2025/01/10 フョードル・ドストエフスキー「罪と罰 中」(岩波文庫)第4部5.6 ポルフィーリィ、ラスコーリニコフを追い詰める 1866年の続き
第5部はマルメラードフの葬儀。解説などによると、ドストエフスキーは「罪と罰」の構想は別に、貧しい人々の悲惨を描く小説も用意していたという。それを合体したのが、現在読める「罪と罰」。ラスコーリニコフの犯罪や踏み越えの問題を追っていくと、マルメラードフの物語はいささか場違いにもみえるが、ソーニャがいることで二つの物語が深くつながり、犯罪と窮乏からは浮かび上がらない問題をラスコーリニコフに抱えさせることができた。すなわち、
4.踏み越えた人間による「蟻塚」の支配をどう実行するか。
それは「新しいエルサレム」ではない。「水晶宮」でもない。この世の中に、歴史上に存在しなかったユートピアを作ることである。第4部まででは神から見放され地から呪われたところであるようだ。


1.ペテルブルグの宿泊先にしているレヴェジャートニコフの部屋でルージンは不機嫌。侮辱が忘れられず、「自分の願望を口にすることでラスコーリニコフを亡きものにできるなら、すぐに願望を口にしたに違いない」。そのレヴェジャートニコフは進歩主義でコンミューン運動の参加者。彼の空想的社会主義(フーリエとかオーエンなど)をルージンはからかう。レヴェジャートニコフによると、人類に有益なものだけが高尚で、ソーニャは肉体をはった体制への抗議なのだという。ルージンはマルメラードフの葬儀に呼ばれていることを知ると、ソーニャを呼んだ。葬儀に金がかかっていることや子供たちの将来をいって、ソーニャに10ルーブル紙幣を渡す。
(人類の掟を打ち破ることが「踏み越え」であるとすると、ルージンのは掟を利用した「見下し」か。共通するのは他人の尊厳を認めないこと、積極的に人体や人格を棄損しようとすること。ラスコーリニコフもマルメラードフ一家に25ルーブリを渡しているので、ルージンのはその対抗であるが、金額がけち臭い。)
(レヴェジャートニコフは自由恋愛、自由結婚を認め女権拡張を主張する。それが空想的社会主義と一緒になっているのは、チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」の揶揄・批判を含めているのだろう。)
2.カチェリーナは貧乏と心労と肺病と周囲の差別によってすっかり気がくるっていた。ラスコーリニコフとルージンから受け取った金をすべて追善供養につかい、アパート中の住民を招いたのだった。手配は大家のリッペヴェフゼル夫人が行ったが、もともと犬猿の仲なので、雰囲気はピリピリしている。それに飲んだくれた糧秣官がカチェリーナをからかい口げんかになる。ついにはリッペヴェフゼル夫人もカチェリーナをなじりだし、カチェリーナがつかみかかろうとするところにルージンが入ってきた。
(ラスコーリニコフは招待客なので、端の方で様子を眺めている。カチェリーナは貴族の娘の誇りがあるので、貧乏や周囲の蔑みに「屈服されていない」。寄宿学校を作るという夢ももっている。これもチェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」の揶揄・批判かしら。当時のロシアにはポーランド人、ドイツ人が移住していたが、彼らはスラブ人によって差別されていたことがわかる。)
3.ルージンはさっき10ルーブリを渡した際に、ソーニャが100ルーブリ紙幣を盗んでいったと告発する。ソーニャがポケットの中を探ると、紙幣がでてきた。リッペヴェフゼル夫人はソーニャとカチェリーナをののしる。部屋の中は喧噪。あとからきたレヴェジャートニコフは紙幣はルージンがひそかにポケットの中に押し込んだのだと証言。何をしたかはみたが、なぜやったのかはわからないというので、ラスコーリニコフが立ち上がり、ルージンを糾弾。ドゥーニャとの結婚が破談になったので、ラスコーリニコフの知り合いらしいソーニャを犯罪者にしたてあげて、母と妹に再考を促すためだ。部屋のなかは大騒ぎ。ルージンはまっさおになり、レヴェジャートニコフは絶交を言い渡す。昂奮したリッペヴェフゼル夫人はカチェリーナに出ていけとわめき、荷物を外に投げ出した。カチェリーナも昂奮して、「真実を探しに」外に駆け出していく。
(この大長編のなかでは、最後に溜飲が下がる珍しい章。成金で拝金主義者で尊大な自我で周囲の人を圧倒しようとする高齢者が、社会的地位の低いものに弾劾され、貧乏人に哄笑される。地位と権力の逆転が起きたのだ。この部屋のなかはすでに祝祭状態になっていて、たくさんの人が注視する演劇空間になっているのも効果を高める。)
(ソーニャはラスコーリニコフが弁護したのを聞いて、彼が自分の守り手であると確信する。彼女はだれもに辱められる存在で、だれよりも傷つきやすい。これまで彼女の尊厳は無視されていたが、はじめて「人間らしく」扱う人が現れたのだった。ソーニャがラスコーリニコフを信頼するようになるエピソード。)
(レヴェジャートニコフがルージンの嘘を暴く証言をするところが印象的。かれはルージンの拝金主義や俗物性を矯正すべく説得を試みてきた。それは水泡に帰したわけだが、それでも第1章では友情を保つ。しかし不正と犯罪をみたときに、友情よりも正義を選ぶ。自分の得にはならないし、貧乏人で娼婦もいる一家に肩入れすることは自分の評判を落とすことになりかねない。それでも告発するという勇気。一方ラスコーリニコフの場合は、もともと喧嘩状態だったし、妹とソーニャの尊厳を守るという得があった。なので彼の告発は社会正義や公正の発現というのは躊躇するなあ。)
フョードル・ドストエフスキー「罪と罰」
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2025/01/07 フョードル・ドストエフスキー「罪と罰 下」(岩波文庫)第5部4 ソーニャはラスコーリニコフにどうすればいいかを伝える 1866年に続く