odd_hatchの読書ノート

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神島裕子「正義とは何か」(中公新書) 現代正義論は自由・権利・財や資源・義務・人権をだれにどのように分配するのが正しいかを検討している。

 現代正義論にはさまざまなバリエーションがある。6つの傾向に分けて概略を説明する。通常、正義論や道徳論で扱われるホッブスベンサム、カントなどは登場しない。というのは現代正義論は、それ以前の正義や道徳を説明する功利主義や格率主義の批判から生まれているから。特に功利主義は「最大多数の最大幸福」というスローガンが知られている。いまでも経済学では功利主義が幅を利かせている。でも、多数の幸福のために少数者を犠牲にするので、現代正義論は功利主義を取らない。まずそこを押さえて、ロールズ「正義論」1971年以降の正義論を見ていく。

序章 哲学と民主主義―古代ギリシア世界から ・・・ 古代ギリシャから正義論はあるよ。ポリスの民主制があり、ソクラテスプラトンが語っている。
(俺はこの二人の政治哲学は受け入れられないなあ。川崎修「ハンナ・アレント講談社学術文庫によると、アレントもこの二人を批判している。彼女の論点は、二人の問題は哲学者を国家の上に置くこと、活動より観照を重視すること、仕事(work)として政治を見ていること。追加すると、ソクラテスの死を愛郷の現れと本書著者が解釈するのもおかしい。あと誰が言ったか、ソクラテスデルフォイの神託が正しいかどうかを確認しようとしたが、その行為自体が宗教とポリスの掟に違反している。)
プラトーン「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」(新潮文庫)-1 
プラトーン「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」(新潮文庫)-2 

第1章 「公正としての正義」―リベラリズム ・・・ 現代正義論はロールズの「正義論」1971年に始まる。というわけで、ロールズの正義の二原理を引用。

第一原理 各人は、平等な基本的諸自由の最も広範な全システムに対する対等な権利を保持すべきである。ただし最も広範な全システムといっても「無制限なものではなく] すべての人の自由の同様〔に広範」な体系と両立可能なものでなければならない。
第二原理 社会的·経済的不平等は、次の二条件を充たすように編成されなければならない。
(a)そうした不平等が、正義にかなった貯蓄原理と首尾一貫しつつ、最も不遇な人び との最大の便益に資するように。 
(b) 公正な機会均等の諸条件のもとで、全員に開かれている職務と地位に付帯する 〔ものだけに不平等がとどまる」ように。(P34)
第一原理がカバーする「基本的諸自由」は以下。
·言論および集会の自由
·良心の自由
·思想の自由
·人身の自由(心理的抑圧および身体への暴行·損傷からの自由を含む)
·個人的財産=動産を保有する権利
(法の支配の概念が規定する)恣意的な逮捕·押収からの自由(P35)

 以上の諸原理が対象とするのは、法・政治・市場・諸通・家族などの社会の諸制度(個人の自由と権利を優先するために、制度が動かなければならない)。自由は自由のために制限される場合がある(言論の自由といっても、犯罪予告・脅迫・誹謗・中傷・デマ・ヘイトスピーチが許されるわけではない)。制度を通じて自由と社会的最低限の生活が保障される。そのための基本財は第二原理によって分配されなければならない。
このようなロールズによる形式化によって、正義の議論が活発になった。アマルティア・セン、ロナルド・ドゥオーキン、アダム・スウィフトなど。公正のためのコスト、所有の分配などをどうするかで議論は国家や経済体制まで広がる。
プロテスタントの勤労倫理は社会的救済を減らす圧力になるとのこと。リベラリズムリバタリアニズム全体主義が自力救済とか自業自得などを言い出す理由の始まり(の一つ)なのだろう。)

第2章 小さな政府の思想―リバタリアニズム ・・・ リバタリアニズムは、個人の自由および権利と社会的ミニマムの保障を国家の存在にとらわれずに構想すること、個人の幸福のあり方にリベラリズムより寛容であろうとする構想。
(なおここまで主張するリバタリアンはほぼいなくて、最小国家と事後的な再配分の否定が主な主張になる。なので、ほとんどのリバタリアンは経済格差解消に無関心で、社会保障の削減と軍事費拡大を主張する。)

第3章 共同体における善い生―コミュニタリアニズム ・・・ ロールズは文化や伝統などの文脈を持たない「負荷なき自我」を前提にしているけど、自我は特定の文脈でアイデンティティを持とうとするから、ロールズの考えだと不十分じゃね、ということで、共通善に基づく政治、全体への配慮で考えようというのがコミュニタリアニズム。このブログでサンデルのタグの付いたエントリーで紹介済。コミュニタリアニズムへの批判は、共同体は国家の一部や部分なので、国家を超える共同体は可能なのかという問い。
(もうひとつ危ないと思うことは、共同体を強調すると、ネーションで線引きがされて、エスニックマイノリティや無国籍者が共通善から排除されるのじゃないか。ヘイトスピーチや差別をコミュニタリアニズムがどう扱うのか。全体主義運動に抗する共同体をつくることは可能か、など。アレントみたいに、国家や共同体が人びとを統合する体制を持つのが大事、共和主義のような政治参加が重要ということも言わないと。サンデルはそういうアイデアはもっていたはず。)

