2024/07/25 菅野覚明「武士道の逆襲」(講談社現代新書)-1 人を切ってトラブル処理する特殊な少数集団の武士道は日本庶民の徳目とは無関係。 2004年の続き
テキストがないために、同時期の説話や物語、歴史のエピソードから中世期の武士道を抽出する。それを読んでびっくりするのは、武士道は日本の精神史や思想史に全く影響を与えなかったし、影響されてこなかったということ。仏教や儒教の影響はおろか、神道との親近性もない。天皇やその取り巻きの公家の存在は、武士のアイデンティティでは全く無視されている(まあ平安期の武士は天皇や公家の警護にあたったり傭兵に雇われていたのだから、その記憶は消してもいいものだったのだろう)。列島のなかでは、少数ではあるが物騒で接触したくない階層や身分として、庶民や百姓は武士を遠ざけていたのだろう。武士は孤立していた。
江戸幕府で武士が支配階級になると、武士の倫理やアイデンティティをそれなりに体系化しなければならないので、幕府は儒教学者を雇う。あいにく儒教道徳は武士道とは相容れない。なので、武士道の発露といえる「忠臣蔵」も、荒井白石らの儒教学者は法と秩序に背くものとして厳しく断罪されるのだ。支配も数百年たつと武と威は武士の徳目ではなくなり、経済や経営で才覚を発揮したり、法を遵守して組織を運営する能力のほうが重要視される。
明治維新でできた政府は江戸幕府を総否定する。なので、武士という身分・階層を破壊し、特権をはく奪する。しかし、国家神道のイデオロギー拡散のために、「武士道」という言葉を使う。そこから武士道の意味と価値がずらされ、別のイデオロギーにすり替えられる。
第5章 明治武士道 ・・・ 明治政府は国家の軍隊を養成しようとしたが、問題は兵士の統制にあった。多くは元武士だったが、彼らは国家や国民という抽象的な概念を理解していなかった。そこで統合の核に天皇を置き、武士の主従関係によく似た天皇との主従関係に置き換えて理解させようとした。武士道では忠とは裏切らないことであるが、心情的な絆にすり替えて、「大和心」と同一視した。もともと天皇は武士の主従関係にある「仲間」の外の存在なので、天皇を核にするには武士の武士道と民族の武士道にすることが必要だった。集大成が1882年の軍人勅諭。軍人勅諭は武士の否定であり、官職の違いを上下関係に置き換えた。
(堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」で良き調和の翳(鮎川信夫)が軍人勅諭を「ネガティブ」で「ひどく遠慮ぽくって、ぶつぶつくどいてばかりいる」「ぜんぜん積極的じゃなくて、一向にどうもぱっとしねえもんだな。言い訳ばっかりしてる」といっている。軍人勅諭公布の直前に近衛連隊の反乱があったので、軍隊上部は兵士を恐れていたのだね。)
このあと1892年に大日本帝国憲法と教育勅語がでて、皇国イデオロギーにもとづく臣民化システムができあがる。その際に明治武士道(これは著者の造語:江戸より前の武士道と分けるため)が利用される。重用なのは明治武士道は武士の存在と否定し、武芸の練習という武士道の核をなくしたものだった。
さらに時間がたち武士が忘れられてから民間で「武士道」が復活し、多数の本が書かれる。大きく国家主義者が書いたものとキリスト主義者が書いたものに分けられる。いずれも武士道(それも明治武士道)と見本民族の道徳と同一視した。この国会主義はのちの翼賛運動に参加する。キリスト主義者によるものはたとえば新渡戸稲造の「武士道」。この意図は日本民族の道徳がキリスト教の普遍的道徳にも通じていると主張したいため。そのために前置きなしで「義」がキリスト教徳目と同じであると説く。武士道がキリスト教と矛盾しないという主張であった(だから英文で書かれたのだね)。
この明治武士道は敗戦を経ても否定されることはなかった。軍隊が解体された後、職業軍人たちは警察や保安隊、消防などの上下関係の厳しい組織にはいったり、教師になったりした。これらの組織では軍隊式の訓練が続くのと合わせて、武士道を教える。遺風は高度経済成長を過ぎても残り、日本型経営システムの一環になって21世紀でも影響がある。
極右や差別団体を観察していて、明治武士道が今に残している影響は武士道は国民道徳であり天皇との主従関係は建国(とりあえず大和朝廷以来という程度の意味)以来の国民感情であったとするところ。これが過激な愛国や靖国参拝の理由になり、歴史捏造(関東大震災の朝鮮人虐殺、南京事件、731部隊の否定)をする原動力になっている。311以降日本国民の〈絆〉を強調する言動が増えてきたようだが、これも明治武士道に起源をもつ言葉だろう。武士道が命じる天皇との〈絆〉を持つ者同士が〈絆〉で結びつこうというプロパガンダなのだ(だから自然災害が起こると、ホームレスや在日外国人は自治体のサービスの対象外にされる。優先順位を低くされる)。
前の感想でもいったように、武士道にも明治武士道にも日本の道徳規範とされる「和」「おもてなし」「協調」はない。それらがあると考えるのは幻想であり、明治政府以来のプロパガンダのせい。たぶんレット居住者のなかの庶民や百姓は武士道とは別の徳目を持っていた。たとえば「勤勉」「勤労」「共助」、社会的共通資本の共有管理など。これらの徳目は武士道および明治武士道にはないのに、含まれているとされている。
もともとの古式武士道も庶民や百姓にはかかわりのない特殊な少数集団がもっていたものだし、明治武士道は「国体」「皇国イデオロギー」などの一貫ででっち上げたもの。近代国民国家や市民社会にはいらない。さっさと解放されよう。
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