odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

フョードル・ドストエフスキー「貧しき人々」(光文社古典新訳文庫) 47歳の独身男マカールが17歳の少女を援助するのは愛か打算かそれとも

 訳を変えて再読(3回目)。
2020/02/28 フョードル・ドストエフスキー「貧しき人々」(河出書房)-1 1846年
2020/02/27 フョードル・ドストエフスキー「貧しき人々」(河出書房)-2 1846年


 1846年に出た作家のデビュー作。タイトルは「貧しい人々」。文通をしている二人のうちマカールはこれ以上の出世ができない三等文官ではあるが、とりあえず毎月定収があるくらいのレベルにある。時に彼は物乞いをしている男の子を支援したり、貧乏で死んだ男の葬式の手配に奔走したりする。服や靴を買えない(これは彼の卑屈の理由になっている)とか、ときに一文なしになるときがあるが、社会の最底辺にいるわけではない。「貧しき人々」はマカールの周囲にいることに注意しておこう。
 貧乏文官マカールは(47歳)は、父母に死なれた17歳の娘ワルワーラを支援している。ともになかなか会う機会を持てないので、文通で近況を知らせ合う。この4月から9月までの文通の間に数回会っているようであるが、そこでどのようなことが語られ行われたのかは手紙からはわからない。それでも、ワルワーラに求婚する者が現れ、マカールはプロポーズした将校に会いに行き、したたかに制裁されたらしい。手紙ではまっとうなように見えるマカールではあるが(最初のうちの手紙は文法の間違いが頻出するとか失敗している)、実際の行動は衝動的で計画性のないものであるようなのだ。過去にも会ったことのない劇場の女優に愛したりするし、この若い(若すぎる)娘との文通が役所でバレて笑いものになっているのを恥じるとかで、合理的理性的な思考の持ち主ではないようだ。8月ころにワルワーラは別の中年男ブイコフに求婚され受諾するのだが、そのころにはマカールはストレスで精神状態がおかしな動向を示す。

最近は誰の顔もまともに見られないくらいです。誰かの椅子がちょっとでも軋もうものなら、もうそれだけで生きた心地もしなくなるのです。まさに今日も、静かに息を潜め、ハリネズミみたいに神経を尖らせてじっと座ってい(P254)

 そして仕事である清書でへまをして上司の「閣下」に叱責され、しどろもどろになったあげく、酷い恥をかいてしまう。幸いマカールは閣下の恩情を受けるので落ち着けた。でも、ワルワーラの結婚準備でいろいろ頼まれごとをされ、仕事をほっぽって奔走することになる。手紙と違って、マカールの行動は合理的な説明がつかないのだ。
 こういう人物はそういえばのちに見かけることになるなあと思いつく。最初にわかるのは次の長編「分身(二重人格)」のゴリャドーキン氏。彼もまたマカールのように衝動的に行動し、引用したように他人の存在に怯えるのだった。いや、マカールはワルワーラが挙式する寸前になって「俺を捨てるな(大意)」と絶叫するのであって、この危機を乗り越えられないとすると、マカールはゴリャドーキン氏のようになるのではないか。一見、別々に見える「貧しき人々」と「分身(二重人格)」であるが、中年男の不安定な精神状態(それによる病気の発症)という視点でみると、地続きであり、「貧しき人々」の続きが「分身(二重人格)」であるとみなせるのだ。
 それを裏付けそうなのが、ワルワーラという娘の存在であって、彼女は挙動不審で衝動的に他人といさかいを起こすやっかいな(危ない)人物であるマカールを全面的に肯定する。30歳近く年上の中年男を信頼して依存するというのは不思議な事ではないか。金や本その他の支援を受けてはいても、そこまでの感情を持てるのだろうか。そう疑ってみるとワルワーラはあまり自分のことを語らない。自分の周囲のできごとを知らせない。なるほど嫌な女の支配下にあり、内職で時間を取られてはいるのであるが、それにしても彼女の存在感は薄いのだ。冒頭で彼女は父の折檻や突然の死、係累からのいじめを長々と告白している。それは彼女自身のナラティブというには整いすぎている。だれかが編集したような印象だ。
 そこから想像してしまうのは、ワルワーラは実は実在しているのではなく、マカールが想像しているだけの相手なのではないか。マカールががっかりしていれば励まし、マカールが何かすれば感謝を表明する。マカールに時におねだりとして関心をひき、厚情が過ぎると思えばそんなすぐれた者ではないと卑下する。ワルワーラの手紙はマカールの期待に応えるような返事を書いている。女性が男性と対等になれない時代であるとしても、どうだろう。
 マカールはこの欺瞞をしばらく続けたが、永遠に続けられないのを悟る。そこでワルワーラが他人と結婚するという物語を作り出す。そのとき、ワーレンカはこう書く。

