2024/10/24 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)第3部7.8 ステパン氏とスタヴローギンの終わり、そして誰もいなくなった 1871年の続き
という具合に、どうも熱の入らない読書になってしまった。十数年前の初読ではしばらく口を開く気になれないほどの衝撃を受けたものだが。
かつては、ピョートルやシャートフ、キリーロフ、あるいは五人組のシガリョフやヴィルギンスキーなどの思想の違いを吟味しようとしたのだが、今回は検討することはなかった。すでに個々の章の感想に書いた通り、誰もが全体主義運動の参加者であり、口にするのは全体主義運動のスローガンだったから。ピョートルとキリーロフとシャートフの考えは離れていて対立しているように見えるが、思想の力点が異なるだけ。他人の命や価値を低く見て、自分の命に無頓着である。他者の複数性に関心を持つことがなく、全体の意志が一致することが重要であるところもそう。その結果、全体の意志に一致していないものは排除したり、同化を強要したりするのをためらわない。ときに、異端や反抗者を殺害することも行う。こういう共通性がある。
もうひとつ、彼らの思考には<この私>と全体だけの二分法がとられる。第2部第8章で、ピョートルが「僕らは混乱の時代、堕落の時代を作る。シガリョフが言うような支配者と奴隷の社会にする。各人は全体に属し、全体は各人に属する。全員は奴隷として平等になる。全員には支配者が必要で欲しているので、服従を組織する」と発言しているのが典型。そうすると、各人は全体に参加するか背をそむけるかしかなく、一度参加すると離脱したり脱走したりすることができない。そういうのを許すと全体が破壊されるという恐怖があって、査問や粛清やリンチの対象になる。そうなるのは、<この私>(キリーロフは我意と言っていた)と全体の二分法で、社会やコモンの存在が消去されるから。社会やコモンに参加することで、他人の意見が自分と異なることを知り、自分の考えと行動を変えていく。そういうことで自由を獲得する。全体主義にはこのような共和主義のやり方がない。これもピョートルやスタヴローギン以下五人組やその影響下にあるものたちが、査問や粛清やリンチに向かう理由。
(ステパン氏の自由主義はすでにサロンのおしゃべりやディレッタントの手慰みになっていて、スタヴローギンやピョートルらの全体主義に対抗できない。実際に自由主義が無効というわけではなく、西洋派が嫌いなドスト氏が戯画化しただけしょう。その後の全体主義運動とアンティファシズム運動をみると、最後まで全体主義運動に対抗するのは強い個人主義をもつ自由主義者のほうだった。)
そのうえ、キャラも行動も「罪と罰」で起きたことの繰り返しに見えるとなると、読書して考えることがない。
むしろ、「悪霊」は「ステパンチコヴォ村とその住人」にの系譜にある滑稽小説、ユーモア小説と見たほうがいい。コンメディア・デ・ラルテや「パンチとジュディ」のような民衆滑稽劇を19世紀ロシアにあうようにモダンにしたのだ。
(ドスト氏の意図は1860年代の西洋派の潮流である自由主義と社会主義をコケにし、スラブ主義が西洋派によって不当に抑圧されているという考えの披露にありそう。そうすると「悪霊」に近いのは「作家の日記」。雑誌に書かれた膨大な社会時評のエッセンスが「悪霊」なのだ。こうしてラスコーリニコフの計画のうち、自由主義と社会主義が潰えたので、ロシアを救うのはシャートフの汎スラブ主義である。とても観念的な汎スラブ主義を具体的な組織と運動論でもって構想しようというのが、「カラマーゾフの兄弟」なのだろう。この汎スラブ主義実現の障害になるのが、西洋化近代化の政策を進め専制政治で政府批判を抑える皇帝その人である。となると、いかに近代化と専制性を打倒するかが課題になるのだ。)
繰り返しになるが整理しよう。「罪と罰」でラスコーリニコフは、人間と神の掟を踏み越えて新しい人間になり、少数の新しい人間が大多数の平凡な人たちを支配することを構想した。そのために殺人を犯したのであるが、ラスコーリニコフは恥辱や屈辱という予想しなかった苦痛に耐えることができなかった。そこで人間の掟に従うことを決意し、神を愛する努力によって自分の構想を実現することを目指す。
「悪霊」のひとたちは、ラスコーリニコフの後継者か使嗾された人たち。とくにラスコーリニコフの構想や計画を引き受けたのはスタヴローギン。ラスコーリニコフにないが、スタヴローギンにあるのは、決闘で人を殺したり幼女を凌辱して死なしめたこと。後者の幽霊には苦しめられるとはいえ、決闘にいたる屈辱や恥辱を平然と受け流し、銃弾を受け入れるだけの度量はもっている。そのうえ、ラスコーリニコフができなかった計画の組織化にも着手した。しかし、スタヴローギンは途中で関心や興味を失う。集まったものがバカばかりであるとか、幹部にも理解されていないことに絶望した(あるいは簒奪に怒ったのか)とか、神輿になって他人に担ぎ上げられている状態に我慢できなかったとか、全体主義運動のリーダーとして世界を制圧する欲望にかけていたとか、いくつか理由をでっちあげることができる。最も大きいのは、スタヴローギンは神に生を用意されていなかったから、なのだろう。神をなくしてしまった人が神を踏み越えようとしても、どこかに陥穽があって失敗するようになっている(と解釈するのは、神を悪魔に見ているようだ。そんなに意地がわるいはずがない)。
(それもあるが、全体主義運動ではイデオロギー(「悪霊」ではピョートルが説明している)を指導者が何度でも説明することが大事なのだが、スタヴローギンにはこの雄弁が欠けていたせいかもしれない。同じことを繰り返ししゃべるのに飽き飽きし(それはピョートルが得意)、イデオロギーの不備や空疎さにいち早く気づいて、全体主義運動から脱洗脳したのだろう。明晰すぎるがゆえに全体主義運動のリーダーになれない。ラスコーリニコフの言う新しい人間になる資質をここで欠いていたのだろう。)
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2024/10/21 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)感想-2 雑感:神懸かり、好色な男の地獄行き、分身 1871年に続く