ドストエフスキーが亡くなったのは1881年。その時から、日本人はドストエフスキーに関心を寄せていた。とはいえ、幕末から明治初期の日本人はおもに英語のテキストを読んでいて、ロシア語に関心を持つものはほとんどいなかった。にもかかわらずなぜ関心をもったかというと、ドスト氏没後のころには英訳が出ていたので、それを読んだのだった。ロシア語を学ぶ者がでてくると、ドスト氏の小説を読んで震撼させられるものがでてくる。それ以来、日本人はドストエフスキーに関心を寄せ続けた。他国はトルストイに注目していたのと大きく異なる。なぜ、日本人はドストエフスキー好きなのか。
そこで本書は日本のドストエフスキーブームを取り上げる。以下のように定期的に起こる。熱狂した代表的人物をリストアップ。
1.明治25年(1892)前後: 二葉亭四迷、北村透谷、内田魯庵「罪と罰」翻訳
2.明治40年(1907)前後: 島崎藤村「破戒」、石川啄木「時代閉塞の現状」、森田草平
3.大正期: 最初の邦訳全集(選集)、芥川龍之介、萩原朔太郎、プロレタリア文学者
4.昭和9-12年(1934-37): シェストフ、ジイド、小林秀雄、阿部知二「冬の宿」
5.昭和20-25年(1945-1950): 石川淳「焼け跡のイエス」、埴谷雄高「死霊」、野間宏「崩壊感覚」、椎名麟三「自由の彼方に」、三島由紀夫「仮面の告白」
6.昭和43-48年(1968-1973): 革命に憑かれた若者たち。
この年表で漏れているのは、ドスト氏の小説をどのように入手するかという視点。邦訳全集が大正期に出ても読者はインテリや学生に限られる。日本人がドストエフスキーに熱中したという点では、昭和30年代に新潮文庫と岩波文庫に主要長編が網羅され、大衆が手軽に読めるようになったことが重要な変化だ。2006年に久しぶりのブームがあったとされるが、これは光文社古典新訳文庫の「カラマーゾフの兄弟」が意外な売れ行きを示したことに由来するので、とくに文学者や研究者の論争やめだった評論が出版されたわけではない。なので、1950年以降のドストエフスキーブームを本書と同じ視点で続けることができるかどうか。
細かいことを言うと、ドストエフスキーに震撼された人に、江戸川乱歩と堀田善衛が入っていないのが不満。乱歩はスリルについて書いた評論で「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」を引用して賞賛している。堀田は直接ドストエフスキーに触れた評論はごくわずかなはずだが、「ある若き日の詩人たちの肖像」でドスト体験を書いているし、長編にはドスト氏の方法を援用したものが多数ある。本書の著者のように心理分析のリアリズムや社会問題摘出に彼らが触れることはなかったが、ドスト氏のサスペンスやユーモアなどの技法やキャラの転用を積極的に実作に反映したのだ。主題や思想の需要だけでなく、技法もドストエフスキー受容で着目しないといけない。
(といったものの、5の敗戦後に登場した戦後文学作品の分析は見事。戦後文学者の有名作にドスト氏の影響を受けたキャラをびしびしと指摘して、ドスト氏の問題を咀嚼して語っているのを見出す。ここに登場した有名作はたいてい読んでいるが、そんなことに気づきもしませんでした。脱帽。)
加えると、ドストエフスキーの小説には、自意識や内面のドラマなどの心理分析のリアリズムや社会問題摘出だけでなく、病的な異常心理への関心、キリスト中心の友愛社会(ユートピア)構想と汎スラブ主義・反ユダヤ主義もある。これらの問題はうえの5つのブームではほぼ無視されてきた。2019/11/19 河出文芸読本「ドストエーフスキイ」(河出書房)-1 1976年は5のブームの時に書かれたらしい論文を多数収録しているが、やはり後者の問題に触れていない。「罪と罰」第6部でラスコーリニコフが大地に接吻する意味をロシア正教抜きに語るのは困難だと思うが、そのことを指摘するようになったのは1990年代になってから。やはり日本人のドストエフスキー受容にはさまざまなバイアスがかかっていたのだ。
ブームが起きた時期をみると、その時代が社会運動の挫折と戦争がある複雑で混乱した時代だったことがわかる。そういう時代に、よって立つ精神を求めるために古典を読むものだが、日本にはそれにこたえられる文学(と思想書)はなかった。なので「ドストエフスキーをありうべき日本文学として読んだ」「日本人がある特殊な時代状況や精神状態に陥ったとき、その日本の特殊な時代状況や精神状態を開明してくれるような文学を持てていない(上巻P5)」という指摘があてはまる。例えば、イギリスならシェイクスピアやロックやアダム・スミス、フランスならデカルトやルソー、ドイツならゲーテやニーチェを危機の時代に参照でき、ロシアではその役をドストエフスキーが担った。ドイツやロシアは封建制から近代に変わるときの精神的な苦闘をそれらの文学者がになった。遅れてきたものたちは先達を導き手にするように特殊な時代状況や精神状態を解明しようとした。でも日本にはそのような文学がない。なので、それが書かれているドストエフスキーに憑かれたのだと説明する。
