2025/01/30 フョードル・ドストエフスキー「罪と罰 上」(岩波文庫)第1部1.2.3 一月ぶりに路上に出てきた若者はくだを巻く酔漢にからまれる 1866年の続き
ラスコーリニコフの母プリヘーリヤと妹ドゥーニャ、古い友人ラズミーヒンが登場。ラスコーリニコフが家族の縁を切っていく軌跡。


4.ラスコーリニコフはすぐにこの結婚に反対であると決める。ルージンのようなスノッブはドゥーニャを合法的な二号にするに違いない。それに母も一緒に暮らすわけにはいかない。家族がそれを知って結婚話を進めるのは、ラスコーリニコフがいまだに卒業せず無職であるからにほかならない。彼女らの自己犠牲にたかっているのだ。それはソーニャに対するマルメラードフと同じであると気付いて愕然とする。俺はなにかすべきだが、なにもしていない。むしろ何もせずたかっていることに快感を感じてもいる。あてもなく外に出ると泥酔した少女がふらふらしている。その後ろを紳士が好色そうにねめつけている。近くにいた巡査をよび、少女を警固するよう頼む。なけなしの20コペイカも手渡す。ふたりが歩き出すと、ラスコーリニコフは打っちゃっておけと叫ぶ。どうせ数年もすれば少女も娼婦になり生活がぐだぐだになるだろう、放っておけばいい、と。
(この章は超短縮版の「地下室の手記」といった趣き。母の手紙で打ちのめされる。といって、何もしない。ただしゃべり、しゃべるために何もしない。彼の敵は弁護士のルージンであるが、彼を嫌うのは社会の成功者で金持ちなのと、なにより最新思想の持主だから(チェルヌイシェフスキーの社会主義あたりを想定しているのだろう)。何もしないことに飽いて外に出ると、辱められた少女にあう。少女が悲惨で貧乏から抜け出せないのは仕方がないと考えながら、20コペイカを出してしまう。説教は誰もうごかさないが、金と誠意は人を動かす。「地下室の手記」の語り手が考えてきたこと、やってきたことは路上の現実でことごとく打ち砕かれてしまったのだ。ひきこもった思考から抜け出すには、活動@アーレントを行うことと他人と交通することが必要なんだな。)
5.友人のラズミーヒンにあおうと考えたが、「あれ」の後の方がいいと思いなおす。「あれ」をやるのか、とラスコーリニコフは慄然とする。ウォッカを飲んだら酔っ払ったので公園で寝ることにする。奇怪な夢。酒場の横を少年のラスコーリニコフが通りがかったとき、酔っぱらった青年がやせこけた馬をぶち殺す。少年一人が止めようとしたが、誰も加勢せず、ついに馬は殺されてしまう。号泣する少年ラスコーリニコフ。寝汗で起きるラスコーリニコフ。夜9時ころ街中を歩いていると、リザヴェータ(金貸しアリョーナの妹、知的障碍者)が明日夕方6時に出かけるのを知る。つまりその晩、アリョーナは一人きりだ。
(ラスコーリニコフが歩くペテルブルクは汚臭がしてゴミが散らかり放題で熱気に包まれている。とても不快な都市をぼろを着た青年が歩き回り、罪人(前の章の酔っぱらった少女、田舎での粗暴な農民たち)が集まっている。地獄のような街なのだ。ラスコーリニコフの見る夢は研究者がさまざまに解釈しているよう。やはりここでは馬にとどめを刺すために金梃を振り回す目が血走った百姓の青年が、「あれ」をするラスコーリニコフそのものであると自覚していることに注目。すぐあとに絶好の機会があることが知らされたのとあわせて、「あれ」を遂行しなければならない運命に囚われていくのだ。ラスコーリニコフは田舎の出なので、ペテルブルクの地獄に落ちてしまった天使であるともいえそう。前の章で母と妹がやってくるのを阻止したがるのは、彼女らが地獄落ちするのを止めるためである。)
(後で気づいたが、目が血走った百姓の青年はミコールカで、第3部第6章でラスコーリニコフに変わって老婆殺しを自白するのはミコライ。ラスコーリニコフの願望をじゃまする名前だ。)
フョードル・ドストエフスキー「罪と罰」
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2025/01/27 フョードル・ドストエフスキー「罪と罰 上」(岩波文庫)第1部6.7 ラスコーリニコフは「踏み越え」を実行する、でも本当の「踏み越え」はこのあと 1866年に続く