odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

聖書「創世記」(岩波文庫) あまり構えず、細部に拘泥しないでわかりやすいところから読んでみた。競合する神が多数あるので、〈主〉は妬み深く、生贄やお供えをたくさん要求する。

 一日十五分の高速音読を初めて2か月。新約聖書の読みたいところを読んだので、旧約聖書に挑戦。大部すぎるので、読むのは「創世記」「出エジプト記」「ヨブ書」「ヨナ書」にとどめる。

創世記: 加藤隆「一神教の誕生」講談社現代新書によると、ユダヤ教のテキストが作られるようになったのは、紀元前5世紀ころという。その説に従う。創世記は4つくらいの神話がパッチワークのように並べられているそう。創成神話も、男女がいっしょに作られたものと、男アダムが先に作られあばら骨からエバが作られたとする二種類がある。どっちも載せることで、複数の集団を満足させたのだろうな。

・旧約とされる神と人間の契約は、神から契約しようと人間にもちかける。それに人間は応じた。また神は時に人間の「義(神の前で正しい行いをすること)」を褒めて、報償を送る。現生利益になるようなことを起こす。神の国とか死後の生とかの約束はない。というかそれらのことを問題にしない。上掲書などにあるように、人間が神に義を示せば、報いを返すという関係なので、人間のほうが神をコントロールする。旧約の神は怒りっぽいし、他民族にたいしては無慈悲であるけど、ユダヤ民族のいいなりになるような「存在」で「観念」。そのうえ、契約した人に対し神は信仰を試そうとする。言いがかりみたいなことをいったり(アブラハムに息子イサクを生贄にしろ)、不条理な不幸を与えたり(ヨブ記)。神の全能をみるより、神の自信のなさや不安をみたくなるんだよね。
(それは創世記の時代にはユダヤ人には複数の神がいて、創世記に出てくる神は多数の神の中のひとつだったため。)

・創世記の後半は、家父長制の強さにひいてしまう。父は横暴で無茶ぶりばかり、息子は父に抵抗しない。しわ寄せは女に行き、婚姻のための贈り物になる。男どもは女をレイプし、兄弟たちは殺しあう。ひどいものだ。聖書に記載された家父長制はその後の教義にも、組織にも継承されている。
ケン・スミス「誰も教えてくれない聖書の読み方」(晶文社)
 創世記後半のヨセフの物語は、のちにトーマス・マンが「ヨゼフとその兄弟」に使ったそう。創世記の家父長制と兄弟不和の話は関心を持てなかったが、マンはよくもまあ大部の小説にしたものだ。この大作を読むと、トーマス・マンの小説をほぼ全部読んだことになるけど、今は手にする気持ちはない。

 

出エジプト記: 奴隷からの解放を求める運動が語られる。ユダヤの民はどこにも定住地を持てない。くわえてエジプト人からは奴隷扱いで、差別されている。仕事は農園の作業。すなわち、ユダヤ人は奴隷ではあるが、衣食住は安定していた。モーセが主に命じられて民族をシナイに行かせるというのは、荒地にいって牧畜民になれということ。安定を捨てリスクを取り、神に従う宗教生活を集団で行うというのだ。

・同時にユダヤ人は自分らの神といっしょにエジプト人の神を信仰していたのをやめさせられる。名を呼んではならない唯一の神だけを信じろと命じられる。かれらはエジプトを出ることで、生活と宗教を一変させることを覚悟することになる。(とはいえ出エジプト記にまとめられた伝承の中には、他の神も共存するものが入っていた模様。神にささげる祭壇などにケルビムの姿をつける。)

・エジプト王からすると安価な労働力が一気に消えることになるので、出ることを許さない。蜂起をしてもエジプト軍には勝てない。そこで神の力の出番になる。エジプト人は別の神を信仰しているので、言葉ではユダヤ人の神の力を信用しない。そこで奇蹟が現れることになる。エジプト王パロはこころをかたくなにして、前言を翻しては離脱を許さない。それは「主」がパロの心をかたくなにしたから。離脱を許さないごとに報復(この様々な災いはヨハネ黙示録の終末イメージに参照される)を行い、それは次第にエスカレートする。想像のうちの報復で人びとは喝さいを送ったのだろうか。

