ずっとフランス革命以後のことばかりを考えている。そうすると、フランス革命以後の変化が社会の前提になっているように思いこんでしまう。それ以前の西欧社会は別なのだ、革命以後の「19世紀」とは異なる社会なのだということを忘れている。そこで、ドイツ文学者による18世紀の素描を読む。文体からすると、少人数の聞き手に向けておしゃべりしたときの記録かしら(あとがきを読んだらそうでした)。講演会や大学の講義のような堅苦しさがなくて、親密な空気が漂う。かわりに話題はいろんなところに飛んでいく。
(前回の感想)

章ごとのまとめにはなりにくいので、テーマ別にメモを取る。
・モーツァルトの時代はナショナリズムの国民国家ができる前の最後の時代。啓蒙君主は制度を形式化・画一化しようとしたが(法、警察、官僚機構など)、まだ運営が緩やかな時代だった。複数言語を知っていれば、ヨーロッパのどこにでも行けた。戦争も傭兵の戦いだったので、庶民にはほぼ関係がない(食糧不足と物価高になるくらい)。敵国の一般人には敵意をもたない。
・とはいえ革命が近づくにつれ、国からの圧力が強まる。身分、規制、忠誠心など。モーツァルトらブルジョア層がフリーメーソンに入ったのは、国の規制を逃れ、国の外にある共同体で自由と平等と同胞愛を楽しむため(フリーメーソンが陰謀団扱いされたのは、近代になってから)。
・バロック(本書ではマリア・テレジアの時代)は号令と叫び、ロココ(本書ではヨーゼフ2世の時代)はささやきとおしゃべり。カフェができ、市民サロンに集まった(夏目漱石「文芸評論」を見ると、ロンドンはもっと早く18世紀初頭からカフェがあった)。
・モーツァルトがいたザルツブルクは大司教が領主であった町で、金があるので、イタリアに憧れていて、多民族多言語の街だった(ハプスブルク帝国全体がそう)。一方、狭く息苦しく整いすぎていて、市民の場がない。モーツァルト親子はそこから脱出したがった。
・ヨーゼフ2世は啓蒙君主。彼の出した宗教寛容令はカソリックの優遇撤廃と、ユダヤ教とプロテスタントの規制撤廃。カソリックのロビイ活動をなくすため(おかげでモーツァルト一家はザルツブルグで失業)。さまざまな「改革」を行ったが、慣れたやり方を捨てられない官僚や貴族の妨害で進まない。音楽と文化に関心があったのでモーツァルトは頼った。しかしヨーゼフ2世は1790年に死去。継いだレオポルド3世は音楽に関心がなく、音楽家を解雇したので、モーツァルトは失業状態になった。フランス革命とナポレオン戦争でヨーロッパはインフレになり、ハイドンは貯めた金の価値が5分の1になってしまった。
・18世紀の宮廷がヨーロッパ文化の原型になった。マナー、衣装、スタイル、行事など。「人生は楽しむもの」「快楽を追求するのは善」という文化だった。恋愛は手練手管の応酬。娯楽はびっくりさせること(その伝統はマーラーの千人の交響曲まであったはず)。性は曖昧(かつら、男装、女装、つけぼくろ)。均整・シンメトリーはうとまれ、いびつなものが好まれた。
・18世紀に散文ができて、多くの人が文章を書いた。とくに手紙で。退屈をおそれたのと、自分の感情を伝えるため(この時代の哲学が「感情」をとても重要視し、意義を認めていたのは、感情を表現する方法や文体がなかったせいなのだね。とはいえアダム・スミス「道徳感情論」、ロレンス・スターン「センチメンタル・ジャーニー」が出てくるゆえんはまだよくわからない)。
・18世紀半ばには郵便馬車網を整備した旅行網ができていたので、ヨーロッパ中を旅行できた。字を書ける人は手紙を書いたので、郵便事業は儲けがでた。なので国家事業にして君主の収入にした。モーツァルトも手紙を書いたが、人を集めて声を出して読むことを前提にしていた。そこで手紙に仕掛けを施して、朗読が劇になるような工夫を凝らした。カタログ(事物や言葉の羅列)、言葉遊び(音の連なりのリズム、楽しさ)、芝居台本のような文章など。
