odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

聖書「使徒のはたらき」(岩波文庫) ユダヤ人とローマ帝国から迫害を受けて、キリスト教は民族や人種に関係ない世界宗教になっていく。

 福音書のあとは「使徒行伝」とパウロ書簡と黙示録を高速音読した。

使徒行伝はルカ伝の続きとのこと。前半はイエスの弟子であるペテロの話。エルサレムの教会から各地に普及していくさまが描かれる。後半はローマ人でありながらキリスト教に転向したパウロの話。パウロエルサレムの教会とは切れていて、独自の路線で伝承活動を続けていたようだ。エルサレムに根拠地をもたずに、ギリシャやローマに根拠地を作っていったよう。彼の活動ではギリシャ語を話すものが信者になっている。ペテロの時とは大きな違い。律法を遵守するという掟が次第に緩くなっている。
(イエスの死後、ローマはキリスト教徒を迫害。ユダヤ人はキリスト教徒を排除。ローマに対抗する抵抗=ユダヤ戦争が起きるが、敗北しエルサレム神殿は破壊される。パレスチナは親ローマのユダヤ人が統治。ローマ帝国ユダヤ教徒から弾圧されるキリスト教徒は別の場所で布教を始める。)

使徒行伝の後半やパウロ書簡では非ユダヤ人(主にギリシャ人)の信徒が増えていて、布教の対象を非ユダヤ人にしているように見える。そうするとユダヤ教の律法を守ることは重要ではなくなる(とくに割礼)。パウロも律法遵守は強制しない。そこはエルサレムの教会と対立したのだろう。

・さまざまな書簡の中でパウロが書いたとされたのは、「ローマの信徒への手紙」「コリントの信徒への手紙一」「コリントの信徒への手紙二」「ガラテヤの信徒への手紙」の4つ。これを「パウロ書簡」として音読した。

パウロ書簡は、福音書より前に書かれたキリスト教文書。ユダヤ戦争の前後かな。信徒であることが発覚すると、ユダヤ教徒にもローマ帝国からも迫害される。場合によっては殺される。ギリシャ語話者の信者は不安で、逼塞していたのだろう。彼等への励ましと異端思想への注意が書かれる。現状があまりに厳しいので、現生利益を訴えることはできず、未来かあの世の平安を約束するしかない。手紙なので宛先の信徒集団の〈現在〉の問題に対処する仕方を説明している。教会の普遍的な教えをこの文書に見るのはよくないだろう。また、パウロはイエスを知っている弟子たちとは疎遠。あったこともほとんどない。元はユダヤ人でキリスト教を迫害する側だった。それがあるとき「転向」する。以後、ユダヤ人社会やイエス弟子とは離れたところで布教活動を行う。ミソジニーが強い。女性の評価が低い。ここは受け入れがたい。

・非信徒は罪(神の掟:だいたい律法 に従っていないこと)があり、イエスを信じていないので神の国に入れない、その他さまざまな罪を持っているという脅しから布教に入る。罰せられないためにはイエスを信じ、布教者や教会に従えと命じる。教会>信徒というヒエラルキーを受け入れさせられる。イエスを信じることは自分が罪人であるという自覚を持つことで、いわば被害者ポジションにたつことになる。一方、非信徒に対しては優越者の立ち場にたつ。教会>信徒>「異邦人」という従属と支配のヒエラルキーの中間にいる。教会には服従、信徒間では慈善、「異邦人」には命令や強制。福音書使徒行伝、パウロ書簡からわかるキリスト教の構造はこういうもの。

・イエスを信じるのであれば、男や女、母語の違いなどは解消されて平等であるとされる(コリント人への手紙)。書かれていないのは、イエスを信じないのであればユダヤ人であっても平等の対象にはならないし、神の国にも入れないこと。教会>信徒>「異邦人」のヒエラルキーはこういう信仰の核心に現れている。あとユダヤ人が選民であるという考えはない。

・これらの文書の間でも、同じ文書の中でも、矛盾があるので(イエスの奇蹟をみたら他人に伝えよ/伝えるな、隣人を愛せ/家族に不和を持ち込め、神の国は近い/この世にはない、律法を守れ/守るな、など)、統一的な理解はまずできそうにない。神の国に入るための日常の過ごし方もよくわからない。家族を捨てればよいのか、資産を全部捨てればよいのか。律法を遵守すべきなのか律法にとらわれなくてよいのか。もともと統一的な理解ができないように、矛盾する内容を盛り込んだという解釈もあるくらい。

・「ヨハネ黙示録」は2~3世紀に流行ったとされる黙示録文学のひとつ。さまざまな終末イメージが展開される。でもどうやら旧約聖書に出典がありそう。たとえば「出エジプト記」冒頭のモーセとパロのやりとり。

・この時代はローマ帝国による迫害が最も厳しかったとき。捕まれば死刑。ときにローマ市民が見物にきたアリーナのショーで猛獣に殺されたりする。現実があまりに過酷なので、想像において迫害者に報復しようとした、と妄想。ローマの国教になるのは4~5世紀になってから。

 

 大貫隆「聖書の読み方」(岩波新書)を参考に、あまり構えず、細部に拘泥しないでわかりやすいところから読んでみたら、こうなった。
 以下の本を読んでから福音書使徒行伝を読んだのが、上の感想に影響しています。
2025/06/17 加藤隆「キリスト教の本質 「不在の神」はいかにして生まれたか」(NHK出版新書) 神なき領域で行われる宗教ビジネス。古代で有効だった二重構造は近代以降ではやっかいになった。 2023年
2025/06/20 加藤隆「『新約聖書』の誕生」(講談社学術文庫)-1 現状追認で保守化したユダヤ教の改革者がイエス。口承で布教したのでテキストをつくらない。 1999年
2025/06/19 加藤隆「『新約聖書』の誕生」(講談社学術文庫)-2 キリスト教の拡大は無秩序をもたらしたので、テキストを作り平準化を図る。統一的理解が困難な聖書の権威をささえるのは教会の権威。 1999年
2025/06/23 山形孝夫「聖書の起源」(ちくま学芸文庫) イエスはユダヤ教の禁忌を破って医療行為をするもの、なんだそう。 1976年

 

聖書「創世記」(岩波文庫) → https://amzn.to/4dwRlzv
聖書「ヨブ記」(口語訳1954年版)) → https://amzn.to/4dCwGtU
内村鑑三ヨブ記講演」(青空文庫) → https://www.aozora.gr.jp/cards/000034/card56908.html
聖書「福音書」(岩波文庫) → https://amzn.to/3FhWtef
聖書「使徒のはたらき」(岩波文庫) → https://amzn.to/3H94d2K