初読の一年後に再読。

テーマは「市民」。俺の理解では「市民citzen」は参政権を持っている人のことをいう。20世紀になってから参政権は成人した男女が平等にもつものとされた。でも、19世紀では政治参加できるのは、男性で、一定以上の税金を納めている人。その条件はかなり高めに設定されている。フランスでは1848年革命で農民にも参政権が広がった(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」)が他の国ではそこまでには至っていない。つまり「市民」は金持ちか高級官僚か貴族くらいで人口の数パーセントにすぎない。
資本主義と産業革命で「市民」は金をもつ。ときに貴族の称号を買って王権政治に参加していく。宮廷でだけ聞かれていた音楽を自分のステータスシンボルとして聴きたいと思うようになった。それが18世紀半ば以降(ただしイギリスを除く。ここはいち早く国民国家が誕生していた)。その時代のトピックとしては
・ハイドンはドイツの国内でディレッタント向けに作曲していたときと、ロンドンで市民向けに作曲していた時で作風を変える。作品をよく知っていて微細な差異がわかる人には似ているが違う曲を作り、わかりやすくないと直ぐに飽きる人にはわかりやすい作品をつくる。
〈参考〉 19世紀のディレッタントは以下のリンクを参照。
2023/03/18 小宮正安「モーツァルトを『造った』男」(講談社現代新書) 2011年
・ベートーヴェンの特長は、わかりやすく、うるさく、新しい。これは新興の「市民」層向け。音楽の専門教育を受けていないので、こういう特長を持っていないと受けない。よく表れているのが交響曲。一方、ベートーヴェンはディレッタント向けの高尚な曲もつくっていた。ピアノソナタ、弦楽四重奏曲。ベートーヴェンは当時の音楽を支えていた人たちが求めていたものを提示した。また彼の勤勉は資本主義に生きる人間のモデルになる。勤勉や努力が成功と金儲けになるという。
〈参考〉 勤勉努力の資本主義モラルの実現者としてベートーヴェンをみる例。
2011/04/17 ロマン・ロラン「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)
2012/11/29 諸井三郎「ベートーベン」(新潮文庫)
革命と資本主義は都市をうるさくする。前者は人々が路上に出て大声を出して示威行動をしそれを規制する軍隊がでてくるためで、後者は工場の騒音と物流や市場の物音。市民は騒音に親しんでいるので、音楽も爆音化する(一方で、暇と金を持つディレッタントは静謐な音楽を好む。音楽の音量で二極化する)。
19世紀後半になると、資本主義と民主主義が国民国家の前提になる(というか三位一体になる)。分裂して統合していないドイツでは、この遅れを猛烈に意識する。その時に、ワーグナーは近代と土着が共存するナショナリズムを提示した。進んでいるイギリスとフランス(この時は覇権国ではないアメリカも)は近代だけ。土着にこだわらない。でも遅れた国にいて、自分はフランスで挫折したワーグナーは近代だけではドイツは英仏に統合されると恐れる。そこで彼は土着を国民統合のシンボルにする(それはキリスト教より前の歴史や神話が使われる)。ロマン主義は到達できないどこかに行くことを夢見たが、ワーグナーは到達できないどこかに理想郷をみた。ワーグナーがドイツのナショナリズムを作ったといわれるゆえん。
ワーグナーの理想をもってしても世紀末には人間の行く末はどん詰まりになったという気分になった。それを乗り越えるのは洗練と超人であるという思想になった。この時代の音楽(マーラーやリヒャルト・シュトラウスなど)は超人志向の音楽。(ブルックナーも彼らと同じように巨大な音楽を作ったが、超人志向はなくて、中世の教会音楽のような調和と法悦で永遠性を獲得する、静止する音楽を作ったのだろうな)。
その目論見はWW1で壊される。戦争が市民という統合した人格を持つ人間という観念を壊したから。人間は統合できなくて解体しているのである、国家や社会のような全体からすると部品であるという意識になる。人間は大衆とかモッブ(アーレント)とかダス・マン(ハイデガー)なのだ(すでに貴族や僧侶などから特権は奪われている)。それに呼応して、音楽も統合をめざさず、全体を描こうとするのを止める。過去のルールや規範に合わないものになる。シェーンベルク「月に憑かれたピエロ」、ストラビンスキー「春の祭典」。いずれも狂気をテーマにしている。
WW1を契機にして音楽はステータスシンボルや教養であることをやめ、受け取り手が政治参加する意識と矜持を持っている市民から無定見で根無し草の大衆に移り、鑑賞から消費になった。それに伴って音楽の内容が変わっていく。大衆向けとマニア向けとに分極していき、相互に交流するのがとても困難になる(なので、ベッカーや吉田秀和のように音楽に内在する論理や作曲家の意識変化で音楽が変わっていくとみるのは偏狭な見方)。
前回の読みとあまり変わらないな。この感想では、ワーグナー以降のナショナリズムに注目してみた。
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