2025/07/23 笠原潔「西洋音楽の諸問題」(放送大学教材)-1 ベートーヴェンの交響曲は性格交響曲。英雄のテーマを完結させるためにくどいほどに繰り返される。 の続き
ベートーヴェンの交響曲のことで熱くなりすぎたので、エントリーを分割することにする。

・このような読み方を次にマーラーに試みる。これはうまくいっていない。第3番交響曲を作曲した土地の自然描写としてではなく、ヨーロッパ思想にある能産的自然を描いたのだとする。マーラーが作曲時につけのちに廃棄した楽章のタイトルからの推測で、交響曲のストーリーを記述する。これがとてもつまらないのは(レコードやCDの解説に書いてあるあたりまえのことを複雑に書いているだけ)、マーラーの曲にも新しい人間に生まれ変わる、別の人間として蘇るというテーマがあるのにそれを採用しないこと。第1番から第4番までの角笛交響曲には葬送や踊りの音楽があり、歌詞には人間の死と蘇りの言葉が採用されているのだ。ベートーヴェンの英雄と同じように英雄の死と再生、人類の救済ないし超人への生まれ変わりのテーマがある。そういう音楽としてマーラーが30代に書いた音楽を読み取るほうが鑑賞に広がりがでてくる。新しい人間への生まれ変わり、別の人間への蘇りというのはヨーロッパ世紀末にさまざまなところにある思想や問題なのだ。それこそワーグナーやニーチェだったり、ヘッケルやマッハだったり、ダーウィンの進化論やマルクスの史的唯物論だったり。衒学的になりかねないけど深掘りすると世紀末思潮を捕える視点になると思う。
(マーラーの第三交響曲を、人が生まれ変わる、超人になるという見方で解説したのが片山杜秀。あるいは2022/4/2NHKFMで放送した「クラシックの迷宮 ▽春の“超人”音楽祭」。超人テーマで、Rシュトラウスの「ツァラトゥストラ」やリストの「交響詩「山の上で聞いたこと」が取り上げられ、後半には「ウルトラマン」「スーパーマン」のテーマが聞けるという楽しい回になってます。)
片山杜秀「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」(文春新書)
(俺は、マーラーの交響曲を次のように分類する。性格交響曲としての交響曲であるという見方から。
1.「英雄の死と再生」という物語を持つ性格交響曲(sinfonia caracteristica)の第1~3番と「さすらう若人の歌」、
2.パロディとアイロニーの4.5番と「亡き子を偲ぶ歌」、
3.第1次「神曲」三部作の第6~8番、
(大地の歌はオケ付き歌曲だけど、人間の生と死を描いた性格交響曲の一種とみる。ここには転生や生まれ変わるという視点はない)、
4.第2次「神曲」三部作の第9、10番、未着手の11番
柴田南雄「グスタフ・マーラー」(岩波新書)-2
金聖響「マーラーの交響曲」(講談社現代新書)
(交響曲は人生を象徴しているという見方はどこまで広げることができるだろう。古典派の交響曲はできそうだが(アーノンクールがやっている)、ベートーヴェンのあとのロマン派交響曲まで拡張できるか。ブラームスやブルックナーも人生の比喩にすることは可能かしら? 20世紀の交響曲はもう無理な気がする。この考えが普遍的であるなら、ショスタコーヴィチはどこかに書きつけているだろう。ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」中公文庫にはそれらしい記述はあるが、いまは偽書とみなされているからなあ。)
(これを逆にすると、19世紀半ばからは交響曲を純粋音楽とする見方ができて、今日にまで至る。たぶん最初はシューマンやハンスリック。そうすると、古典派からロマン派に代わる際に、大きな断絶が起きたと予想される。たぶんフランス革命とその後の大衆向けの音楽の流行。そこでチマローザやベートーヴェンやベルリオーズが音楽の様式を変えたのだが、かわりに古典派を支えた聴衆と学者が一斉にいなくなってしまったのだ。学校で教える内容も変わったのではないか、そんな妄想をする。もう一つの断絶はWW1。ここで交響曲はふるいものになり、作曲家が全力で取り組むものではなくなった。)
交響曲に関心をよせすぎた。他の指摘をメモ。
・バロックとロマン派の間で、記譜法や演奏慣習が大きく変わってしまった。なので、学校教育で習うロマン派以降のルールでバロック以前の楽譜を読んでもぎくしゃくしたり生気を失ったりする。オペラの演技もバロックとロマン派では異なる。ロマン派はリアリズムだが(とはいえヨーロッパの身振りや無意識的動作の社会的背景を知らないと噴飯物の演出になってしまう)、バロックは様式化された演技(ジェスチャーやサインなど)をしなければならない。様式を知らないと、おかしな演出になるし、視聴して意味が分からない。あとオペラでは歌っていない周囲の人たちの演技(リアクションなど)が大事。棒立ちで歌う歌手の周囲のキャラが歌詞にあわせた動き(リアクション)をすることで、リアリズムがでてくるため。
・西洋音楽に不慣れな人たちが演奏の様子を書いた図像を調査することは、音楽の受容を知るのに参考になる。たとえば、黒船来航から音楽学校ができるまでの日本。絵描きは音楽の素人なので、何に関心を向けたのかがわかるし、他の資料と突き合わせることで何が起きたかが詳しくわかる。でも事実と空想が混じるので、資料批判と他の資料の突合せが必須。
・本書の半分を使ってこの国の西洋音楽の受容の歴史をみる。たいていは堀内敬三「音楽五十年史 上下」(講談社学術文庫)のように明治(さかのぼってもせいぜい黒船から)から記述を始める。でもここではキリシタン時代(16世紀から17世紀前半)、江戸期、漂着民が経験した西洋、黒船から開港まで(1850-1870年)を取り上げる。面白い話題だが、資料の逐次解説という記述が続き、総括や結論がなく、世界史との関りが書かれないので、俺のような観念好きには読むのは苦痛。面白い話なので、別の本で勉強したい。
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