40年ぶりにニーチェを再読して、大言壮語の割にたいしたことを言ってないな、時代の制約もあるが差別思想があって鵜呑みにするのは危険、という感想になった。たぶんニーチェの哲学の解説書を読んでも、「この人を見よ」の感想エントリーにまとめた以上の理解はないだろうし、むしろ上の感想を強化することになりかねない。それよりもニーチェが生きた時代を知ることのほうが大事。

下記にあるようにニーチェが生きたドイツは民主化されたイギリスやフランス、アメリカとは異なる。ドイツの特殊性を知らないとニーチェの批判がどこに向かっているかわからなくなる。ドイツの宗教と政治は
2022/03/30 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-1 2017年
2022/03/29 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-2 2017年
2015/12/10 ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-1
2015/12/11 ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-2
保坂俊司「国家と宗教」(光文社新書)-1
ドイツの近代人の徳目は小説で補完。
テオドール・シュトルム「みずうみ」(岩波文庫)
2012/02/03 ゲルハルト・ハウプトマン「沈鐘」(岩波文庫)
2023/05/25 トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」(筑摩書房) 1901年
ロマン主義は
2012/01/02 リヒャルト・ワーグナー「芸術と革命」(岩波文庫)
2011/04/19 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー「音と言葉」(新潮文庫)
2025/06/12 ライナー・マリア・リルケ「ロダン」(岩波文庫) ロダン作品の評価は凡庸だろうが、ロマン主義芸術観を知るのに便利な小著。 1903年
2023/03/17 樋口裕一「音楽で人は輝く」(集英社新書) 2011年
若者の動向は
2013/11/07 上山安敏「世紀末ドイツの若者」(講談社学術文庫)
19世紀末のトンデモ科学は、
2016/09/13 エルンスト・ヘッケル「生命の不可思議 上」(岩波文庫) 1904年
2016/09/12 エルンスト・ヘッケル「生命の不可思議 下」(岩波文庫) 1904年
などであたりをつけておいたほうが良い。これらを参照して、ニーチェの生きたドイツに近づこう。そうすると、ニーチェが批判しているのが具体的にみえてくる。
ニーチェはワーグナーらのロマン主義をやっつけるけど、彼自身もロマン主義で復古主義の考えをもっている。ドイツのロマン主義がゲルマンの古代や中世を愛顧したのに対し、古典文献学者のニーチェはローマの貴族主義社会を理想に見た(ギリシャを理想視しないのは、ソクラテスとプラトンの哲学がディオニソスをないがしろにしてデカダンをもたらした元凶だから。それに民主制もニーチェは嫌い)。それからすると、ゲルマン以降のヨーロッパの歴史は退廃と堕落にほかならない。ことに近代の民主主義と自由主義と労働者の権利獲得運動はデカダンの現れ。これらを排斥する生命への意志が必要。
〈参考〉
2024/5/6放送の100分de名著「魔の山」の回で「デカダンス」の説明をしていた。それをメモ。19世紀末は資本主義発達による工業化と都市化が進んだ時代。ドイツは植民地獲得に後れを取っていたので、西洋諸国に「追いつけ追い越せ」の帝国主義化を進めていた。そこでは国家の役に立つに人間であることが求められ、自由は規制されていた。このような帝国主義国家が要求する様々な価値観に背を向けることをデカダンスとしている。ドイツのデカダンスを小説にしたのがトーマス・マン。ことに「ベニスに死す」と「魔の山」(あと「ブッデンブローグ家の人々」もだな)、とのこと。
この説明をもとにすると、ニーチェの「デカダンス」は逆ですね。帝国主義国家が要請する国家に役に立つ人間像に忠実であること、国家を基礎づけるキリスト教道徳を遵守することが「デカダンス」であるようだ。ニーチェは、自由と民主主義を産み、一方で資本の増殖を進めて帝国主義国家をつくる近代システムそのものが批判の対象なのであり、その現れはみな「デカダンス」なのでしょう。言葉の意味が逆なので、注意しないといけない。
