odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 4」(光文社古典新訳文庫)第4部第11編「兄イワン」(承前) 「お前のやりたいことを代わりに俺たちがやったのだ」という大審問官の論理でイワンはスメルジャコフに追い詰められる

2024/09/17 フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 4」(光文社古典新訳文庫)第4部第11編「兄イワン」 思春期のリーザは気まぐれで、他人をいじめ、他人にいじめられることを望む 1880年の続き

 

 モスクワから帰ってきたイワンは、兄弟たちにあうことになる。その際に最も重要なのは、嫌悪し憎悪するスメルジャコフだった。そこでフョードル殺害の真相がわかる。と同時に、馬鹿にしていたスメルジャコフを「おまえは賢い」と認めざるを得ない。ここは「大審問官」に対応。すなわち、イワン=「大審問官」は「彼(イエス)」に対して「お前のやりたいことを代わりに俺たちがやったのだ」と民衆を支配することを正当化したが、スメルジャコフは全く同じ論理を使って「すべては許されている」というイワンを追い詰めたのだった。

第11編「兄イワン」(承前) ・・・ スメルジャコフは事件の直前に穴倉で発作を起こした。同居する老夫婦の世話になったものの、医者も危ないとみなすほどの容体だった。しばらく入院した後、新たに用意した家で療養している(フョードルの屋敷には誰も住まない。遺産相続手続きも行われていない)。そこにイワンは訪問する。近々始まるドミートリーどの審理でどう証言するかを検討するため。すでにドミートリー犯人説には疑いはないが(モークロエの大宴会の前にドミートリーがカテリーナ宛に書いた手紙を入手している)、スメルジャコフの証言も得ようと考えたためだ。イワンはスメルジャコフを馬鹿にし、ふてぶてしさや憎々しさに嫌悪を持っているが、発作を起こしてからのスメルジャコフの様子は変わった。卑屈で従順な感じが消え、イワンを小ばかにして嘲るようになったのだ。その変化が何か気になり、イワンは三度スメルジャコフを訪れる。三度目にしてついにスメルジャコフは恐ろしい告発をする。
 すなわち、「(父フョードルを殺したのは、そこにいるあなたです。ただあなたの手足を(私は)務めたに過ぎない」と。事件の前に執拗に「チェルマシニャーに行くのか」と尋ねたが、それはイワンが父の死を願っているのを試してみたからで、行くと答えたからイワンがスメルジャコフに何かを期待しているのだと確信したのだ(イワンは出発の直前に心変わりしてチェルマシニャーに行かなかったることをスメルジャコフには言っていない)。そしてドミートリーがフョードルの部屋から逃げ出し、グリゴーリーが昏倒しているのを見つけて、フョードルの部屋に行ったのだと説明する。そして長靴下から3つの包みを取り出し、3000ルーブル入っているのを見せた。それがフョードルの部屋から盗み出した金だという(ドミートリーが泥棒にはならないと誓っていたのをあっさりと「踏み越え」てしまうのだ)。スメルジャコフはイワンを嘲笑する。

「すべては許されるとかいっているのに、今はすっかりおびえている」
「イワンは賢くて金が大好き。安らかで満ち足りた生活をしたい。永久に自分の生涯を棒に振ってまで、そんな恥さらしなことをわざわざ法廷へ出てなさるおつもりはありません」
「あなたは三人の御兄弟のうちでもいちばんフョードル・パーヴロヴィッチに似ておいでです」。

 一度はスメルジャコフをぶん殴ったイワンだが、殴られなれているスメルジャコフはもうイワンの言うがままにはならない。明日の法廷でお前が犯人だと告発してやる、今までの会話をばらしてやると憤るイワンを続けて嘲笑する。会話があったことを否定するし、イワンは病気だと証言するから、だれも認めないだろう。そして3000ルーブルを持っていけ、その金でアメリカに行こうかとも思ったがどうでもいい。

「殺したければ(私を)殺せばいい。でもそれさえもできない、何もできない」。

 イワンはスメルジャコフを初めて賢いと思い知る。(三度目の訪問は吹雪だった。行きで酔っぱらった百姓が行き倒れているのを見つけて放置したが、帰りに雪に埋もれだしているのをみつけ、近くの農家といっしょに保護する。イワンは辱められ虐げられている人を放置する人に憤っているが、実際に手を出すことはしなかったが、スメルジャコフとの話のあとには無償の行為を行えるようになった。)

