odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

江川卓「ドストエフスキー」(岩波新書)-1 「日本になじみのないロシアの神話や民俗」を知ることでドスト氏の小説を新しく読み解こう。

 日本のドストエフスキー受容をみると、「罪と罰」「地下室の手記」は別格として、戦前は「死の家の記録」、戦後に「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」に関心をもっていた。そこには翻訳と出版事情、そして社会情勢などが反映している(戦前は官憲に対する弾圧や逮捕経験からの関心だろうし、戦後は実存主義ブームによる)。戦後は人間の実存に深く迫る作品、さまざまな諸相の自由を検討する作品として読まれてきた。
松本健一ドストエフスキーと日本人」(朝日新聞社
埴谷雄高ドストエフスキイ」(NHKブックス
 鬱屈した読み方はそれこそ「地下室」「屋根裏部屋」にいるようであったが、そこに窓を開け風を吹き込んだのが江川卓の一連の著作だった。彼の特長は、テキストの細部とメタファーにこだわる、ドスト氏が参照したテキストと読むということ。そうすると、ドスト氏は深刻な顔つきでぶつぶつわけのわからないことをつぶやいている作家であるだけでなく、パロディと言葉遊びと文体模倣を愛好し、ドタバタとスラップスティックコメディで楽しませ、さまざまな仕掛けで読者がとまどうのをほくそ笑む作家でもあるのだった。そういうドスト氏だから、読書は愉快だし、仕掛けを発見する楽しみがある。深刻癖にこだわると、ドスト氏の多面性・多義性を見失うよ、というわけだ。一連の「謎とき」本がこういう趣向で書かれたが、その端緒になるのが1984年に出た本書。「謎とき」本はひとつの長編をじっくり読むが、こちらでは複数の作品を横断して、新しい見方を提示する。もうひとつの方法は、「日本になじみのないロシアの神話や民俗の紹介」を行うこと。ドスト氏の小説を新しく読み解くための基礎的なコードブックを提供するため。

 個々の作品に入る前に、本書によるごく簡単なロシア文学史(一部独自研究)。ロシアでは教会(とたぶん公文書)が使う教会スラブ語と民衆が使う古代ロシア語に18世紀までは分かれていた。二重言語・二重文化が共存して相互交流がなかった(日本でも漢文と古文に分かれていたのでおかしなことではない)。それでは不便だということで、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、現代ロシア語が作られる。プーシキンゴーゴリなどが現代ロシア語で小説を書きだした最初の世代。また19世紀初頭に現代ロシア語訳の聖書が出たが、教会の横やりで1820から50年代まで聖書は出版されなかった。ドスト氏が持っていて参照したのは1823年版(「罪と罰」のリザヴェータが古い聖書を持っていたのはそういう事情)。ドスト氏が生きていた時代はさまざまなロシア語が混在していて、言葉には多様な語義があった。ドスト氏は言葉の多義性に敏感。小説にも複数の意味を持たせる言葉の使い方をしている。訳し方によっては思弁的・形而上的にもなったり、卑俗で滑稽になったりもする。ドスト氏において、深刻と滑稽は紙一重。こういうところに注意しましょう、とのこと。
(あと重要なのは、日本文学同様、ロシア文学も新しい言葉を使いこなすために生まれて、古い言葉による小説は創作の参考にならないので、外国文学を模倣するところから始まったこと。プーシキンゴーゴリはドイツのホフマンの影響が強い。創作でも怪奇小説や滑稽小説の形式を模倣している。ロシア文学はパロディとして生まれ、第二世代であるドスト氏は第一世代の作家のパロディをすることから創作を開始した。詳細は以下。)

 

Ⅰ 新しい小説世界
 まず初期作品を読み直す。結論がとても刺激的で、解明するまでの調査もおもしろい。
・貧しい人びと: 「貧しい人びと」は「哀れな人びと」でもあり、19世紀前半に出た「哀れなリーザ」という通俗小説を模している。ほかにゴーゴリ「外套」、プーシキン「駅長(「ペールワン物語」のひとつ)」のパロディでもある。ドスト氏の小説はメタ文学ともいえて、パロディ、文体模倣、隠された引用でできている。
・分身: ゴーゴリ文体模写。近代都市の悲劇を田園フォークロア的ホラーとして語っている。
・おとなしい女: 「やさしい女」の意味もあり、使われている言葉からマタイ五5の「柔和なる者」を連想される。柔和なる者は「踏みつけられて我慢している人」の意。聖像をだいて自殺するのが奇妙(自殺者は天国に入れないことを知っているのに、聖像を持って神に許されたいと願っているから)。
・「死の家の記録」と「地下室の手記」はロシア語原題ではとても似ている。正と続であるかの趣き。
・ロシアには上下二段の舞台を持つ人形芝居がある。上段で聖の物語、下段で俗の物語を独立に上演する。ドスト氏はこの人形芝居を意識して小説に取り込んだ。「罪と罰」第1篇のマルメラードフはキリスト幻想に取り憑かれ(聖)、泥酔して笑われる(俗)という二つの物語を言ったり来たりする。
・語り(スカース)は、語り手が作者その人ではなく、作者が擬制した別の人物。語り手と聞き手(読み手)の間を取り持ってほんとうらしさを演出する。そのために各種サービスをする。プーシキンゴーゴリレールモントフらの第一世代のロシアの作者は語り(スカース)に意識的。ドスト氏もデビュー作から作者本人ではなく、擬制した語り手を利用した。ドスト氏の小説を語りでみると、一人称の告白、記録者の立場に徹する「ゼロの語り手」、伝統的な小説作法の三種類に分けられる。最後の伝統的な小説作法ではときに破綻することがある(「罪と罰」「白痴」)。なのでドスト氏は「ゼロの語り手」のやり方で本領を発揮する。

odd-hatch.hatenablog.jp

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2024/08/20 江川卓「ドストエフスキー」(岩波新書)-2 テキストの背後にある「神話、フォークロア、 古今の文学、時事問題にいたる、広大な地平」を実感しよう。 1984年に続く