ニーチェはギリシャ悲劇を好んだが、それよりまえの神話が伝承されている時代のほうがよかったとみている。ことにディオニソス祭は生成そのものである生を讃歌する重要なイベントなのだ。これはギリシャ悲劇の時代までは残っていたが、ソクラテスとプラトンによって破壊されたとみる。というのはこの二人で確立した形而上学は自己原因があり、空虚な概念を原因そのものをしている。原因と結果を転倒し、未知のものを危険・不安・憂慮して既存のものに還元して安心・満足するのだ(ディオニソス祭は何が起こるか予測つかない一回限りの体験をもたらす)。こうして神や精神、意志といった空虚な概念をふりまわす。ことに神。神の命令は「すべし」「すべからず」「であるべき」と既知のものに服従させる。これこそ生命の本能に敵対するのだ。しかし人はソクラテスとプラトンを祭り上げてしまった。同じことはキリストにも言える(本書ではキリスト教批判はないので、サマリーから除く。たぶん趣旨はギリシャ哲学批判と同じ)。
一気に時代は飛んで近代ドイツ。ニーチェから見ると、ドイツはキリスト教道徳主義で人びとが委縮し退化している。というのは、ドイツは生活と宗教が一体化し、宗教的情熱が哲学・文化につぎ込まれたので、キリスト教道徳が貫徹しているのだ。労働や職業も世俗の栄達が宗教的に価値あることとされたので、精神が世俗化している。そうしたドイツ人のキリスト教道徳とは、勤勉・質素・抑制・禁欲・見栄・虚栄・強がり・我慢・義務・従順・辛苦・厳格・委縮・几帳面・享楽的・冷淡・肉体嫌悪・宿命論・目的論。
タイトルの「偶像」とは、それをあがめることで安心し疑問を持たずにすむ対象。当時も色々いたのだろうが、ここでは永遠に偶像に祭り上げられているキリスト教の神とソクラテス。西洋哲学では最重要の二人を批判するして、近代という迷妄とヨーロッパの誤謬の歴史から目をさまさせるのだ。そのために、上にあげたいっさいの価値を転倒する必要がある。ソクラテスとイエスの二人の偶像を徹底批判するのは、道徳の系譜をさかのぼるとこの二人に収斂するので源を断つことで近代ドイツの道徳と価値を廃棄することができるから。そういう目論見に足るニーチェは本書で価値の転倒に専念した。そのさきの見通しは、「この人を見よ」を参照しなければならない(たぶん本書と「この人を見よ」を読めば、ニーチェのアイデアはだいたい把握できるのではないかな。同じようなことを別の本で何度も書いているので、もっとも圧縮されたこの二冊で十分な気がする。俺はワーグナーに興味があるので「ワーグナーの場合」「ニーチェ対ワーグナー」も読むけど。ドイツロマン主義に関心のない人はすっ飛ばしてよいと思う)。
ニーチェはヨーロッパの批判者。その指摘は鋭く、古代にまでさかのぼって突き刺さる。とはいえ、その対象は生活と政治と宗教が一体化した宗教国家としてのドイツ。19世紀後半にはとりあえず政治の聖俗分離を実現したイギリスとフランスとアメリカには、ニーチェの批判は鈍る(かわりにマルクスとアドルノが批判したと思いなせえ)。宗教国家であるからニーチェの批判は遅れてきた近代国家で宗教国家でもあるロシアと日本(と20世紀に国民国家になったところ)にはあてはまりそう。日本人がニーチェ好きなのは、ドストエフスキー好きなのと軌を一にしていると思う。
でもツァラトゥストラの「超人思想」や生命そのものの生の哲学は俺は取らない。これをやるとそれこそヘッケルのようにオカルトにとりこまれそう。ニーチェの死後半世紀たってからの分子生物学革命以降の生物学の説明で十分です。「この人を見よ」の感想に書いたように、全体主義やファシズムに取り込まれかねない。マーラーやリヒャルト・シュトラウスのような同時代人の創作を考えるとき、ドスト氏の社会改革構想を考えるときに参照するくらいでいいや。
ニーチェも時代の子なのであって、当時の思想潮流や科学の影響を受けている。「反ダーウィン」という章では「ダーウィンは精神を忘れている」と批判するが、「生存競争」概念は正しく把握している。でも生命そのものを称賛するあまりに、犯罪者の存在を嫌悪する。その際に醜悪な面相の者は犯罪者になるという当時の骨相学や優生思想をそのまま受け入れる。同様に病人も女性も彼の「超人」思想からは対象外。これはニーチェの不本意や失策なのではなく、彼の思想の根幹にあること。彼の同時代のドイツの思想は、ミソジニーやさまざまな差別を持っていた。それをニーチェは批判しなかった。
今では受け入れがたいこと。ニーチェの考えはダメです。
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