odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

フョードル・ドストエフスキー「罪と罰 上」(岩波文庫)第1部1.2.3 一月ぶりに路上に出てきた若者はくだを巻く酔漢にからまれる

 これまでに米川訳で2回、江川訳で1回読んできた。解説書もいくつか読んだのもあって、なんとなくつかめた感じがするので、再読してサマリーと感想を書いてみる(と思っていたら、読後にはまったく異なることを考えました)。
 発表は1866年。ドスト氏45歳。この年齢でこの大作を書いたのか。圧倒されます。サマリーを書きながら過去作の同じようなシーンを指摘してみる。感想をカッコに入れて書いたが、これは章を読み終わったときのもの。読書の実況中継のつもり。

第1部
1.いつになく熱い7月初めのペテルブルク。いじけた青年がぶつくさつぶやきながら歩いている。戸棚のような部屋に一か月引きこもっていたのをやめて外にでてきた(「地下室の手記」の書き手が表に出てきたと思いなせえ)。考えているのは「あれ」「醜悪な計画」のこと。青年はある金貸しをおとずれ(自分の建物からきっかり730歩のところ)、黄色い壁紙で覆われた部屋で時計を質に入れようとする。アリョーナ・イワノーブナが金貸しの婆さんの名前で、妹がいることもわかる。「意地のわるそうなきつそうな目と、鋭くとがった鼻をして、頭に何もかぶっていない」(というのはロシアの魔女の象徴なんだそう)。わずかな金を得て、入ったことのない安酒場にいった。そこにはヨッパライがいた。
(ドスト氏の小説は物語が動き出す前に、長い長いイントロがあるのだが、本作では珍しくすぐに主人公が登場して動いている。こういう書き方は「分身」以来。この24歳の青年が「地下室」の住民であるのは、「おしゃべりするから何もしないのか、何もしないからおしゃべりするのか」と益も無い無駄口をたたいているところから明らか。「戸棚のような部屋」「黄色い壁紙」「(金貸しの)妹」などのちに重大な意味を持つ事象がさりげなく書かれている。)

 

2.ヨッパライは50歳くらいの九等官吏でマルメラードフという。貧乏の底にあり、妻(カチェリーナ、30歳くらい。名門の出で教養もある)と子供らがいるのに飲んだくれている。先妻の子のソーニャはとうとう黄鑑札(売春婦の公認証)をもつまでになった。彼はせっかく復職できたのに、妻と娘の金を持ち出して5日間も飲んだくれている。そのあげくの果てに、ラスコーリニコフにからみ、いかに自分が情けないか、ダメであるかを懇々と口説く(「ポルズンコフ」みたい)。そのあげくに自分をキリストのように思い、自分は十字架にかけられる存在だと言い出す。とことんダメな男ですな。ラスコーリニコフは彼の家に連れて帰り、カチェリーナに追い出される。マルメラードフの力になりたいと思い、でしなに1ルーブルを置いていく。
マルメラードフのクダまきも、帰宅後のカチェリーナの折檻も、周囲に人が群がっていて、ときに笑いやヤジがわく。観客がいる前で卑劣や悲惨、暴力が行われているわけですね。マルメラードフ家のできごとを書くとき、ドストエフスキーは舞台で演劇が上演されているようにしている。第2部第7章、第5部第2.5章。マルメラードフには共感も何もわかないので分析しない。ペテルブルクという人工的な都市(@地下室の手記)で堕落した。人工的ということでこの都市は「水晶宮」を暗喩しているのかも。娘ソーニャを生んだ妻が死んだので、カチェリーナと結婚した。当時恋愛結婚などまずなく男の世間体などで妻が決められたので、年の差が20もあるカチェリーナと結婚できた。そこでは男が妻を折檻するのはあたりまえだった。「アクーリカの亭主」@「死の家の記録」。このような年の差結婚はラスコーリニコフの妹ドゥーニャにも起こりそうになる。)
(ひとつ書き込むことがあった。激怒したカチェリーナに折檻されるとマルメラードフは「ぶたれるのは快楽だ」と叫ぶ。いたぶられること、辱めを受けることが宗教的な法悦であり、解放であると考える。)
ラスコーリニコフはほとんど身近な人には無関心なのに、この一家には共感や憐みを感じる。その由来は不明。彼にとっての1ルーブリは大金なのに、躊躇なく差し出すことができる。のちに酔っぱらった少女に20コペイカを出したり。自分より弱い虐げられ辱められた人びとには具体的なアクションを起こせる。)