・モーツァルトは孤独を許さない。一方、ロマン派は自分と対話して他人はいらないし、ひとりで気が狂っていけばよいという考え。
・モーツァルトが35歳で死んだのは当時の代替平均寿命と同じ(1815年で男は35~40歳、女は40~45歳)。シューベルトの33歳は若干早い。ベートーヴェンの57歳はなかなかの長寿。「夭逝の天才」概念は平均寿命が延びた現代の評価になる。モーツァルトはこじんまりとした会場に向いた音楽を書いた。装飾音のつやが大事。一方、ロマン派は大会場で音がぼけるほうがよい。この違いを演奏で出さないといけない。
・晩年に窮迫したのは、貴族の家でのコンサートがなくなり、収入が減ったから。支出を抑える工夫ができない一家で、モーツァルトは着道楽で家具を大量に買っていた。
・モーツァルトの「レクイエム」は近年の研究によると、1771年にミヒャエル・ハイドンが作曲したレクイエムの影響をうけている(というか模倣した)とのこと。とくにKyrie冒頭部分。
ミヒャエル・ハイドン「レクイエム」1771年
・モーツァルトの埋葬は貧窮のゆえの悲惨とみなされるのであるが、実際はヨーゼフ2世の命令によるもの。家族親族は市内まで付き添い可能で墓地に行ってはならない。遺体は身分や階級に関係なく共同墓地に埋葬。これらは当時の普通であった。(逆に市民までの埋葬が儀式化し家族親族の集まりになったのは近代になってからなのだろう。)
・モーツァルトのオペラのキャラには社会的な性格や個性はない。単に一個の運動体みたいな人間で、機能や役割を持たされているだけ。(これは18世紀以前の小説の特長。ロビンソン・クルーソーもガリヴァーもトリストラム・シャンディも個性はもっていない。運動体としての人間である。個性や内面を発見するのは19世紀の近代文学ができてから。内面と行動が一致しないとか、矛盾をかかえているとかのキャラができてから、個性が発見されたのだろう。オペラではヴェルディやワーグナーになってからかな。)
モーツァルトのことはほとんどかかれない(再読して驚いたのは、モーツァルトはちびでデブだったのだって! 映画「アマデウス」のイメージで見てはいけないのだね)。それでも類書よりはるかにモーツァルトが生き生きとして現れてくるのは、彼の生きた時代をリアルにとらえることができるため。サマリーにはいれなかった小さなエピソードと、こうしてわかる当時の社会と政治を重ねることで、モーツァルトが四苦八苦しながら生活し、しかし鼻歌まじりに次々作曲していったのがわかるのだ。同時に、18世紀の他の文芸や芸術の理解になる情報にもなる。
18世紀のバロックとロココの時代はこうやって指南してくれる人がいないとわかりにくい。どうしても近代の価値と文化で見てしまって、大いに誤ってしまうのだ。時代考証がしっかりしているはずの映画「アマデウス」をみても、極東に住むわれわれはコスプレ時代劇にみてしまうのだし。そうならないようにするには、こういう指南書を読まないといけない。
というかフランス革命がいかにヨーロッパを変えたか、革命以後のヨーロッパの知識と思想でヨーロッパを知ろうとするのはなかなか大変。(ま、それは「明治維新」の前と後でいかに極東の列島が変わってしまい、維新前を知ることが困難になっていることとパラレルになっている。)
2021年にNHK第二ラジオで放送されたカルチャーラジオ 芸術その魅力「モーツァルトと18世紀」(小宮正安)は、本書の記述に沿ったものだった。音楽研究が小林秀雄のような印象批評から歴史研究や社会学の方法を取り入れたものに変わったのだね。