2024/12/03 フョードル・ドストエフスキー「白痴 上」(新潮文庫)第1編6-11 天使人間、ナスターシャを中心にする三角関係に巻き込まれる。 1868年の続き
第1部の終わりは怒涛の展開。ナスターシャの部屋に人が集まっていて、そこに客が来るごとに事件を持ち込む。混乱と哄笑がわき、最後にはこの世を浄化する炎が舞い上がる。
12 ・・・ ムイシュキンはナスターシャに会いたいがペテルブルグの街は不案内なので、イヴォルギン将軍に連れて行ってもらいたい。でも将軍はカフェでへべれけになっている。ようやく腰を上げたが、行ったのは元部下で戦死した大尉の未亡人マルファ・ボリーソヴナ。彼女は将軍を見て激しくののしる(将軍が借金を返済しないので)。そこにコーリャが来て、ナスターシャの部屋まで一緒に行こうと誘う。実はコーリャはマルファの息子で肺病で死にかけているイポリートをムイシュキンに紹介するつもりだった。
13 ・・・ すでに夕刻。ナスターシャの部屋では夜会が行われていてた。いたのはトーツキイ、エパンヂン将軍、ガブリーラ、フェルディシチェンコら。座を盛り上げようと、フェルディシチェンコがくじを引いて順に人生で犯した最も大きな悪を告白しあおうという。ムイシュキンは5番があたった。
(イギリス小説では、暇を持て余した中産階級の大人が集まって、ゲームに高じることがある。でもこういう露悪的な出し物はなかった。ロシアでもあるとは思えない。これはやはりドスト氏の創作だよなあ。勘ぐれば、ラスコーリニコフは悪を告白して他人に笑われることを恐れていたから、このゲームを楽しめるものは「人間の掟」を踏み越えているとみなしてもいいかも。)
14 ・・・ フェルディシチェンコと将軍とトーツキイが話す(いずれも性や老人差別。ナスターシャでなくとも気分が悪くなる)。ナスターシャはムイシュキンに結婚してもいいかときくと、「結婚してはいけない」と返事され、翌日にトーツキイの家からでていく、75000ルーブルを好きにしていい(もとはトーツキイが渡したもの)00000と宣言。そこにロゴージンが闖入する。
(ナスターシャはムイシュキンを「生まれて初めて信用できる人」だと認識した。好色と金儲けの欲望ばかりの男が言い寄ってきてうんざりしていたのだろう。そこに欲望を持たず他人を目的にする人が現れ、彼女は衝撃を受けている。)
15 ・・・ ロゴージンと取り巻き十数人が入ってくる。ロゴージンは現金10万ルーブルを持ち込んできた。ナスターシャは一文無しになったが、それでも結婚したいものはいるかという。ムイシュキンは「ナスターシャと結婚します。彼女は純潔だから。苦悩の中、地獄から清らかな人として出てきた」。そしてスイスでモスクワの資産家の手紙を見せる。莫大な遺産を受け取れると書いてある。その手紙は本物だと、資産家を知る高利貸しが認めた。
(愛を金で買おうとする男たちがナスターシャとの結婚を求めて値を吊り上げる。現金までみせて愛を買い取ろうとする。しかし直前まで一文無しだった「おばかさん」がその誰よりも多くの金を持つことになって、欲望まみれの男たちの上にたってしまう。上下が一瞬で逆転してしまう。)
16 ・・・ ナスターシャはムイシュキンと結婚してもいいというのだが、ムイシュキンが「ロゴージンと同棲なんかしてはだめ。誇り高い女だから。面倒を見てくれる人が必要。それに僕がなる」と返事すると豹変。ロゴージンと出ていくといい、笑い転げる。彼女に求愛したムイシュキン、ガブリーラ、トーツキイをバカにし、ロゴージンが用意した10万ルーブルを暖炉に投げ込んだ。ガブリーラがそれを素手でとれれば金は全部ガブリーラのものだという。必死に歯を食いしばるガブリーラ。横から手を出そうとしてたしなめられる男ども。驚愕する女たち。ガブリーラが失神したところで、ナスターシャは金を火箸で取り出し、目が覚めたガブリーラに与えよと言って出ていく。
(ナスターシャは手を差し伸べられて救済の道を示されると、その逆を選ぶ女性。それは自身が売り買いの対象にされていて、近寄る男たちを軽蔑するか従属するかの経験しかなかったせいかのよう。強い自尊心と深い劣等感が混在していて、情緒が不安定なように見える。奉仕したという欲求がすぐに自己の低評価になって自己破滅を志向し、他人を侮辱のをとめられない。こういう女性は「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」やネルリ、リーザ(「カラマーゾフの兄弟」)などがいる。)
ナスターシャの部屋に集まってからの夜会は圧巻。章が変わるごとに事件が起きて、次の章では前の章の感想が覆される。そして10万ルーブル(21世紀の日本円の現在価値に換算するといったいいくらになるのやら。一億円くらいとでもみるか)を燃やすという唖然とする進行。金を価値を認めない女性はなぜかそれだけで神々しさが漂うかのよう。それほどにナスターシャは反資本主義、反拝金主義であるわけ。男が金に執着し小金でも計算高いのとは大違い。
そこでも俺は前作ラスコーリニコフと対比して考えたくなる。彼は一文無しだったが、寄付することには躊躇しなかった。彼は世界革命のために貨幣の禁止を自ら実行するという意思があった。それとナスターシャの貨幣の嫌悪とどう違うのかなと。
あと、ここまでの小説の舞台は室内。前の小説にあったペテルブルグの路地を歩き回ったり、田舎の通りを駆けたりすることはいっさいない。ずっと室内の、しかも同じ部屋にいる。でも小説は停滞しない。しんねりむっつりしない。大きな部屋に多人数が集まっているからだけど、ドスト氏の小説技巧がとても洗練されていることの証左。というかこういうクライマックスを作れる作家はほかに思い当たらないくらい。
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2024/11/29 フョードル・ドストエフスキー「白痴 上」(新潮文庫)第2編1-5 ロゴージンの前から許嫁の消え、ロゴージンはムイシュキンを襲う。 1868年に続く