odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

長谷川岳男「スパルタ 古代ギリシアの神話と実像」(文春新書) 自己を律する厳しい社会は伝聞と伝説が先行するイメージができているので実像はわかりにくい。

 アテナイに住む市民は大量のテキストを残した。スパルタはテキストを書くことに価値を見出さなかったので、ほとんど資料は残っていない。そのために周辺のポリスやローマなどで書かれたもので推測するしかない。一方で、スパルタの体制は近世になってから理想とみなされるようになってきた。この国では「スパルタ教育」なる言説も出回っている。スパルタの周りにはさまざまな伝説がつっついているので、偏見なしに見るのはむずかしい。2000年ころからポリス研究が一新された。古代ギリシャ時代からヘレニズム期にかけては、ポリスは1000以上もあった。ということはポリスには共通することがあるので、アテネを基準に考えるのも、スパルタをユニークとみるのもよろしくない。俺もアテネの本ばかり読んできたので、2024年に出た本書を読む。手軽に入手できるスパルタ本はたぶんこれ一冊。アテネの本はけっこうあるのにね。


 スパルタの社会の特長は、教育を公に行うこと(アテネは私でやる。なので家庭教師を雇った)。7歳くらいになると、集団生活に入って規律と服従を徹底的に教えられる。読み書きなどは基本的なことくらいで(なので雄弁家は少ない)、身心鍛錬を行う。集団生活は30歳くらいまで続き、その後市民となるが、市民とみなされるにはどこかの共同食事会(20~30人くらい)に所属しないといけない。どこにも所属できないと市民とみなされない。共同食事会は各人の持ち寄りでとても質素。それが60歳まで続く。男は基本的に家に帰らないので、夜人目を忍んで妻にあうことになる。富を誇示することは禁止される。鉄貨を使用していたので、他ポリスとは交易が行われない。なのでソフィストも行かない。経済成長はほとんどなかった。
 このような不思議な体制にしたのは、スパルタの市民は極めて少ない。大多数は奴隷であり、反乱が起きていた。それを抑えるために男市民はこのような仕組みにした。アテネの内政は不安定で内紛が起きやすく、しょっちゅう政治体制が代わっていたが、スパルタは200年もの安定を保つことができた。
 ただスパルタでは戦争にでると、勝って帰るか死ぬかなので(そのような掟と規律と同調圧力があった)、戦争が続くと市民が減る。他のポリスに比べると女に権利があって、夫の死後資産は妻のものになった。なのでこの体制になって数百年がたつと、女に資産が集中し、男の市民が激減するという事態になった。マケドニアの支配からローマ帝国の属領になるころには、上のような体制は消えた。
 スパルタの伝説が人口に膾炙するようになったのは、14世紀ルネサンス以降(プラトンほかのギリシャ語文献を読めるようになってから)。すでにプラトンアリストテレスも賞讃していたが、近世以降ではマキャベリ、トマス・モア、ルソーらが代表。19世紀にヨーロッパでナショナリズムが高揚するとさらに拡大し、20世紀のナチスプロパガンダに使用する。彼等は、混合政体で安定、愛国心高揚、貧富の差のなさ、軍事的強大さを強調した。ナチスではさらに優性思想と民族浄化を賞讃した。
 スパルタは他のポリスにない機能を持っていた。かわりにアテナイが持っている民主政の仕組みはなかった。スパルタの政体は安定していたが、アテナイには政治参加する自由(ここでは義務でもあった)があった。スパルタ人は自分の体制をテキストに残さなかったので、以上のように要約した内容は他の場所で書かれた文書に基づく。彼等の特異な行動(とくに戦場における)をみて憶測・類推したものが入っているらしい。子殺しのようなのは真偽が判定できない伝聞という。上のように伝聞・伝説に基づくイメージが先行しているので、スパルタの実情はわかりにくい。
 スパルタの歴史は割愛。アテネの歴史をスパルタ側から見ることになるので。本書では、ポリスは国家ではない。無政府社会とするのが妥当とのこと。国家とは何かを考える際に、国家とそうでないものの境界にポリスがあるみたい。ポリスを考えることによって国家とは何かの考えを深めるのによい。通常国家が持つ治安や裁判の機能を持っていないのが大きな理由。なんだけど、アナルコ・キャピタリズムではこれらがない国家を構想しているのだよなあ。そういうのも念頭に置こう。

 なお日本では体罰を許す「スパルタ教育」で知られているが、これは石原慎太郎の同名の本がでてから広まった。石原の本はスパルタへの言及はない。体罰OKなのは帝国陸海軍由来だろう。日本の「スパルタ教育」を賞讃する人(たとえば戸塚ヨットスクールを支持するような)は、体罰をする側に立ってしまいがち。実際のスパルタは教育する側も禁欲や節制を求められた。なにより進んで戦場にでて、先頭に立つことを覚悟する。厳しさはまず自分がおこなうもの。石原以下「スパルタ教育」を賞讃するのは意気地のないクズです。たとえば石原慎太郎は自分の子供に「スパルタ教育」をしていない。
 スパルタの社会は権威主義全体主義の親近性がある。実際のスパルタではそうではないのに、スパルタを称賛する政体は簡単に人々を抑圧する社会を作ってしまう。なので、ダメな政治思想や政治団体をスクリーニングするのに使えそう。

 

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