odd_hatchの読書ノート

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原田光子「クララ・シューマン、真実なる女性」(古典教養文庫) ロベルトと結婚しブラームスと深い親交もった女性。家父長制に耐えた厳しい生涯。

 クララ・シューマン(1819~1896)は19世紀ドイツのピアニストで作曲家。それよりも作曲家ロベルト・シューマンと結婚したことで知られている。彼女の波乱の人生。


ライプツィヒの音楽教師で楽譜商の家に生まれる。出産後両親は離婚し、クララは父に育てられた。この父が絵にかいたような家父長制の男で気分が悪い。クララにピアノの早期教育を強制する。9歳ごろからクララを売り出すために、各地に演奏旅行に出かけた。ピアノだけでなく生活全般に口を出し、粗暴で冷酷で、服従を要求した。9歳の時にゲバントハウス(ライプツィヒにあるコンサートホール。現存)で演奏会をして、そのときに7歳上のロベルトと知り合う。

・ロベルトはロマン主義者そのもの。空想家で衝動的で神経質で、憂鬱症を持っていて、気まぐれで、訓練・練習を嫌う変わり者。ピアニストになろうとして独自の器具で練習したら右手の指が故障して実技は断念。作曲家になることを決意したが、形式感がとぼしく、大規模作品をつくれない。当時の趣味はマイヤベーアロッシーニだったが、ロベルトの趣味ではない。またリストやショパンのような新音楽が生まれつつあったが、ロベルトの趣味は彼等とはあわない。30歳になるまでは鳴かず飛ばずで人気がほとんどでない。

・一方クララはJ.S.バッハベートーヴェンなどの数世代前の古い形式感を持つ作品演奏を得意にしていた。10代の終わりころから作曲を行ったが、古い形式に基づくものだった(21世紀には演奏や録音が増え聞く機会が増えた)。新音楽には批判的。

・クララが20歳を過ぎると、ロベルトが求婚し、クララもその気になっている。この時期、ロベルトはピアノのソロ作品を多作した。しかしクララの父は結婚に反対し、無茶苦茶な条件をだしてロベルトに破棄をせまる。ときにクララの演奏会を妨害した。でも1840年に二人は結婚する。父とは疎遠になったようだ(よかった。毒親とは離れなければならない)。

・作曲家の夫と演奏家の妻。収入の少ない家では二人が活動することはできない。クララはすぐに出産して育児と家事をしなければならない。クララはキャリアをあきらめ、妻と母であることを選ぶ。とても有名な演奏家だったので、オファーがあり、ときには演奏会に出演した。

・1844年のロシア旅行でロベルトの精神病が一時的に悪化。1845年からドレスデンに住むが1848年にドレスデン蜂起が起こる。住むことをあきらめ1850年にロベルトがデュッセルドルフ管弦楽団に招かれたので転居する。ロベルトは指揮者向きではないので仕事はうまくいかない。精神病が悪化し、1853年にライン川に投身自殺未遂。その後病院に収容されて1856年に死去。

・このときクララは37歳。ロベルトの治療費、子供らの生活費を一人で背負うことになる。当時のことなので、女性は多産。7人の子供がいた。なかには病弱で長期間入院しなければならない子もいた。

・クララが選んだのは、演奏家としてヨーロッパツアーにでること。19世紀後半のピアノ演奏は、リストやタールベルクのように大会場で超絶技巧をひけらかすものと、ショパンのように少人数の前で小品をひくものとになっていた。クララはどちらにも属さずに、ドイツの古い形式感のある作品(主にはバッハとベートーヴェン)をこのんだ。彼女の弾く「皇帝」は人気曲目。「ハンマークラヴィーア」を人前で演奏したのはクララが最初。

・ロベルトの晩年のころからシューマン家に出入りするようになったのがブラームス。14歳年上のクララと気が合い、彼女が不在中に子どもたちの世話をしたりするようになった。20代のブラームスは熱烈な恋文を書いたりした。でも、クララは恋愛感情を持たないようにした(14歳の年齢差とブラームスの性格から見て、ブラームスの母になるかもしれないと危惧した)。ブラームスの性格は気難しく、自尊心が強く、毒舌を吐く。彼の音楽からはうかがえないような面倒な男だったようだ(かつ家父長制が強かったので、クララ以外の女性は蔑視するとか、他人のつらく当たるとかをしていたようだ。そのうえ独身のまま尊大な40歳を過ぎても、クララの家に出入りし時に宿泊したりした。面倒な男だねえ。約40年間の交友で二人が交わした手紙はなんと840通(全訳あり)。