・「主」が祝福を与えるのはユダヤ人だけ。主への信仰を持っているかどうかの内面で選別されるのではなく、種々の律法を守っているかどうかが「ユダヤ人」かそうでないかを決める基準になっているみたい。ユダヤ人のなかにも窃盗や虚言などの人の掟を破るものはいるだろうけど、救済の対象になっているようだ。その前提にあるのは、奴隷制を認めているため。奴隷は所有物であって、売買対象。仮に事故で死なせたりしても物損事案として処理される。女性もたぶんにそう。古代の差別観をもとにしているので注意すること。
(主は妬みの神であるといっている。誰にねたんでいるかというと、他のエジプトの神。民衆がエジプトの神に祭祀を行うのがうっとうしくてならない。なのでさまざまな戒律を民衆に強制する。信仰しているかどうかをつねに試す。それに応えなければ飢餓や自然災害を起こす。民衆を殺すのも躊躇しない。)

・奇妙なのは、出エジプト記には日常生活における紛争や事故などを裁く際の法が書かれていること。前掲・加藤著によると、旧約聖書ユダヤ人を支配するペルシャ帝国に提出して承認された。そのさいに一字一句変更することが許されないものとされた。これはペルシャの支配がなくなっても、ユダヤ人社会では継承され、聖書とされたテキストは修正されないことになった。そのために古い法(上のように差別観があるもの)であっても遵守しなければならない。それが律法。社会が変わると、律法の解釈を変えることで対応してきた。東アジア人からするととても奇妙。法と宗教は区別されていて、地上のできごとは地上の権力が裁くものだったから。ユダヤ教キリスト教イスラムは日常と宗教が一体化した社会を作ってきたが、起源はここにある。

モーセとアロンの話を現代風にアレンジしたのは、トーマス・マン「掟」1944とシェーンベルク歌劇「モーセとアロン」。

・後半は幡祭のための準備に関すること細かい指示。同じ記述が延々と続くのでへこたれた。共同体の富を祭祀名義で一部のものが独占するのはどうなのかしらと思ったり、偶像崇拝を禁止する割には金や宝石を集め派手な彩色とデザインの幕を求めるのはどうなのかしらとも思ったり。

 

 新旧の聖書を読んで嘆息するのは、紀元前の中東世界は今よりずっと多くの木が生えていただろうということ。森があって水が湧き、獣が住んでいた。それをレンガつくりや鋳鉄などのために伐採した。地中海性気候は少雨なので森は復活しなかった。今では砂漠や荒れ野。それは肥沃三角地帯でも中国でもヨーロッパでもそう。文明化や近代化は森を破壊してきた。人類がいる間はたぶん復活しない。

 

 大貫隆「聖書の読み方」(岩波新書)を参考に、あまり構えず、細部に拘泥しないでわかりやすいところから読んでみたら、こうなった。
 以下の本を読んでから創世記と出エジプト記を読んだので、上の感想に影響しています。
2025/06/17 加藤隆「キリスト教の本質 「不在の神」はいかにして生まれたか」(NHK出版新書) 神なき領域で行われる宗教ビジネス。古代で有効だった二重構造は近代以降ではやっかいになった。 2023年
2025/06/20 加藤隆「『新約聖書』の誕生」(講談社学術文庫)-1 現状追認で保守化したユダヤ教の改革者がイエス。口承で布教したのでテキストをつくらない。 1999年
2025/06/19 加藤隆「『新約聖書』の誕生」(講談社学術文庫)-2 キリスト教の拡大は無秩序をもたらしたので、テキストを作り平準化を図る。統一的理解が困難な聖書の権威をささえるのは教会の権威。 1999年
2025/06/23 山形孝夫「聖書の起源」(ちくま学芸文庫) イエスはユダヤ教の禁忌を破って医療行為をするもの、なんだそう。 1976年

 

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