 イワンは無教養で粗暴で厚かましく卑屈なスメルジャコフを人と思ってこなかったが(農奴制廃止から十数年ほどしかたっていない)、思いがけず彼にリスペクトに値する人格があることを知ってうろたえる。しかも、スメルジャコフのいうことはイワンの思想の純粋化、形式化の徹底であった。イワンの理屈が机上の空論であるのを実地にためすところまで推し進めていたのだった。イワンは、泥棒や人殺しをすることを実行することを想定していない。それをしなければならないほど生活が追い込まれていないし、貴族的な生き方ができるところでは貴族のモラルが犯罪や他者危害を許さないのであった。でも、スメルジャコフは人の掟をやすやすと「踏み越え」ることができる。人間らしく扱われてこなかったし、孤立し誰の援助も差し伸べられないところで生きてきたから、人の命は価値がなく軽いのだ(ラスコーリニコフには新しい人間になるための資金確保という名目はあったが、スメルジャコフにはそのような動機はない。しいていえば思想の実践。乱歩の「異様な犯罪動機」(探偵小説の謎)にもなさそうな珍しい動機)。
 イワンは「無神論者であれば、すべては許される」とかんがえていたが、それだと泥棒や人殺しをしても罪にならないことになってしまう。たぶんイワンはそれでは社会秩序が保たれないから、宗教が国家になって(強制的にでも)人間が神を信じることができるようになり犯罪を実行せず無秩序にならない社会ができると思ったのだろう。人にはある程度の割合で無神論者が生まれてしまうが、彼らが新しい人間になって社会を支配する少数者になれば、問題を回避できるともおもったのだろう。その思惑を卑劣で厚かましく、神を信じていないスメルジャコフがやすやすと粉砕してしまtった。社会をどうするかの展望はなく、人類を愛してもいない人間が人を殺し金を奪う。それも目的もなく。人や神の掟を踏み越えさせない理由を超越論的存在や神の命令にみていたのだが、イワンのやり方ではうまくいかない。別のところ(「大審問官」前のアリョーシャとの会話)では功利主義を善や正義の根拠にするのを否定しているので、解決策がない。これはイワンの考えに対する大きな挑戦。踏み越えたと思ってたどり着いた地点は、社会のある種の層にはあたりまえのことだった。
 スメルジャコフはイワンの論法をそのまま使った。イワンが想像した「大審問官」は教会の権威があまねく社会に浸透している時代に、権威を懐疑する「彼(イエス)」の存在を憎む。社会の秩序が壊されるから。なので、大審問官は「彼」にお前がやるといっていてやらなかったことを俺たちがやっているのだと弾劾する。全く同じ理屈でスメルジャコフは「すべてが許されている」のになにもしないイワンを嘲笑する。イワンは何もしないから、彼の発言は関心を持たれていたので、やってしまったスメルジャコフには何も言い返せない。かつてはいきなり殴りつけたが、もはやそれもできない。「彼」は弾劾する「大審問官」にキスをしたが、イワンはスメルジャコフを許すことができない。
(イワンは第1部第2編で神への信仰をなくせば、生命力が枯渇して、すべての不道徳が許されるといった。彼が想定する不道徳は他者危害や犯罪ではない。せいぜい好色や金儲けに関することまでだった。それをスメルジャコフは曲解する。善や正義の根拠が外から命令された内心にあるとしていたから。正義の社会構成論をイワンが知っていたら、スメルジャコフの曲解を防げたかも。でもこの虚無と破壊の男は別の屁理屈を見出しそうだ。)
 それにしても、スメルジャコフがイワンは父フョードルに最も似ていると喝破したのにイワンは驚愕して動揺しただろう。女好きはすでにカテリーナとの恋愛で発覚していたし、神が作った世界を信じられないイワンは神のことを考えていてばかりであるが、金儲けはイワンには無縁であるようだった。なるほどスメルジャコフの指摘を受ければ、ドミートリー救出にかかわる費用負担は遺産相続などを加味したち密な計算の上に決めている。金にはうるさいし細かい。金儲けの素養はあるのだ。イワンはフョードルを毛嫌いし憎悪し殺したいくらいと思っていたが、似ているとは想定していなかったはず。父とそっくりな自分を見出すのは、エディプスコンプレックスを根強いものしてしまいそう。

 

 

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2024/09/13 フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 4」(光文社古典新訳文庫)第4部第11編「兄イワン」(承前) イワンの前に現れた紳士は悪魔でありスメルジャコフでありイワン自身である。この章は「大審問官」のパロディ。 1880年に続く