2024/11/15 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 上」(新潮文庫)第1部1.2 女性依存のステパン氏は捨てられることになっておろおろし、放蕩息子スタヴローギンが帰還する 1871年の続き
新世代のスタヴローギンもピョートルも小説の外にいるので、話は現在(1869年)老人であるステパン氏とワルワーラ夫人の周囲を経めぐっている。高慢で高圧的なワルワーラ夫人が居候のステパン氏を振り回すのは、「ステパンチコヴォ村とその住民」の再話のよう。
第3章 他人の不始末 ・・・ 消沈したステパン氏は自宅にこもっている。そこに評判の悪いリプーチンがキリーロフを連れてきた。26、7歳の建築技師で4年の渡欧から帰ってきたのだった。彼はピョートルの親友で、自殺の調査研究を行っている。キリーロフはシャートフが住んでいる建物に居を構えていて、シャートフ夫妻のことも知っていた。リプーチンはスタヴローギンの知り合いであるレビャートキン大尉も同じところにいるという。この大尉にはよくないうわさがあり、妹マリアを折檻してびっこ(ママ)をひいているが、最近何百ルーブリも持っているという評判があった(結婚するのでなければ女性が大金を持つことはまずない。あとでスタヴローギンが領地をレヴャートキンに譲ったことがリプーチンの口からわかる)。
(という具合に、シャートフのまわりにキリーロフ、レビャートキン大尉が集まり、スタヴローギンとピョートルもしばらくすれば帰ってくる。誰もが渡欧していたのが、なぜか時を同じくして帰国し、一つの建物に暮らすのである。)
シャートフを訪問した「私」はキリーロフに招かれる。彼は夜は眠らないでお茶だけで暮らしている。彼が言うには、人は苦痛や恐怖を愛するがゆえに生を愛している。しかしそれは欺瞞。だから人間は不幸。そのような生には自由がない。生きていても生きていなくてもどうでもいい人間、それが新しい人間である。痛や恐怖に打ち勝てば、死の恐怖や痛みを克服できれば、人は神になる。自分を殺す勇気のあるものが欺瞞の秘密を見破る。神をなくし何もなくなるようにすることはだれにもできるはずだが(そのとき人は自由になる)、誰も一度としてしたものがない。恐怖を殺すためだけに自殺する者が神になる。神はいないが、神はいる。
(単体の奇妙な自殺論とみてもいい。埴谷雄高が「死霊」他で書いている宿命論・運命論から免れ自由であることを証明するのは自殺と子供を持たないことというのはキリーロフから来たといえる。でも、おれはキリーロフの考えはラスコーリニコフの「踏み越え」論の延長にあるとみたい。ラスコーリニコフは苦痛や恐怖を愛せず生を愛していなくて、不幸だった。彼は自殺できない。キリーロフからすると、生の欺瞞の秘密を暴く勇気がなかったことになる。キリーロフは「ナポレオン」になることは全く考えず、生きていても生きていなくてもどうでもいい人間になろうとする。ラスコーリニコフを嘲られるところに行こうとするのだ。)
(スタヴローギンは決闘で人を殺していても反省していないし(別の事件を起こしていることが後にわかる)、キリーロフと合わせて、「罪と罰」一冊かけてラスコーリニコフが考えていたことをあっさり否定し止揚しようとしているかのよう。)
(キリーロフの考える自由はちょっとよくわからないが(たぶん内面の自由に関するのだろうな)、たぶんステパン氏が主張する権力への自由への批判にもなっていると思う。)
(片山杜秀は「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」(文春新書)で、市民社会の成熟と近代化で行き詰まりを感じた西欧は「超人」をめざすようになった、その端緒はワーグナーだといっている。もっともよく知られた「超人思想」はニーチェだが、彼の思想がワーグナーの影響を受けていることは明白。彼のあとの「生の哲学」や同時代のヘッケルの科学哲学なども人間の超人化をめざしていた。そういう系譜に、ドストエフスキーを入れることも可能なようだ。キリーロフの思考だけでなく、「罪と罰」のラスコーリニコフや「おかしな人間の夢」の語り手も超人になろうとしていた。)
ステパン氏は、ダーリヤとの結婚が周囲に知れ渡っているのに、意気消沈してしまう。タイトルの「他人の不始末」はステパン氏の口になるものだが、他人の不始末の後始末で自分が結婚させられるのだという自嘲で自虐。ダーリヤがスタヴローギンと関係を持ったという中傷に由来。ピョートルが流したものだと、第2部第1章で判明する。
第4章 びっこの女 ・・・ ワルワーラ夫人の知り合いの娘であるリザヴェータはある雑誌のアイデアがあり、実現のためにシャートフと作家の「わたし(アントン・ラヴレンチエヴィチと名乗る)」を呼んだ。シャートフは乗り気になったが、印刷手配と聞いて突然断り、ふいに出て行ってしまう。「印刷所」が問題らしい。リザヴェータはマリヤに会いたいという。
「わたし」がシャートフの家に行くと、キリーロフとシガリョフが激論していたが、「わたし」を見かけると同時に口をつぐみ、数分して挨拶もせずにいなくなってしまう。間のわるくなったシャートフは「リベラリストは下男を探している、自分は下男になった」と謎めかす。3人は数年前までアメリカに渡航して、奴隷労働をしていた。工場労働、奴隷労働を体験していたのだ。あまりにもきつくなったので、スタヴローギンに金を出してもらって帰国した。
(過去の断片的な情報。シャートフ、キリーロフ、シガリョフ、ピョートルらはペテルブルグで何かやっていて、その中心にはスタヴローギンがいるらしい。彼らはこの一月余りの間にいっせいに、突然、この町に帰ってきた。)
レヴャートキン大尉は不在であったが、マリヤはいた。兄に折檻を受けているのだろうと聞くと、兄を下男扱いしているのだと返す。一日中座って空想しているかトランプ占いをしているか。彼女のトランプ占いはこの小説の行く末を暗示しているかのよう。マリヤは教会のできごとを話し、赤ちゃんがいたという。聖痴愚らしいマリヤの言葉を二人は無視する。シャートフの家に戻ると、酔っぱらったレビャートキンがドアを激しくたたく。シャートフがマリヤを売ったのだろうと咎めると、大尉はうろたえ否定して去る。
(レビャートキン大尉とマリヤは「罪と罰」のマルメラードフとリザヴェータのよう。生が苦痛で恐怖である人と聖痴愚。加虐と被虐の依存関係(立場は頻繁に入れ替わる)。その原因は過去に大尉がマリヤを売り、マリヤに赤ちゃんがいたことと関係あるかもしれない。)
ワルワーラ夫人が礼拝式にいくと、リザヴェータとマリヤも来ていた。ワルワーラ夫人が退席しようとすると、マリヤが彼女の前に跪き、「あなたの手に接吻したい」という。夫人はマリヤを自宅に連れて帰る。
(「罪と罰」の聖痴愚はそうそうに退場したが、「悪霊」の聖痴愚はいるのに誰もそうであると認識しない。なので、彼女の救済は誰にも届かない。)
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2024/11/12 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 上」(新潮文庫)第1部5 スタヴローギンの過去が暴かれれ、ステパン氏は引きこもる 1871年に続く