その理由を日本の遅れとか近代的自我の未発達とかで説明しようとするけどしっくりこない。自分はこんなふうに考える。封建制が近代になるときに、自由や平等などを社会的に実現するには個人が市民として政治参加する仕組みと意識を持つ必要がある。封建制は自由や平等のもとになる個人の自由意志の尊重と相互不干渉の原則に反する。なので近代になるにはこのリベラルの基本を人びとが共有しないといけない。ドイツやロシアはその流入と啓蒙で混乱した。でも日本では近代化と同時に皇国イデオロギーの浸透が行われた。天皇に忠誠をつくし個の価値を低く見る(ときに命を捨てることを受け入れさせる)イデオロギーは、個人の自由意志の尊重と相互不干渉の原則を不要にする。日本人は程度の差はあれ、すべてが皇国イデオロギーを受け入れているので、ドスト氏のような自意識と社会の分裂を経験せずに済ませたのだと思う。
皇国イデオロギーの「和魂洋才」というスローガンはこの事情をよく現している。平時にはこのイデオロギーの支配下にあるひとたちは、社会情勢や権力に違和を持たないし、平安でいられる。でも皇国イデオロギーが要請する植民地争奪の戦争は、社会を緊張させる。ある人々には個人の自由意志の尊重と相互不干渉の原則が必要になり、権力と衝突する。権力の抑圧が強くなるので、人びとは挫折し傷つく。「何もしないでしゃべってばかりいる(@地下室の手記、罪と罰)」自分を発見する。そこにおいて、ドストエフスキーの小説は強いリアリティを持つのだ。これがドストエフスキーに憑かれる理由なのだろうとおもう。
(そのようにドストエフスキーを読むと、病的な異常心理への関心、キリスト中心の友愛社会(ユートピア)構想と汎スラブ主義・反ユダヤ主義などには注目しないだろうねえ。本書を通読しても、誰も差別の思想に触れていないし(せいぜい藤村の「破戒」くらい)、著者もその指摘をしない。日本人のドストエフスキーの読み方にはバイアスがあるんだ。ドスト氏に惹かれても憑かれるまでにいかなくなった21世紀になって、ドスト氏の別の読み方がでてきた。)
(他人事のように書いてきたが、俺も21世紀の20年代に特殊な時代状況や精神状態に向かい合うことになって、ドストエフスキーに憑かれたようなものだからな。でも俺はドストエフスキーの小説に自分自身を見つけたことがないんだ。だから「地下室の手記」と「罪と罰」の読み方は相当に偏屈だろうし、ドスト氏のだめなところもたくさん指摘しているつもり。21世紀の読み方は俺のように自分自身を発見するものではなくなったのではないか。)
日本のドストエフスキー翻訳は訳注がほとんどない。江川卓が一連の「謎とき」本で繰り返し指摘しているように、ドスト氏は言葉に他の意味を持たせることが好きで言葉の遊びで主題を文体と語彙に隠すというからくりを仕込んでいた。そこに小説のテーマが隠されていることがある。なので、原文を示してドスト氏の仕掛けを説明する注解本もあってよい。日本の読者には、ロシア正教と異端、19世紀の社会主義思想の知識が少ない。このあたりの解説もほしい。そうすると、本文より注のページ数が多くなるかもしれないが、必要な本だと思う。とくに「地下室の手記」「罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」。
個人的な思い出。高校生で河出書房版ドストエーフスキイ(ママ)全集を買ったものの、まったく手を付けられずに眺めているだけ。大学生になってから手軽な解説書を読んだ。江川卓の岩波新書、加賀乙彦の中公新書、埴谷雄高のNHKブックス。どれも全くぴんとこなかったが、当時は朝日選書に入ったばかりの本書だけは例外的に「わかった」。ドスト氏の解説というより、「罪と罰」の読み方をめぐる日本近代文学史だったから。学生時代に戦後文学(上の分類の5に相当)を好んで読んだのは、本書の影響だ。一度処分したあと、老年になってドストエフスキーを読みだしたので、再読したいとおもっていた。2008年にレグルス文庫で復刊されたことを知らなかったので、入手できたのは2022年になってから。
この論文を書きだしたのは著者20歳のころで、朝日選書にはいったのは1975年の27歳。この若さでこれだけのものを書いたのかと、再読して初めて驚愕。同年齢のときのおれはもっと怠惰でぼんくらだったからね。
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埴谷雄高「ドストエフスキイ」(NHKブックス)→ https://amzn.to/3YE2rxn
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