1880年6月8日にドストエフスキーはロシヤ文学愛好者協会でプーシキン論を講演した。この協会にはロシア派と西洋派がいて険悪であり、前者と目されていたドストエフスキーは講演を気にしていた。幸い、いずれからも賞賛を浴びることになった。なので、この年に発行された唯一の「作家の日記」で講演全文とその釈明を発表することになった。
ドスト氏の「プーシキン論」は「作家の日記」に収録されている。論文だけ取り出してテキスト起こししたので、こちらで読もう。いずれも全集以外では読めないはず。
前回の感想は下記。
フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 下」(河出書房)-3(1880年)
後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明 1880.8 ・・・ ロシアはピョートル大帝の改革とヨーロッパおよびその科学の導入で発展してきたのであるが、民衆精神は忘れられていた。それを発見し文芸で表現し世界文学かつ民衆文学に高めたのがプーシキンである云々。この釈明の眼目は、ドスト氏の祖国愛なのである。「ヨーロッパとその科学の最後の言葉は、文化的・人道的無神論であるというのが、一般的結論になっている」というが、ロシアはヨーロッパに見下されてきたのである(こういう見下しの視線に侮辱や屈辱を感じる人がドスト氏の小説にたくさんでてきて、いかに侮辱や屈辱を払底するかが大問題であった。その考えや気分はドスト氏自身のものでもあるらしい)。今(1880年)ロシアのインテリは西洋派とロシア派に分かれているが、民衆を中心に据えればその対立は解消する、特にプーシキンの精神に帰ることによってという。
ロシアも遅れて近代化を進めてきたので、外来思想に対する反発がありナショナリズムが生まれる。その際に伝統や歴史で西洋に対抗しようというのは、ヨーロッパの周辺国ではよくみられることだった。極東の日本でさえも。
プーシキン論 1880.6.8 ・・・ プーシキンの仕事は3期にわかれ、それぞれの仕事でロシア人の典型を描き、同時に心底から民衆と融合している。ヨーロッパ文学にはシェイクスピア、セルバンテス、シラーの天才がいるが、プーシキンは彼らに遜色がない。という文芸の話の結論で、ロシア人はヨーロッパの隆盛に貢献してきたし、ロシア人は全ヨーロッパ的・全地球的であるのだ、
真のロシヤ人なることは、とりもなおさず、ヨーロッパの矛盾に最後的な和解をもたらし、いっさいを結合する全人間的なおのれの魂の中に、ヨーロッパの悩みの捌け口をさし示し、同胞的な愛を。もってすべての同胞をその中に収め入れ、ついにはおそらくすべての民族を、キリストの福音にしめされた掟によって充全に同胞として結合さすにたる、伸大なる一般調和の決定的な言葉を発するという、かかる目的に向かって努力することを意味するのである。人間の同胞愛のことと、全世界人類の同胞的結合のためには、ロシヤ人の心がおそらくあらゆる国民の中で、最も適した素質を持っているだろう
と自国民を讃える。主張の妥当性はひとまずわきにおくことにして、ドスト氏のナショナリズムをみればよい。遅れた国が自国の文化が優越していることを誇り、国民統合の象徴にするのはよくあること。例えばドイツでは、ゲーテ、モーツァルト、ベートーヴェンなどが使われた。だいたいその時代の「現在」から50~100年前を持ち上げる(日本でも明治維新100年の際に祝賀行事が行われた。しかし日本にはモデルにできる文芸哲学の偉人がいない。そこで政治家を持ち上げたいが、若くして死ぬか身持ちが悪いかなので統合の象徴になれない。)。
<参考>
フーゴ・フォン・ホーフマンスタール「選集3 論文・エッセイ」(河出書房新社)-2
ついでにいうと、2022年にロシアのプーチンがウクライナ侵攻を始めたとき、おれはドストエフスキーの汎スラブ主義が怪物のように復活したように思った。
国家が近代化した時の第1世代は、自国の強みと弱みを客観視してナショナリズムとグローバリズムのバランスを灯篭とする。次の世代になると、自国のシステムで発展できるようになるので、諸外国のことに関心を向けなくなる。ナショナリズム意識が大国意識に変わり、周辺国家や国内マイノリティへの差別意識が生まれる。ドスト氏がいるのはこの次の世代。なので、彼には汎スラブ主義と反ユダヤ主義がある。そこから全体主義へはたやすく移行する。ドスト氏の「地下室」の人たちは全体主義運動を準備する「新しい人々」をいち早く活写した。小説には表立って現れないドスト氏の精神をこのプーシキン論に見ることができる。なので、ドスト氏に関心を持つ人はこの論文は必読だ。