2025/01/28 フョードル・ドストエフスキー「罪と罰 上」(岩波文庫)第1部4.5 ラスコーリニコフは逡巡しやせこけた馬の夢を見る 1866年の続き
孤独なひとり、単独者になったラスコーリニコフが「あれ」「醜悪な計画」を実行する。


6.その晩ラスコーリニコフは、学生と将官がアリョーナのアコギな商売を噂しているのを思い出す。彼女がため込んだ金を貧乏人にばらまけば数千人が救われるはず。ならば殺すべきか。ラスコーリニコフも同じことを考えていて、ナポレオンのような英雄であれば一人の犠牲によって多数を救うことには意義があるとした(第3部)。頭の痛みがぶり返し、ラスコーリニコフは翌日午後まで寝込んでしまう。夕刻に時計の音が聞こえたので起きだし、「醜悪な計画」のとおりに準備を開始する。外套のうちに斧の柄をささえるわっかをつくる。質草にみえる小包をつくる。問題は斧だったが、偶然によって気取られることなく手に入る。午後7時の時の鐘が聞こえ、ラスコーリニコフは金貸しの老婆の部屋に向かう。
(ラスコーリニコフや酒場の青年が考えた千の虐げられた人びとのためにひとつの犯罪を犯すことは善行かという問いは、後のイワン(未発表の「死の家の記録」草稿にもある)が発した千の人が幸福であるために一人の少女が苦痛を与えられるのを許すかという問いと対になっている。ラスコーリニコフのように千の虐げられ辱められた人びとを救うために一人の賊奸を取り除くのが正しいとするならば、彼は千人の幸福な人を支える一人の生贄を救うべきではないのかとなるはずである。その場合千人の幸福はみな少し少なくなる。それを許容してなお、不幸を押し付けられている一人を救うべきか。さて、ラスコーリニコフはそう考えるに至ったか。ムイシュキン@白痴は、ピョートル@悪霊は、アリョーシャ・カラマーゾフはどう考えたか。)
(リザヴェータは因業な金貸しの妹で35歳の知的障害がある大女。中古家具のブローカーのような仕事をしているようだが、アリョーナにこき使われいじめられている。奇妙なのはほとんどいつも妊娠していること。これらの情報と当時のロシアの状況から、リザヴェータは観照派といわれるカルト宗教の巫女ではないか、その宗教儀式で「妊娠」しているのではないかと考えられているらしい。痴愚者が神聖を帯びるのはよくあること。かつのちにリザヴェータが持っていた聖書がソーニャの手元に渡っていたのを思うと、ソーニャも観照派の信者で、リザヴェータ亡きあと巫女役を継いだのではないかとの推測もある。ラスコーリニコフはリザヴェータを殺すことで間接的に神を殺してしまった、といえるか。)
(リザヴェータは「いつも妊娠している」し、ソーニャは「黄の監札」をもっている公認娼婦。いずれも男の性の欲望に蹂躙される「生の生贄」。ラスコーリニコフは神の巫女である性の生贄を殺し、救いを求めた。)
(この章の後半で、ラスコーリニコフは「あれ」の準備を進める。手仕事は冷静に、沈着に、合理的に。ここの記述と同じ緊迫感を出しているのは、フォーサイス「ジャッカルの日」くらい。一方、「あれ」を決行する前の熱に浮かされた心理もまた迫真的。やるかどうか逡巡するごとに、アリョーナが一人きりになるという情報がはいり、時計がささやき、街の時の鐘が決行時刻が近づいたのを知らせ、手に入らないはずの斧が簡単に入手でき、午後7時過ぎの白夜なので明るい街で顔見知りにあうこともない。まるで地獄の悪魔が手引きをしているよう。シェイクスピア「マクベス」も実行を決意してから、逡巡するごとにはやくやれという表象が現れ、止める決心を打ち壊していったのだった。最初はラスコーリニコフ個人の意思であったのが、もはや全世界の運命、それも悪魔が導いた、になり、ラスコーリニコフに実行を迫る。逃れようがない。)
(逆に言うと、「神を信じていない」ラスコーリニコフは「踏み越え」を決心した時から、神から見放されていた。人工的な都市であるペテルブルクの地獄では、神がいないところには悪魔が入り込む。)
7.「あれ」「醜悪な計画」の全貌。中三の初読(高校受験の直前)のときから、もっとも印象深かった章だ。
