片山杜秀「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」(文春新書)をものすごい勢いで再読した。
2025/07/25 片山杜秀「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」(文春新書)-2 参政権のある市民の社会から根無し草の大衆社会になると音楽も変わる。 2018年

その勢いで、岡田暁生「西洋音楽史」中公新書も再読した。片山のが奔放な語りによるMCだとすると、こちらは大学かラジオの教養講座。手元に放送大学の「西洋音楽の歴史」講座のテキストがあるが、岡田の本は大学の教科書の記述にとても近い。その点では、安心して読める。でも、素人である俺からすると不満なところがある。すなわち、記述が音楽のインサイダーのことばかり。音楽に影響を与える発注者や受け手の意向がほとんど無視されている。政治と経済と社会の変化がなおざりで、遠景で触れられるだけ。なので、音楽の変化が音楽のインサイダーによる自発的なものであり、技術の複雑さや洗練さばかりが取り上げられる。フランス革命や普仏戦争、WW1は音楽の変化に大きな影響をもたらしたが、そのあたりの記述はない。18世紀のトルコ音楽の流行、19世紀の異国趣味、20世紀のロシア音楽の影響など非西洋とのかかわりもかかれない。産業革命による技術の革新や楽譜出版業の隆盛も無視される。こういう音楽以外のできごとがいかに音楽を変えたか、音楽の受け取り手を変えたかというダイナミズムをみるのが「歴史」だと思うのだ。それがない。
一方、片山の本は音楽学の厳密さは欠けているだろうが、かわりに知識と知識の不思議な結びつき、音楽と社会の意外な結びつきが頻出する。片山の本を読んでいると、想像と妄想が膨らんでいく。
この違いをベートーヴェンの第9交響曲の解説でみよう。まず岡田の解説。
ベートーヴェンにおいては、終楽章もまた大きくその性格を変えることになる。(略)べートーヴェンの交響曲の終楽章は、(略)、ハッピーエンドというにはあまりにもエネルギッシュな疾風怒涛の突進となる。(123-124)
それに対して、《第九》における「すべての人々が参加できる祝典」は、ほとんどシュプレヒコールすれすれの単純化と集団化によって可能になったといえば、誇張が過ぎるだろうか。「音楽の万人への開放」という理念が本当に実現された時、それは「集団へ熱狂的に没入する快感」ともいうべきものと紙一重のものになったのである(P127-128)
上に書いた本書の特長がよく表れている。これだと、ベートーヴェンが孤独に悩んで万人や集団(これはとてもあいまいな指示語だ)を見出したように思える。
一方、岡田が「誇張が過ぎるだろうか」と慎重なものいいをしているところを、片山はもっと膨らませる。
楽章も複数でないと多元的にはなりません。市民社会へ発展するヨ-ロッパは、有機的に劇的に構成された多楽章の音楽を求めるのです。そこで交響曲は本当の大団円を最後の第四楽章とっておく。お預けの状態にしておくのです(P144-145)
あの「歓喜の歌」の合唱は、練習すれば、市民でも簡単に歌うことができます。それはベートーヴェンが意図的に、誰もが参加できるように作曲してあるのです。つまり、趣味のいいとされる、上級者向けの音楽を一生懸命聴かなくてもいいんだ(「このような音ではない!」)、市民みんなで歌える、そして歓喜を爆発させる音楽こそが大事なんだというのが、ベートーヴェンのメッセージなのです。/これは、これまで上流階級の文化こそ正しく、市民はその真似をしていればいいという価値基準の転倒、革命にほかなりません。市民の歓喜、市民の連帯こそが、新しい美の基準なのだ、という宣言なのです。(P160)
だいたい同じようなことをいっている(終楽章が大事、誰もが参加、歓喜の爆発)が、広がりが全く異なる。片山がそういうのはフランス革命によってフランスの音楽は装いを一変し、路上のデモンストレーションやページェントのためにわかりやすく、うるさく、新しい音楽が作られたという事実を踏まえているから。フランスの新思潮を知ったベートーヴェンは自作に反映したのだった(ベートーヴェンがフランスの傾向音楽を作っていたケルビーニを研究していたのはよく知られるが、岡田の本にはその点は触れられない)。
まとめとして岡田は
とする。片山は
ベートーヴェンの音楽は、市民層を上にも下にも広げていくものでした。つまり、自らの音楽を追求することと、近代市民という新しい聴衆のニーズに応えることとが完全に一致する。こんな作曲家はほかにはいません。だからベートーヴェンは偉大なのです(P161)
という。岡田の解釈は大学のレポートにすればいい点が取れそうだが、俺は教師がしかめ面をしそうな片山の解釈に魅かれる。
記述がロマン派や1900年をまたいだ時期の音楽になると、上の不満はなくなってくる。でも優秀な学生のレポートを読んでいる感じ。1900年をまたぐ時代の音楽は大オーケストラで大音響になるのだが、岡田は作曲家の意思や聴衆を驚かす仕掛けなどとみる。片山はさらに都市化と工業化で街はうるさくなった、それに呼応するように音楽もうるさくなったと指摘する。こういう一言であの時代がまるで見えるように聞こえるようになるのだが、岡田の文章には肉感性がないんだよなあ。個々の指摘はとても参考になるのに、読んで西洋音楽史を生きたようには感じないのだ。
もう少し踏み込んだ不満は前回の感想を参照。
2018/05/11 岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書) 2005年
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