・ここまでで興味深いのは、クララはヨーロッパの音楽家のとの付き合いがうまれていること。大家のマイヤベーアロッシーニとあったりする。ロベルトと近い年齢の新音楽家メンデルスゾーンショパン、リスト、ワーグナーが出入りする。年下のブラームスやヨアヒムも訪問してくる。バーデンバーデンに住んでいた時には、隣人にいたのはなんとロシアからきたツルゲーネフ(お前、フランスの女優を追っかけてたのじゃなかったのか!)。ここにはあげきれないたくさんの音楽家が彼女の知り合いになる。馬車や徒歩で移動しなければならないのに、彼等は足しげく移動し、「同士」を求め、作品批評をやり取りする。こういう緩い芸術共同体があったのだ。20世紀になると消えてしまった。

・50歳を過ぎるとクララは身体不調がでる。リューマチ、神経痛。痛み止めのモルヒネの処方があやまっていて中毒になる。70歳を過ぎると難聴。長女と次女の家族が近くにいて支えていた模様。

・この評伝に登場する男はどれもろくでもない。ロベルトやブラームスでさえ。ことにひどいのは父。こういう男の支配と依存のために、育児や家事を押し付けられるのが女だった。クララは自立できるスキルと教養をもっていた。それらを持たない中産階級から下のたいていの女は男に押しつぶされてしまったのだ。ドスト氏「罪と罰」のカチェリーナとか、ファーガス・ヒューム「二輪馬車の秘密」の強欲婆さんとか。クララにしても、20世紀的な自己実現からはほど遠く、もしかしたら作曲の大家になる道をふさがれてしまったのだ。評伝作者のいうように、主婦と芸術家を両立したとはとても思えない。

・この評伝は1941年にでた。作者原田光子は1909年生まれ。ピアノを学んでドイツ留学もした。38年ころに帰国して、著述を開始。本書の外、パデレフスキー伝、ショパン伝、リスト伝などをものした。1946年5月20日に36歳で死去。彼女からみると

「誠にクララ・シューマンこそは芸術と家庭生活を両立さすべく、才豊かに恵まれた女性に課せられた、困難なしかし光栄ある道を、ひたむきに実践した最初の女性でございました。」

となる。戦争中にはそういう評価になるだろう。でも21世紀には良妻賢母であったという評価はクララには不当だと思う。彼女が押し付けられたり、実現できなかったことをみよう。でいまでもクララと同じような状況が女性にあることにも目を向けよう。

・戦前戦中にでた本。びっくりするのは、戦前の西洋古典音楽受容はとてもしっかりしていること。そりゃおかしな主張やイデオロギーまみれなのもあるし、その後の研究進展でふるくなったものもあるし。多少時代の制約を考慮しても、今でも読めるものは多数あるもよう。レコードと文献が大量に入ってきたのを明治生まれの先人はいっしょうけんめい勉強していたのだ。なにしろ一度にバッハからストラヴィンスキーまで入ってきたのだから大変だ(入ってこなかった十二音音楽とソ連の音楽とバルトークは戦後の音楽家を震撼させることになった)。本書も優れた仕事のひとつ。ベートーヴェン伝みたいに天才や英雄概念をふりまわせないので、対象を客観視することができた。おかげで19世紀ドイツの音楽のありかたをうまくつかめたと思う。読んでよかった。

 

 本書には作品リストや解説がない。作品そのものへの言及もほとんどない。なので、彼らの音楽を聴く手引きにはならない。出版当時を思えば、洋書輸入が禁止されていて最新情報をえられなかった。クララに至っては楽譜の出版もなかったのではなかったかな。ある程度まとまってクララの作品を聞けるようになったのは21世紀以降。
 クララの作品は10代後半から20歳で結婚するまで。なので当時の音楽教育で教えられたことをなぞったものになる。古典的でサロン的で構成が整ったものが多い。

 ロベルトはそういうのが苦手。和声を整えたりソナタの形式に乗っ取って発展させる音楽は作れない。交響曲を作る際には様式に則っているようにしているけど、ロベルトくんらしいところはなかなかだせない。むしろファンタジーにして形式感を希薄にしたピアノ協奏曲のほうがよくできているし、人気が高い。本領はピアノソロ作品と歌曲。共通するのは、感興が長続きしなくて、すぐに別のところに行こうとするところ。小品を緩くつなげて統一感をだす。構成や形式よりも感情や感興を優先する。物語を想起するより、一行ごとに変転する詩のような音楽をつくる。
 こういうのがロベルトの特長かしら。でも俺はロベルトのピアノソロ作品を聞いていたら、狭い音域を行き来する旋律と暗い和声ですっかり閉塞感を感じてしまった。陰鬱な気分と感情の揺れ動きに堪えられなくなってしまった(なので直後にドビュッシーグラナドスを聞いてすっかり開放的な気分になったよ)。という経験をもつので、俺はロベルトの良い聞き手ではないです。

 

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