韓論は潰したが、台湾出兵を行う。戦争を利用して中央集権と独裁体制を強化する。大久保の弟子筋の政治家はのちに朝鮮併合を進める。軍人勅諭と教育勅語を作り、臣民教育を徹底化する。表現と内面の自由を制限した。国家の主導によらないで人民が集まることを禁じた。重税を課し、徴兵制で人民を皇軍兵士にした。これらは、明治維新前の薩長がやっていたことの反復と拡大だった。大久保はこの道を作った政治家。
本書を読んでも、大久保利通の人柄も思想もわからない。維新の記述も、司馬遼太郎「竜馬が行く」をなぞるようにできごとを記述していくだけ。参考にならない本だった。尊皇攘夷論がどこから出てくるのか説明しない明治維新本はつまらない。
大久保の評価は坂野潤治/大野健一「明治維新」(講談社現代新書)がおもしろかった。
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