第4章 人間にとっての正義―フェミニズム ・・・ 社会の諸制度は男性中心主義で構成されてきて、今も機能している。それはロールズの正義論にもみられる(無知のヴェールは男性家長を想定しているし、家族論でもそう)。そこで、女性を対等な人間として扱う要求がでてきて、フェミニズムと正義も議論されている。
(というか女性を対等に扱わない男性問題なのだ。この章はフェミニズム論者の正義論を並列しているので、深みはない。別書で補完すること。自分が読んだのはこれくらい。貧しい読書です。)
上野千鶴子「家父長制と資本制」(岩波現代文庫)-1 家父長制と資本制は市場とそれ以外の空間を支配する構造としてできている
 上野千鶴子「家父長制と資本制」(岩波現代文庫)-2 を変えないと、女性問題は解決しないし、男も資本制や家父長制から解放されない。 
伊藤公雄「ジェンダーの社会学〔新訂〕」(放送大学教材)-1 「社会的に作られた性別」であるジェンダーの刷り込みは個人の生きにくさになり、差別や貧困などの原因になる。
伊藤公雄「ジェンダーの社会学〔新訂〕」(放送大学教材)-2 男性優位社会のジェンダー観は社会のしくみの隅々まで浸透している。転換が必要。 

第5章 グローバルな問題は私たちの課題―コスモポリタニズム ・・・ アレントがいうように国家に所属しないと人権は保障されない。まして南北問題では南の国は国ごと人権を保障されない。なので国境に縛られない正義の在り方が考えられている。かつてはインターナショナルだったがこれは国家主体。1980年以降はグローバルで個人主体。国境を超える個人のつながりや主体の複数化を考慮する。グローバルにおけるコスモポリタニズムは個人主義・普遍性・一般性を特徴とする。具体的なアクションとして、寄付・世界税(資源や基金など)、ヘルスワーカーの移動規制などが提案されている。また多国籍企業を準政府的制度としてとらえ、正義の義務を負わせることも検討されている。
(ここは目からうろこ。過去のコスモポリタニズムが〈世界帝国〉〈世界政府〉を志向していたが、いまでは国家主体の権力を制限して国家連合を考えたり、現在の国家制度の枠組みを残したうえで国や個人のつながりを考慮するようになったのだ。)

第6章 国民国家と正義―ナショナリズム ・・・ ネーションは様々なリソースの分配機能を持っているが、国境や共感などで線引きをする。そのために国内の難民・無国籍者・マイノリティを排除したり、よその国(とくにグローバルサウス)に何もしないことを容認したりする。ネーションの自由の欲求が僭主政や独裁制を呼び込んだり、全体主義運動になったりする。
(あいにくなことにロールズは国境を超えると関心先を国家にして個人をみなくなり、貧困などの社会的政治的な正義の問題を国内問題にする反コスモポリタニズム。)
ナショナリズムと正義については、アレント全体主義の起源」が有効。)
終章 社会に生きる哲学者―これからの世界へ向けて ・・・ 現代正義論は自由・権利・財や資源・義務・人権をだれにどのように分配するのが正しいかを検討している。なので実際の政治や運動にかかわっている。
(その点で、正義論は経済倫理や政治学と接点をもつ。というか、リソースを誰にどのように分敗するかを考えると必然的に正義と公正を考えなければならないのだ。あるいは人種差別や性差別などから社会を考える際にも正義と公正にも考えがいたる。)
 橋本努「経済倫理 あなたは、なに主義?」(講談社選書メチエ)

 

6つの立場で正義を考える。この6つの立場は平面に並んでいるわけではない。フェミニズムは他の正義の立場を女性(抑圧された性)から批判するので、別のレベルにたっている。近代以降、ネーションとステートはどこにもあるものなので、ナショナリズムは他の立場のどこにもある。ここの強調のしかたでリバタリアニズムとコスモポリタニズムがくっついたり、コミュニタリアニズムと区別がつかなくなったりする。
 本書に登場する学者・研究者はテキストの議論に慣れた人なので、素人にはなかなか難解。なので、具体的な問題(性差別でも難民でも国内格差でもグローバルサウスでも多国籍企業でもなんでもいい)で考えたほうが良い。あと近代や国家、人民(people)、正義、公正などの街宣はヨーロッパ由来。なのでヨーロッパの近現代史を知ったほうが良い。世界システム論はその時に便利な理解のツールになるはず。結論を出す本ではないので、最後は読者も頑張ろうであいまいに締めくくられている。そうすると読者個人が国家や社会にどう対するか、コミットするかが問題になる。ここでも具体的な事例に関わることが大事。

 

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