午後7時過ぎに(白夜なので照明無しでもよく見える)、青い顔をし、手まで震わし、水浴びでもしたかのような風体のラスコーリニコフがアリョーナの家に無理やり入る。強引に質草を渡し検分しているところに、「あれ」をする。三度目を止めるのは、まだ冷静な観察眼が残っているあかしだ。ベッドの下に金時計などを見つけ外套に押し込み、老婆の胸をまさぐって、財布と十字架をみつける。財布をポケットに入れ、十字架を死体の上に捨てる。そこに思いがけなくリザヴェータが帰ってきた。幼子がおびえ恐ろしいものをみつめたかのように泣き出しそうになり哀れっぽく顔をゆがめる。ラスコーリニコフはふたたび「あれ」をする。逃げようとしたところに、この時刻に質入れで訪問する約束をしていた中年男が来て、何度も呼び鈴のひもをひっぱった。うるさいので、アパートに住む男も来て、不審だなと会話する。ドアを隔てて耳をそばだてるラスコーリニコフ。ようやく消えた直後に逃げだす。老婆の部屋に人が殺到しうわさが広まる前に、斧を元に戻せた。「戸棚」のような部屋にもどり、放心状態になる。
(初読の前に、ミステリ、探偵小説を読みだしていたのだが、犯人の犯行をここまで分析的に描写したものはなかった。ラスコーリニコフの動揺、落ち着き、恐怖などが手に取るようにわかり、犯罪を犯したものなのに、ラスコーリニコフが見つからないようにと応援する気持ちにすらなってしまう。ドスト氏の筆力に圧倒された。)
(「あれ」を行ったものにはシェイクスピアの「マクベス」もいたのだが、その瞬間は書かなかった。アリョーナの部屋は黄色いのだが、そこに白夜の西の日差しが反映して、一面が真っ黄色。ラスコーリニコフの部屋も黄色い。黄色は狂気のシンボルなのだろう。ということを堀田善衛が「若き日の詩人たちの肖像」で指摘している。)
(ラスコーリニコフは二人を殺して、社会の道徳や法を乗り越えてしまったのだが、同時に象徴的に神も殺していることに気づいた。アリョーナの場合は十字架を捨てることであるし、リザヴェータの場合は「幼子」のような痴愚者で巫女に対する犯行であること。ラスコーリニコフを見放していた神を殺す。となると、ラスコーリニコフは神に直接救いを求めるわけにはいかない。)
(と言い切りたいところだが、ラスコーリニコフは神を弾劾してもいたのだった。安酒場で管を撒くだけのマルメラードフ、酔っぱらった少女、飲んだくれの農民にムチ打たれる馬。それらの弱いもの、虐げられ辱められている人々が放置され、神は見捨てている。ラスコーリニコフは神が沈黙しているので、なけなしの小銭、20コペイカを代わりに与えようとする。「あれ」「醜悪な計画」も沈黙している神のかわりに公正を実現しようという行為といえるだろう。ラスコーリニコフは神を弾劾し棄てた人工都市=地獄に降りてきた堕天使なのだ。)
(ソーニャ他のマルメラードフ一家や酔っぱらった少女、飲んだくれた農民に打擲される馬の力になりたいことと、老婆と中年女および神を殺したことをどう一人の人間のなかで整合性をつけるか。)
通常、「罪と罰」ではラスコーリニコフは「なぜ」殺したのかが問題にされる。でも、それは重大問題ではない。「罪と罰」の小説では第1章の180ページを使って、ラスコーリニコフの心理は克明に描かれているが、決定的ななにごとかを摘出することはできない。現実の殺人でも、動機が明確に語られることはないし、怨恨・強奪・劣等感などのいくつかの類型に収まるようにしか解釈できない。それくらいに「殺す」という非日常は言語化できないのだ。
重要なテーマはラスコーリニコフは何を「罪と罰」と考えていたか、どうやって克服することが可能かを考えていたかだ。
フョードル・ドストエフスキー「罪と罰」
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2025/01/24 フョードル・ドストエフスキー「罪と罰 上」(岩波文庫)第2部1.2 ラスコーリニコフは熱病になり証拠隠滅を図る 1866年に続く