1990年代からヒトラーとナチス研究は一新する。東西ドイツの統一で、資料の発見が相次いだこと、研究者が世代変わりしたこと、EU実現のために過去の戦争犯罪に対する補償をする決断をしたこと、ホロコースト否定の歴史捏造が現れたことなどが理由にありそう。そうした成果を踏まえた日本の啓蒙書を読む。2015年刊行。

第一章 ヒトラーの登場 ・・・ ヒトラーの誕生から1923年ミュンヘン一揆の逮捕まで。WW1ドイツ敗戦までは凡庸な人間。「覚醒」したのは、解散前の軍で国家社会主義に傾倒し、政治団体に加入して、弁舌の才を認められてから。1920年にナチ党を結党。数年で党の権力者になる。ユダヤ人排斥のレイシスト運動で、陰謀論を主張していた。軍の支援を受けていた。軍事教練を受けた党員がいて集会では暴力沙汰が常だった。ヒトラーはルール嫌いで、反議会主義・反民主主義。
(ナチを誕生当初から「レイシスト運動」と規定したのは、最新の研究の成果。弱小極右団体を軍や情報局が利用するのはよくあること。この国でもそうだった。)
大澤武男「ヒトラーとユダヤ人」(講談社現代新書) 1995年
第二章 ナチ党の台頭 ・・・ 1923~1932年。党首の収監でナチは壊滅しそうになったが、党員の忠誠心を試すことによって党の結束は強くなる。逮捕-収監の経験で合法活動に移行(それが突撃隊の反発を生む)。その後の五年でナチはドイツに広範な支持を獲得することに成功。綱領はあいまいで思想も亜流で独自見解はなかったが、ヒトラーへの無条件服従を誓わせた。弁士を育成し、全土で演説活動を行う。党員の互助組織を支援し党内の結束を高める。さまざまな層の不満を持つものを反ユダヤ主義で結集させた。戦争で死んだドイツ兵や騒乱で死んだ党員を「民族の名誉」として顕彰した。1930年の選挙で国会の第一党になる。
(軍や保守資本などの援助があり、反ユダヤ主義のナショナリズム運動が高揚していた。ナチが伸長したのは、暴力とレイシズムの政治運動を国民が望んでいたからだろう。ドイツ社会はミリュー(部分社会)で構成され、保守的(伝統的支配層、プロテスタント)、市民的(ブルジョア、シチズンではない)、労働者、カソリックの4つがあった。それぞれのミリューを代表する政治組織があった。ナチはどのミリューにも所属していないが、ミリューの不満な人たちを取り込むプロパガンダを行い、支持者や党員を増やした。世界不況で収入減や失業になり極右を求める気分が漂っていたとしても、愚直な草の根運動が成果を生みやすいということか。)
第三章 ヒトラー政権の成立 ・・・ 1933年。なぜヒンデンブルク大統領(1932年に再選)はヒトラーを首相に任命したか。1925年ころから議会は多数派がなく何も決まらない状態になり、会期も短くなり、大統領が緊急令で処理していた。右翼は議会なしの大統領専制を望んでいた。共産党が伸長していたので、その危機から右翼首班の内閣を作ることにした。当時、ナチ党は第一党になったとはいえ、ヒトラーは実績がなかったので、支持率は低下していた。
(世界不況で、極端な主張をする右翼と左翼だけが支持され、リベラルは分裂して統一していなかった。)
第四章 ナチ体制の確立 ・・・ 1932年1月30日から1934年8月2日前。一年半でなぜナチスは全権掌握したか。2月1日の政府声明でヒトラーは一般的なことしか言わなかったが、7日の軍や高官向けの秘密演説で失業対策としての入植、徴兵制、州政府服従などの反民主主義政策を発表する。2月29日の国会議事堂炎上事件で緊急令をだし、基本的人権の廃止・州政府介入・非常事態の執行権を首相と内相に集中などを発表。別の大統領令で表現の自由を制限。3月の総選挙で大勝。3月23日に全権委任法を成立。1934年8月2日にヒンデンブルグ大統領が死去すると、ヒトラーは総統に就任し、独裁制・全体主義国家が成立する。ヒトラーとナチ政権がやったことは、ユダヤ人と共産党・社会民主党員の公職追放(ナチ党員が行政の責任者になる)、共産党・社会民主党員の逮捕と強制収容、政党と労働組合の解散。集会・デモなどの反政府活動の弾圧。(以前麻生太郎元首相が「ナチスに学べ」と発言したが、それはこの一年半のできごとのことを指すのだろう)。
議会への不信と失業・インフレによる生活難などが極右の威勢のよい愛国言説に熱狂していた。それをあおったのはナチスのプロパガンダとメディアの翼賛。ヒトラーは「ドイツを取り戻せ」を繰り返し訴える。何からという対象は明らかにしない。それを埋めるのは熱狂する国民自身だから。ちなみに「国を取り戻せ」は安倍晋三、ドナルド・トランプなどのネオナチやレイシスト、全体主義運動リーダーの合言葉。
それだけでなく、カソリックとプロテスタントが支持を表明、知的エリートも支持する。ナチスに騙されたり手続きの不備があったりしたわけではない。国民的熱狂でナチスを大衆が支持したから、独裁が起きた。そのさいに効果的だったのは、突撃隊による路上の暴力。市民を委縮させる絶大な効果があった。
2021/02/25 エーリヒ・マティアス「なぜヒトラーを阻止できなかったか」(岩波現代選書) 1960年
ナチスが州政府を服従させることを目指したのは、ドイツが連邦国家で州政府による地方自治の権力が強いため。19世紀半ばまであった州単位の国家が統合してできたので、中央国家の権力には制限があった。教会の支持声明が大きな影響になったのは、ドイツ人は地域の教会組織の一員でもあったため。行政サービスの一部を教会が請け負ったり、社会保障の一部を担ったりしていたので、人々への政治的権威になっていた。ハイデガーなどの知的エリートの支持は大学の右翼化・翼賛につながる。
2022/03/29 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-2 2017年
2017/06/22 マルティン・ハイデッガー「形而上学入門」(平凡社ライブラリ)-2「シュピーゲル対談」 1935年
日本の軍国政治ができた過程とは異なるので、この辺りの事情は知っておきたい。単純に民主的な手続きでナチス政権が生まれたわけではない。
石田勇治「ヒトラーとナチ・ドイツ」(講談社現代新書)→ https://amzn.to/4jb4Syk
2025/05/23 石田勇治「ヒトラーとナチ・ドイツ」(講談社現代新書)-2 見かけだけの雇用促進と外交上の成果にドイツ国民は熱狂した。 2015年
2025/05/22 石田勇治「ヒトラーとナチ・ドイツ」(講談社現代新書)-3 ホロコーストはヒトラーとナチ・ドイツの手段ではなく、目的そのもの。 2015年 に続く