16世紀から18世紀の西洋の歴史は把握が難しい。たくさんの参考書があるなかで、成瀬治「近代ヨーロッパへの道」講談社学術文庫の整理はとても便利。すなわち、この時代の大きな出来事はふたつ。ひとつはヨーロッパの中で主権国家ができて、対立と協調のダイナミズムをもつ国際社会(範囲は限定的)ができたこと。もうひとつは新大陸の発見と植民地化で、ヨーロッパによる〈世界システム〉ができたこと。本書が扱うのは前者の国際社会の様子。通常はイギリスの議会と各国の宮廷の政治・外交関係でまとめられるのだが、そこに〈音楽家〉の存在を挿入する。すると、国際社会の外交と対立がよくわかる。それは西洋古典音楽の見方をかえるような視点を発見することになる。

そこで音楽家が登場する理由はふたつある。
ひとつはバロック時代の主権国家では、国家の威信や権威を発揚する際にさまざまな祝祭や儀式を必要としていた。王侯貴族は祝祭や儀式に参加する外交の際に、踊り・歌・器楽演奏を披露することは必定。鑑賞や知識を披露することも必須だった。企画する側からすると、国家や王家の存在意義を象徴するような音楽劇を作曲家に依頼した。これに応える作品を作り上げることが職人としての音楽家の腕の見せ所だった。こうした外交儀礼の現場には必ず音楽家がいて、本来職人階級で宮廷の出入りが制限されるような階級の出身であっても、音楽家は王侯貴族と直接話ができた。そんなことができる職業は他にない。身分制が人びとを縛る時代にあって、音楽家は階級の垣根を越えることができたのだった。
それ以外の音楽の現場でも、作曲したオペラが自分が応援する党の立場を補完するものであったり(ヘンデルやラモー)、カンタータの歌詞が国家の戦争の賛美であったりした(バッハの世俗カンタータ)。政治に関与する意図がなさそうに見えても、彼等は政治姿勢や政治的立場がおのずと作品に反映している。CDやラジオの解説には絶対に書かれていないような背景や人脈を「国際政治」からみいだすことができる。
もうひとつは交通手段が整備されていない時代に、旅をするのは巡礼者か放浪旅芸人くらい(と本書はあげるが放浪学生とか徒弟修業中の職人も)。でも、徒弟修業の若いころから音楽家は西洋中を移動していた。おかげで就職先や知友関係はとてもひろい。なので音楽家の事蹟を追いかけると、意外な王侯貴族とのつながりが見えてくる。
本書に出てくる音楽家には、フローベルガー、ステッファニ、ヘンデル、バッハ、ラモー、モーツァルト、ファリネッリ(カストラート歌手)など。彼らすべてが国際政治の舞台にでたわけではない。タイトルを主張できるほどの事例があるわけではない。ずいぶん大げさな題名だ。西洋古典音楽と西洋近世近代史に興味がある人には面白い話題がたくさんある。好事家向けの一冊。
〈参考エントリー〉
成瀬治「近代ヨーロッパへの道」(講談社学術文庫)
すこし時代を広げてみると、「音楽と国際政治」が直接かかわっていたのは、バロック時代に限ってのことだったのがわかる。それ以前の中世では音楽はとても規模が小さく、中世国家は音楽を政治に使うほどのレベルに達していなかった。フランス革命後の近代になると、議会政治と官僚制ができて、行事を議員と官僚の合議で行うようになる。音楽家は国家行事の一部分しか担当しなくなる。もっとも政治に肉薄できたのはワーグナーだろうが、彼にしても外交や内政に口をはさむことはできない。20世紀になると、音楽家は外交の道具になるか(フルトヴェングラーやカラヤン、ムラヴィンスキーら)、政治に翻弄されるか(バルトークやシェーンベルク、ショスタコーヴィチら)。
政治と芸術という問題設定をすると、「表現の自由」と国家の規制とか権威社会における芸術の翼賛などになってしまう。それは近代か20世紀以降の見方。時代を少しずらすと、政治と芸術が一体化したバロック時代があった。ロマン主義は芸術が社会問題を解決すると考える流派があったが、それはバロック時代の「政治と芸術」の幸福な結婚時代を想ってのことだったのだね。
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