これからあなたは、私のいない生活に慣れなければいけません!とここであなたはどうやって一人ぼっちで暮らしてゆくのでしょう! 誰を相手にするのでしょう。優しい、大切な大切な、私のたった一人のお友達! あなたに本も刺繡台も書きかけの手紙も残してゆきます。書きかけの手紙をご覧になる度に、あなたが私から聞きたいこと、読みたいことを何でも想像で先に続けて読んでください。(P300)

 マカールの期待に応えるような見事な返し。「一人ぼっちで暮らしてゆく」のはマカールのいつもなのであって、それを慰めるのは彼が虚構したキャラしかいない(役所の同僚から笑いものにされていて、味方や友人はいないのだし)。そういう欺瞞や虚構で平衡を保っているのが、手紙を書いている時期のマカールにほかならない。
(個々の手紙の話題と応答を表にすると、若いドストエフスキーが周到な設計をしたことがわかると思う。いつになるかわからない次回の再読で試してみよう。
 ドストエフスキー「前期短編集」(福武文庫)の江川卓解説によると、

「暦をネタにしたこの種の仕掛け(注:短編「ポルズンコフ」の最期に「四月一日」エイプリルフールの日付がつけられていること)は、処女作『貧しき人々』にはじまって、『罪と罰』などの大作にいたるまで、ドストエフスキイがつねづね愛用したものであった」(P274)

 解説者は『謎とき「罪と罰」』でそのような事例がいくつか取りあげたということだが、「貧しき人々」には言及していないので、これも次回の再読で探さないといけない。)
 中村健之介は「永遠のドストエフスキー」(中公新書)で、「貧し人びと」と「分身(二重人格)」に統合失調症テーマがあるとみている。以上の感想は、たぶん中村健之介の読みに引っ張られている。

 マカールはインテリで「やけにプライドが高いくせに妙に卑屈で自意識過剰な人種」(訳者解説P315)。こういう人種はのちのドスト氏の小説にたくさん登場する。それこそ「分身(二重人格)」から始まって「白夜」「地下室の手記」「罪と罰」などにでてくる「空想家」がそれ。惚れた女にふられて寝取られ男の悲哀を味わうというのもドスト氏の小説によく出てくるテーマ。「白夜」に「虐げられた人びと」、「永遠の夫」。幼児や子供がいじめられ虐待され貧乏な目に合うというのもドスト氏の好きなテーマ。マカールは手紙で自分が見聞きしたことを報告する。ワルワーラの境遇は「虐げられた人びと」のネリや「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」につながる。このあとにより深く掘り下げられるテーマがたくさん詰まっていました。なるほどドスト氏はデビューした時からドスト氏でした。
 これまでは大した小説じゃないなとナメテましたが、掘り下げるとどこまでも豊かな泉がわいてくる。このあとに書かれた小説をたくさん読んでから、もういちどデビュー作に帰るのがよい。お見それしました。

フョードル・ドストエフスキー「貧しき人々」→ https://amzn.to/43yCoYT https://amzn.to/3Tv4iQI https://amzn.to/3IMUH2V