2024/08/30 埴谷雄高「ドストエフスキイ」(NHKブックス)-1 いまだに周期的に読まれる「異常な時代における異常な作家」。 1965年の続き
「罪と罰」で感じたアレレは以後の大長編でも続くことになる。
「白痴」 ・・・ 主要キャラが登場するなり、事件が立て続けに起こる集中的な構成法で、「恋愛の平行四辺形」を描く。注目はナスターシャ。彼女はおとなしい少女で凌辱されたのが、冷笑や敵意を隠さない傍若無人さと正確な理解力を身に着けた。この変貌に注目。ムイシュキンは苦悩する存在への共感で魂を洞察する人間、ラゴージン(ママ)は苦悩そのものである情熱。
(ムイシュキンは人を功利主義で判断しない。そこが無垢の魂とみなされるゆえんかな。ナスターシャは「新しく生まれ変わる」ことを達成した女性。新しい人になることは、人間と神の掟による別の苦労を背負い込むことになる。)
「悪霊」 ・・・ 連載と同時期にパリコミューン(1871)が起きたことに注意。社会主知の理想は個性を喪失した多数者の中にあるとドスト氏は見ていて、少数者vs多数者、自由vs苦悩の問題が起こる。ほかに、ステパン氏とピョートルの「父と子」問題や癲癇の至高体験(形而上的なすさまじい閃き)を取り上げる。
(なのでスタヴローギンは美醜善悪の基準をなくしたデカダンスの先駆者という指摘だけとそっけない。)
「カラマーゾフの兄弟」 ・・・ 「悪霊」の多数者と少数者の問題が「大審問官」で深められる。大審問官の問いはパンと奇蹟と権威に関する。ドスト氏は、ゾシマはイワンに対抗できない、なぜならイワンは苦しめられる子供たちを持っているからといった。
(著者は、ドスト氏の生涯の主題は自由であるという。社会的、集団と組織、多数者と少数者、金銭的な自由とさまざまな自由を検討してきたのだ、と。なるほど昭和の時代のドスト氏読解はこういう水準だったのだね。自分は政治学や正義論などをかじってから読んだので、そうは読まなかった。対象や内容の異なる「自由」をごっちゃにしてひとくくりで論じると、わけのわからないものになる。ドスト氏の重要なキーワードが漏れてしまう。)
ドストエフスキイの位置 ・・・ 1881年死去。ヒューマニズム時代(「貧しい人々」から「死の家の記録」)、懐疑と否定の時代(「地下室の手記」から「悪霊」)、人間の魂の深みにはいる形而上時代(「カラマーゾフの兄弟」)に分けられる。特長は、不思議な質を持った時間と空間(一瞬にも一生以上の深い意味がある)、対立と飛躍の弁証法(とくに会話で。高みに向かって破滅する)、魂のリアリズム。50代後半に著作集が売れて生活が安定し、没後ロシアの批評家がとくに「大審問官」で形而上的意味を見出す。それがヨーロッパに伝わり(まあ生前から翻訳されていた)19世紀末からブームになった。以後影響される作家が多数。読者も増えた。
「ドストエフスキイは(略)人類の究極の精神が私たちのもとへあらかじめ送り届けてくれたきた類の黙示的な作家なのでした。(P185)」
(日本のドストエフスキー受容は松本健一「ドストエフスキーと日本人」朝日新聞社を参照。こういう読みが1950年代まであったので、バフチンのような新しい読みが試みられた。)
いかにも日本の独特な作家の読みだった。埴谷の関心事はたいていの読者が焦点を当てるところとは異なる。それは彼もまた異常な体験をして異常なところがある人物であるから(彼の「文学論」を参照)。最後の「黙示的な作家」は彼の誉め言葉で、それに値する作家は世界を見渡してもシェイクスピア、エドガー・A・ポー、ブレイクとドストエフスキーくらいしかいない。現実と黙示、魂の深み、至高体験、多数者の自由と少数者の苦悩など埴谷が焦点を当てたキーワードは「死霊」に現れている。なので、本書も「意識・革命・宇宙」と同様、「死霊」読解の良い参考書になる。
とはいえ、埴谷(にかぎらず戦前から昭和にかけての作家や評論家)の読みは、翻訳だけに基づいているので、論理は飛翔し地に足がつかなくなる。彼らがこだわる「自由」もドスト氏から離れ、政治哲学の成果を無視した偏狭なものになっていくからね。
その読みではよくないというので、江川卓の実証的な読みだし、別の学問の成果を持ち込むバフチンなのだろう。埴谷の本は今となっては個性的すぎ、ドスト氏の解説本として読むには古すぎる。
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