odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ III」(集英社文庫)14.15 第3巻は夜の章。まだ生まれない子供が歴史を幻視させ、死者が蘇り地霊が舞い踊る。

2025/08/21 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)9-13 第2巻は昼の章。理性の光が注ぐ昼から陽が落ちるにつれて、差別があちこちで顔を出す。 1922年の続き

 

 第3巻は難物の「太陽神の牛」と「キルケ」。たいへんだぞ。サマリーは前回の感想を参照。
2023/10/16 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)13.14 1922年
2023/10/13 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ III」(集英社文庫)15 1922年

 第3巻にはいるとすでに夜。真っ暗になった町(街灯はあってもそれほど明るくはない)。いくつかの店の灯が漏れている程度。近寄らないと相手が誰だかわからない暗闇のダブリンを、スティーブンとブルームは放浪する。夜なので理性と論理は力を失う。そこで理性が押さえつけてきた地霊や死者たち、これから生まれてくるものたちがうごめき、つぶやきだす。それが「太陽神の牛」の章。アイルランドの土地に眠る地霊たちが出てきて、乱痴気騒ぎをするスティーブンらの若者に憑依して、その当時の使った言葉で語りだす。若者の乱痴気騒ぎは2時間程度であったが、その時間の間にアイルランドの1500年ほどの歴史が反復されるのだ(実際はイギリスの言葉なので、アイルランドからすると支配者たちのことばで抑圧された歴史の反復なのかも)。
 こういう歴史的な反復と同時に、人間の性も反復される。翻訳の冒頭100ページほどはジョイスによると人間の妊娠期間なんだそう。前の章の「ナウシカア」でブルームは射精したのだが、それは空想のうちに受精されミセス・ピュアファイの中で身籠って、出産に至る。その過程を地霊が憑依したスティーブンらが過去の言葉で説明描写するわけだ。
 地霊たちの語りが書かれた時期の現代(1914-1922)になると、地霊は姿を現す。それが「キルケ」の章。場所はダブリンの「夜の街」。ソドムとゴモラのごとき悪徳の歓楽街であれば、地霊も現れやすいだろうし、死者も蘇る。生者たちもこの宴に参加する。奇矯に着飾った娼婦たち、夜の街をウロチョロするフリークスたち、夢と現の境がない酔っ払いたち、制服の兵隊たち。昼の世界では隠れている者たちが跋扈する。まるで現在の地獄。陽の光はとうに失せ、亡霊や地霊の力は強く、天はかき曇り、稲妻が鳴る中、強い雨が降るのである。
 そこに迷い込んだブルームは彼らにあてられ幻覚を見る(彼は好色ではあるが、性交する気はないので、この街では無用な人)。彼のオブセッション、劣等感を解放することになった。父が亡霊になってブルームを弾劾し(スティーブンが前の巻で「ハムレット」論を講じたのもここに反映しているのだろう)、ラブレターを書くようになった娘が娼婦になっているのに驚愕し、女装している自分を見たりする。ユダヤ人として差別されている自分が市長や司教になって権力をふるっているのを妄想したりする。第1巻と第2巻の昼では、凡庸なひとであるかのようなブルームにも、とても深い感情と思索があるのを発見することになるのだ。あいにくそれに気づくのは読者だけ、キャラの住む物理現実では彼は抑圧され続ける。厳しく寂しい認識。
 ソドムとゴモラの街に繰り出したスティーブンにも亡霊が現れる。母が現れて、あの世に来るよう母性で誘惑する。母の死に際して母の希望を無視したスティーブンは強い悔恨と自己嫌悪を持っていて、母の誘惑を断ち切ろうとする。彼の迷妄を覚ますのは暴力。
 暴力はただちに波及していき、背徳の都であるダブリンに地獄の業火が押し寄せる。炎と熱が世界を焼き、地霊たちを地下に戻すことになる。前の章が生まれる前の記憶をたどる話で、この章は死ぬ時と死んだ後の記憶を幻視する話。この巻の二つの章は人生の前後をみることなのだ。
 なので記述は仕掛けの多い凝ったものになった。とりあえず焦点が当たっているブルームとスティーブンはまともな(この世にいる人間らしい)ふるまいをするが、後景にいるモッブキャラはスラップスティック・コメディを演じているよう。酒を飲み、高歌放吟し、コスプレをし、走り回り、おどけ、ものを破壊し、他人を笑う(もっとあるけど並べあげる根気がない)。前回の読書では、「キルケ」の章を無声時代の恐怖映画と思ったが、今回はアクションコメディ映画で前衛映画のように思った。恐怖とコメディは両立するものだから、俺の見立ては変節ではないはず。訳注を見ないで読んだが、この巻の二つの章では、一文ごとに出典があり、古今東西の引用からできていて、表層とは異なる意味が隠されていると思うと、空恐ろしくなる。全部のリンクを解読しようとおもうと、いったいどれだけのことを調べないといけないのだろう。
(「キルケ」の章には、犬がたくさん登場する。種類だけあげると、レトリーバー、テリア、ユスティフ、スパニエル、ブルドッグ、グレーハウンド、ビーグル、ダックスフント、ブラットハウンド。彼らは主にブルームにまとわりつく。このなかに、たぶん「12.キュクロプス」の語り手がいるはず。柳瀬尚紀は「ジェイムズ・ジョイスの謎を解く」岩波新書でテリアだと断定したのだっけ。)

 

 

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2025/08/19 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ VI」(集英社文庫)16-18 第4巻は深夜の章。ブルームのテキストは虚無の●で終わり、モリーのテキストは肯定のYesで次に続く。 1922年に続く