 

3.翌朝。「狭苦しい檻」「戸棚か大型トランクを思わせる黄色い部屋」で目を覚ます。女中のナスターシャが茶とキャベツスープとパンを持ってくる。分厚い手紙が届いていて、女中を下がらせて読む。母からの便り。それによると、大学法学部の学費他の仕送りができないので、妹ドゥーニャを奉公にださせていたが、主人が言い寄ってきた。ドゥーニャが拒絶しているところを主人の妻が見とがめ、ドゥーニャのせいと勘違いして閑を出させた(「ネートチカ・ネズワーノワ」の「第3章」)。奉公先でも家に帰ってもスキャンダルになり、家にタールを塗られた(密通や不義の子を産んだというあざけり(「死の家の記録」の「アクーリカの亭主」にもあった)にあう。そこに主人の知り合いのスヴィドリガイロフがとりなしの手紙をだし、主人は過ちを認め、周囲に謝罪と弁解をしてまわった(まるで「ステパンチコヴォ村とその住民」の叔父のような軽さ)。事態を見ていた弁護士ルージン45歳がドゥーニャに結婚を申し込んだ。彼はペテルブルクに事務所を開くつもりで、ロージャ(ラスコーリニコフ)を助手にするかもしれないと言っている。それが良いと思うので、母と娘はペテルブルクに出ていくことにした。
(ドゥーニャは家庭教師として奉公した。教育を受けた下層から中産階級の独身女性が就職できる先はとても少ない。家庭教師は数少ない中のひとつ。しかし、中年男性のいる家に住み込みになることは性暴力を受けることになるのだ。のちの中編「おとなしい女」でも、家庭教師志望の16歳の少女が中年の質屋に嫁入りして、暴力被害を受ける。)

 

 わずか一日の間にラスコーリニコフにいくつもの問題がやってくる。ひとつめはひと月考えていた「あれ」「醜悪な計画」を実行する決心がついたこと。そのための下見もした。ふたつめは貧乏で辱められたマルメラードフ一家のこと。安酒場で無礼に話しかけられ一方的に話をきかされた迷惑な老人なのに、青年はこの一家に関わろうとする。金もないのに、どうやってどん底の人にアプローチしていくのか。みっつめは家族のこと。彼の知らないところで、妹と母が辱められた。そのうえ中年男が妹に結婚を申し込んでいる(マルメラードフのように夫が妻を虐げ辱め折檻するのは目に見えていた)。よっつめは母によって就職先が見つかりそうなこと。この地下室の住民はだれかの下っ端になって、命令を従順に聞くには自尊心が強すぎる。他人の嫌悪がありすぎる。なにより自分の運命を自分で決められないのは不愉快だ。
 いずれも解決するには面倒な問題であり、このあとさらに多くの問題が青年に降りかかってきて、彼は独力で解決しなければならない。それも短期間に。理不尽で不条理な状況に青年ははまってしまったのである。
 タイトルの「罪」が何を指すかだが、主人公のラスコーリニコフのことばかり考えていたが、冒頭の三章を見ると、罪びとはほかにもいた。貧乏のどん底に落ち込んでしまったマルメラードフ、娼婦になったソーニャがそう。ドゥーニャに言い寄ってきた主人スヴィドリガイロフやその妻も公正や平等を実行しているとはいえない。小説にはあまりかかれないあくどい金貸しのアリョーナ・イワノーブナも罪をもっているといえそう。まだほかにもいるかな。これらの罪人の罪は形態が異なるので、それぞれについて「罪と罰」をみないといけないのだろう。これらの罪人に共通する罪もあるかもしれない。大きな罪とそれに対する罰、そして解放も考えないといけなさそう。

 

フョードル・ドストエフスキー罪と罰
岩波文庫)→ https://amzn.to/4frV1TP https://amzn.to/4ckBYrE https://amzn.to/3Ac1JgF
新潮文庫)→ https://amzn.to/4caA0df https://amzn.to/3yEfOTk
(角川文庫)→ https://amzn.to/4dxf95e https://amzn.to/4d8ZHMQ 
光文社古典新訳文庫)→ https://amzn.to/4cdX8Yj https://amzn.to/4d2fdKh https://amzn.to/4d8YLrz

 

2025/01/28 フョードル・ドストエフスキー「罪と罰 上」(岩波文庫)第1部4.5 ラスコーリニコフは逡巡しやせこけた馬の夢を見る 1866年に続く