2024/08/12 遠山美都男「天皇誕生」(中公新書)-1 日本書紀を中国の史書や考古学知識などを参照して読み直すと、古代日本の権力史がわかる。 2001年の続き
日本書紀の記述にはふたつのまとまりがある。神武から神功皇后までは律令制国家と天皇制がいかに形成されたかという物語。遠征して奈良盆地を軍事占領した天皇の一族は奈良や周辺の豪族などと婚姻関係を結んで勢力を伸ばし、崇神と垂仁の時代に天皇が全国の神々を祭る制度が確立し、奈良盆地の外延部に支配を拡大する。ヤマトタケルの奮戦で列島支配が完成し、次代で朝鮮半島の「平定」であり神功皇后によって達成した。
もうひとつのまとまりは、仁徳から武烈まで。日本に中国的な王朝が存在したことを主張するもの。途中反乱が多発したものの、徳の高い天皇が良い治世をした。最後の武烈は天の命を実現する資質に欠けていたので仁徳からの王朝は途絶える。
このあとは実在した継体天皇以後の記述であり、日本書紀を編纂した王朝につながるものになる。この王朝が正統であることを示すために古事記や日本書紀が編纂された(それ以前から歴史書が多数書かれていて、日本書紀はそれらと中国の史書の記載を参考にして作られた。最近では編纂者は中国から来た人であるのが有力とされている)。
これらのまとまりには断絶がある(記述では父子関係などにしてつなげている)。それは王朝が断絶し別の王朝に変わったことを示している。
日本書紀は、701年の大宝律令で日本という国号が制定された20年後に編纂された。タイトルに日本とあることと律令制の確立という点からみると、ここには政治的意図がある。すなわち、それまでは日出処、日出国と中国から見た位置を示す名前を名乗っていたのを、日本という天の下つまり世界の中心であるという自称に変えた。世界帝国であることの宣言であり、中国への牽制(もちろん中国は相手にしない)である。中国同様の長い王朝交代の歴史があることを政治的に示すために中国を意識して作られた。一方で天皇の正統性を示す万世一系という観念も入っていた。王朝の交替と万世一系という矛盾する主張が混在しているが、日本の支配者集団はこの矛盾を認識しなかった。中国の王朝交代と同じ形式を持っていれば、中身が日本風にアレンジされていても構わないと考えていた。
したがって、国学や皇国イデオロギーでは古事記と日本書紀の記述にナショナルアイデンティティを見出そうとするのだが
「(古事記や)日本書紀をいくら読み込んでも、歴史的な事実のかけらや、中国の思想・文化の影響を受ける以前の日本固有の姿を拾い上げることはほとんど不可能である。(略)むしろ、日本書紀という歴史書は、中国の文化・思想の受容と摂取なしには、その骨格すら成り立ちえなかった(P241)」
ということになる。
(これらをまとめると、(古事記と)日本書紀のイデオロギーは、天皇崇拝の主従関係と男性優位社会と他民族支配にまとめられる。これは代替わりしても、政権が交代しても変化することはなく、列島の統治理念として機能し続けた。ことに、江戸幕府を否定した明治政府が復権して、大日本帝国憲法(と教育勅語と軍人勅諭)で定式化した。このような成立の過程や記述の方法、中に込められた思想を検討すると、日本書紀は7世紀前半に書かれた「日本国紀(百田尚樹著)」なのだという感想になる。日本は生まれたときからネトウヨだったのだ。日本が朝鮮半島を支配できると考えるのも、ここに起源がある。なんとも気が滅入る。)
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