odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

竹本健治「囲碁殺人事件」(角川文庫) ゲーム3部作の1。異常事態にあうとルールとセオリーは動揺する。

 1980年初出の「ゲーム殺人事件」の第1作。この40年で何度か版元を変えた。河出文庫、角川文庫とでて、途中に3作を一冊に収めた合本がでて、そのあとは創元推理文庫で入手できるらしい。

第七期棋幽戦第二局は、〈碁の鬼〉と称される槇野猛章九段の妙手で一日目を終えた。翌日の朝、対局の時間に槇野九段は現れず、近くの滝の岩棚で首無し屍体となって発見される。死の二週間前に目撃された奇妙な詰碁は殺人予告だったのか。知能指数208の天才少年・牧場智久と大脳生理学者・須堂信一郎が不可解な謎に挑む本格推理。ゲーム三部作第一弾、牧場智久シリーズ開幕。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488443016

 このサマリーに入っていない情報をいくつか追加すると、
・〈碁の鬼〉と称される槇野猛章九段は奇行で有名。癇癪を起し、人嫌い。でも50代になってから勇躍した。
・半年ほど前に殺された歯医者の死体がみつかった。槙野9段と同じように首を切り落とされていた。
・奇妙な詰碁が目撃された後、智久に別の棋譜が渡される。ある特別な方法で読むと暗号が見つかった。
・優れた推理を披露した智久は2回暴漢に襲われたが、命を奪われることはなかった。
 囲碁の世界に詳しくない読者としては、プロ棋士の生態や勝負の集中力などの驚かされ、名人戦などのシステムと運用に目を奪われる。常人とは異なる人々の集まりの中に入ると、彼らの独特な習癖やコミュニケーションに目くらまされる。通常の事件であれば推理できそうなところを、エキセントリックな人々ばかりになるとそこまで気を巡らせることができない、というわけだ。
 前作「匣の中の失楽」もエキセントリックな人々の集まりで起きた「事件」だったが、本作ではあの迷宮感はない。それは本作では探偵トリオが知り合いの中で右往左往するのではなく、警察ほかの「外部」と常に出会い、ぶつかっているから。関係者は一人残らず初対面なうえ、警察の捜査情報も少しは手に入る。なので、「利害関係のない公正な観察者@アダム・スミス」の立場に自分がいるかどうかをいつも確認させられているのだ。それが明晰さや理性を働かせることになる。(しかし、作者は理性の輝きが常にあるとは思わせない。ここには失敗する探偵が複数いる。事件の解決に驚くよりも、探偵の役割が刻々と変わることのほうに新味を感じるのではないか。それはエリザベス・フェラーズに先例があるが、1980年には未訳だったので、作者の独自発見だろう。)
 そのような仕掛けをするのは、作者の世界認識の方法にある。というのも、囲碁は厳密なルールに基づいて行われるが、そのルールはときに発生する「異常」事態に適応できない。特殊な碁石の並びを「生」と見るか「死」と見るかは棋士や関係者の見解で変わるのだ。そのときに、たいていはルールを改定するか、細則を追加するかで問題を回避する。でもときに人はルールを変えずに世界を変える。囲碁であれば19×19マスで行われるのであるが、それを大きくしたり小さくしたり、二次元平面ではなく非ユークリッド平面にしたり三次元にしたり。そういうのは依然として「碁」であるのかのような問いが出てくる(これはのちに、「ウロボロス偽書」でUWFのプロレスはスタイルが先かルールが先かという「論争」で繰り返される)。囲碁でやったような思考実験を発生する事態に適用すると、問題が解決する(こともある。本作の解決はほとんど状況証拠に基づく推測であるが、「犯人」の自白で正しさが担保されている。もし「犯人」がはぐらかしがうまいか嘘つきであれば、中井英夫「虚無への供物」講談社文庫やヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」ハヤカワ文庫のような宙ぶらりんの気分を残すことができた。そこまで作者は本作では意地悪くない。
 見た目はミステリーのセオリーとおりだが、細部を見るとセオリーの破れがみえる。それに気づくと怖い。

 

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