最初に読んだのは、小学4年生ころのカラー版名作全集「少年少女 世界の文学 1~30巻」学習研究社版。とても感動した。これは縮約で、印象深い話だけを編集したもの。なので、主人公エンリーコの日常生活や学校、大人たちのできごとはまったくでてこない。のちに全訳を読んだら、今度は白けた。なぜだろうという問いはずっと封印してきたが、電子書籍でかつて読んだ子供向け版を見つけて、いろいろ考えることができた。

背景を確認。アミーチスが「クオーレ」を発表したのは1888年。そのまえに、長年のイタリア統一運動が終わった後に書かれたということが大事。イタリアは中世ルネサンスから小領邦に分裂していた。フランス革命やナポレオンの影響はあっても統一はできず、北イタリアはメッテルニヒ体制のハプスブルク王国の占領地になっている。ヴェルディのオペラにあるようにナショナリズムが高揚し、ようやく独立と併合を1871年に果たす。とはいえ、帝国主義時代のヨーロッパの列強に伍するには国家の規模が小さく、工業化した北イタリアと農業の南イタリアの併合は国内の南北格差になっている。
この子供向けの縮約版には冒頭に「少年愛国小説」と但し書きがついている。イタリアでは国家の歴史と民族が統一感のない若い国家なので、国民意識は十分に根づいていない。そこで、作家は小説を使って、若い子供にナショナリズムを育てよう/植え付けようとしたわけだ。イノセントで真面目な子供が教育と自己規律の成果でナショナリストに育っていくように促すのだ。
(そういえば、「母を訪ねて三千里」も「クオレ」の中の一挿話だ。これは子どもが親を大事にするという家族観に基づくのだが、孤児の少年が放浪の末に自分を受け入れてくれる共同体=国家を発見するという物語でもあるな。)
ここで物語られる愛国の徳は、子どもの勤勉と大人の勤労、兵役義務の遂行、共同体への奉仕、親への忠、集団のための自己犠牲など。子どもが徹夜で親の仕事を手伝うとか、戦場で伝令にされた子供は銃撃を足を失っても任務をまっとうして勝利に貢献するとか、チンピラになったろくでなし少年が強盗から祖母を守るために進んで刺されるとか、沈没船で娘と乳児を救うために孤児の少年が救命ボートの席を譲るとかの話が並ぶ。主人公エンリーコのような小学校高学年は、正義と公正の理念を強くもっているので、上のような集団への帰属意識と貢献は強い影響になる。自己犠牲の英雄的行為は憧れになる。一方、国家の支援を期待するなというテキスト外のメッセージも強く刻み込まされる。自己責任、自己規律も愛国心の教えに組み込まれている。こういうプロパガンダのおかげで、軍国少年少女が誕生する所以。
戦前日本の少年少女小説も同じ徳を吹き込むものだった。小川未明、佐藤紅緑など。イタリアではキリスト教の神への信仰は前提なので、日本の天皇崇拝のような絶対的存在への帰依は現れない。代わりに、豊かで尊大なイギリスに対し、貧しいが謙虚で助け合いイタリアを打ち出すことで、民族と国家の優秀さを示すことは忘れない。
上のような物語に編集・再構成したのは、昭和40年代初頭の日本の出版社の側。戦前の愛国少年少女小説を読んだひとたち。このころの文部政策に便乗するかのよう、という妄想をしたくなる。沈没しつつある船の少年乗組員が自己犠牲になる話は、樺太からの引き上げ船に舞台を変えたのを読んだことがあった。
でも、戦前日本の少年少女小説と決定的に異なるのは、差別をするなと格差をなくせという主張があること。前者では、せっかく義援金をもらったが尊大なおとながヘイトスピーチするので義援金を投げ返す。後者では、失策で金を失った幼い子どもに小学校高学年の子供らが小銭や花をあげて救う(なぜか参加するのは女の子ばかり)。こういう話は日本の少年少女小説では書かれない。差別や格差の被害者はがまんして後で慰められるというのが定番。この二つの物語があるので、読むに堪えるものになっている。
日本の編集者による恣意的な選択があってイタリアの少年の日常生活や子どもの悩みが描かれているとしても、愛国プロパガンダ小説なので、原作の翻訳を読んでも失望するだけだろう。俺の中ではなかったことにしていいや。
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