odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

フリードリヒ・ニーチェ「ワーグネルの場合」「ニーチェ對ワーグネル」(角川文庫)-1 20世紀以降のワーグナー論の基礎になった重要論文。

 ニーチェは学生時代からワーグナーの音楽を好んでいて、ニーチェ24歳の1868年に最初に会う。1876年の第1回バイロイト音楽祭で初演された「ニーベルンゲンの指輪」に失望。その後はワーグナーの批判にまわる。1883年にワーグナー死去。44歳の1888年に「ワーグネルの場合」「ニーチェ對ワーグネル」を書く。20代は心酔。30代で決別。40代で批判、という道行きになった。
 ワーグナー批判の根拠はニーチェキリスト教道徳批判にあるので、その説明は「この人を見よ」と「偶像の薄明」の感想を参照。それらを前提にしないと、この二本の論文(「ワーグネルの場合」「ニーチェ對ワーグネル」)はわかりにくい。あと、ワーグナーの作品は一通り聞いてなじんでおくことも必要(そうするとワグネリアンになってニーチェの批判に腹を立てるようになるかも)。俺の初読は30歳。まだ「トリスタン」と「パルジファル」くらいしか知らなかったので、よくわからなかった。それが2010年代のバイロイト音楽祭のほぼすべてのラジオ放送を録音するくらいになったので、今回はよくわかる。

  

 もともとオペラはギリシャ悲劇を再興する目的で作られたが、絶対王政期に王室の権威を高めるものになり、ブルジョア市民社会ではディレッタントブルジョアの趣味に迎合する音楽劇になった。その中にあってほぼ唯一ワーグナーの初期作品はもともとのギリシャ劇を現代化しているとニーチェはみなしたのである。でも新作「ニーベルンゲンの指輪」と「パルジファル」を見てニーチェは激怒し失望する。これは何というデカダンニーチェの言うデカダンは通常の意味と違うようなので注意:ニーチェ「偶像の薄明」のエントリーを参照)なのだと。まず音楽はリズム感が退化し行進できないし踊れない(踊るのは人間にしかできない重要な動作で身振り)。無限旋律は水に身を任せて、聴衆を漂わせるだけ。生を貧困化し、安息・静寂・陶酔・麻痺・混迷を与える。健康ではなく生命に乏しい最も孤独な音楽なのだ。舞台にいるのはヒステリー患者で、女性的なものに男が救済されるというテーマを繰り返すばかり。弱者と消耗者と大衆ばかりを女性的なもので引きつけ誘惑し、ワーグナーは支配者になろうとする。芸術が俳優的になる大げさな身振りで、救われたような気分を与える。劇場というシステムはキリスト教道徳に忠実な観客に仕立て上げる。すなわち、忍耐・服従・忠実・ディレッタンティズムがもっとも大事な徳とされるのだ。ワーグナーは革命を求めるが、実は観客を支配し服従させることを目指しているのだ。これこそ音楽のデカダンスにほかならない。
 以上のワーグナー批判は大きな影響を後世に与えた。アドルノワーグナー批判もこの線に沿ったもの(「音楽社会学序説」や「啓蒙の弁証法」など)。 トーマス・マン「リヒャルト・ワーグナーの苦悩と偉大」(岩波文庫)ニーチェの指摘と重なるところが多い。岡田暁生「オペラの運命」(中公新書)の記述もそう。俺のまとめを再掲。

ワーグナーも面白い。絶対王政時代にオペラは王の権力の誇示に寄与するものであったが、ワーグナーは自身を「オペラの王」であると演出した。自身を誇示するだけでなく、作品の崇拝を求め芸術に格上げさせた。そこから、総合芸術は、1.哲学や宗教に匹敵する深遠さをもつ、2.作品を記念碑として保存する、3.絶えざる伝統批判と実験、であり、作品や演出を鑑賞するものとした(古典芸能化)。

 

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 さらにはドイツの映画監督ハンス・ユルゲン・ジーバーベルクが1982年に作った「パルジファル」もニーチェを参照しているのだろう。ワーグナーデスマスクの上で演じられたり、ワーグナーが俳優のような衣装を着た人形がそこかしこに置かれているところ。ギリシャから近世ドイツまでの文化財が引用されているところ。パルジファルが男女二人で演じられ、女性的なものに男が救済されるという解釈をするところなど。

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 別の方向のワーグナー批判としては、彼の反ユダヤ主義を問題にする。

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 それよりなにより、戦後バイロイトワーグナーナチスとの関係を反省し、清算するべく試行錯誤している。

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 それくらいにニーチェワーグナー批判は一般的になり、ほぼ共有されている。俺が特に付け加えることもない。ナチス以降にワグネリアンであるとするなら、ニーチェの批判を飲み込んで、そのうえで「なおワーグナーを選ぶ」理由を持っていないといけないだろうな。俺はワーグナーのいくつかの楽劇が好きだが、手放しの賛辞を送るわけにはいかない。歯切れの悪い称賛をいうしかない。

 このような生が貧困化したワーグナーの音楽に対して、ニーチェが健康な音楽と推奨するのが、ビゼーの歌劇「カルメン」。アフリカ的な晴れやかさがあり、南方的なので。
ニーチェワーグナーのような北方的音楽とビゼーのような南方的音楽の概念をさらに展開しなかったのは残念。でも20世紀後半以降はこのアイデアオリエンタリズムと批判されそうだな)。
 とはいえ、男が女を支配したがり、意にそわない女を殺す「カルメン」のストーリーは21世紀には問題。ニーチェはそれを男性的と称賛しそうなので、注意しよう。
メリメ「カルメン」(岩波文庫

 

 なお、ニーチェは、フランスはもっとも洗練された文化の座というのだが、ビゼーを称賛する一方、ワーグナーの「パルジファル」に影響されたフランスのワグネリアンを揶揄する。普仏戦争1870年に負けたフランスではドイツに学ぼう運動があり、多くの作曲家がワグネリアンになってそれ風の作品を書いていた。シャブリエショーソンなど。訳注にないので、補完しましょう。フランスのワグネリアンの音楽(とくにオペラ)を聞くことはなかなか難しい。
 あとこの時代の西洋音楽は異国趣味が流行っていた(ドイツはワーグナーの影響でゲルマン神話趣味)。スペインやロシアやオリエントを模倣する音楽が流行っていた。ヴェルディの「ナブッコ」「アイーダ」とかサン・サーンスの「サムソンとデリラ」とかギルバート=オサリヴァンの「ミカド」など。ビゼーの「カルメン」はそのうちの最大のヒット作(のひとつ)だった。
 これを読むとニーチェドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」1902年をどう評価するだろうと想像すると楽しい(「春の祭典」をどう思ったとか、シェーンベルクの十二音技法をどう評価するだろうとかも)。あるいはピリオド奏法によるモンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」上演を見たらどう思うかと想像するのも。本書によるとニーチェは「パルジファル」の初演は見なかったようだが、タイトルロールを神学生にした読み替え演出を空想して楽しんでいたそう。シェロー演出以降ならバイロイトの映像を楽しめるのじゃないかな。
 また同時代のブラームスにも言及があって、彼の中心は憧憬(ノスタルジーなのだろうな)とのこと。これを読んで、俺もハタと膝を打った。ブラームスの若いときから晩年までの作品のいたるところに憧憬を聞くことができた。
 ニーチェは音楽評論家としては超一流。実際、CD一枚の作品をつくるくらいのディレッタントだった。

 

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2025/07/10 フリードリヒ・ニーチェ「ワーグネルの場合」「ニーチェ對ワーグネル」(角川文庫)-2 「パルジファル」は「愚かな形式に對し、最高度の、最も悪ふざけたパロディーの亂暴狼藉」のサテュロス劇、なんだって。 1888年に続く