odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

ソポクレス「オイディプス王」(岩波文庫)-2 短気で短慮なオイディプスは「汝自身を知れ」から遠いところにいて、機会主義者のクレオンは神聖政治に居場所がない近代人。

 干支が一周してからの読み直し。この高名な戯曲のサマリーと前回の感想は以下。
ソポクレス「オイディプス王」(岩波文庫)

 今回はオイディプスの自己発見ではなく、彼のミスについて。冒頭で予言者はこの「事件」の真相を明らかにする。それをオイディプスは激しく否定する。自分こそが父殺しの犯人であり、近親相姦のタブーを破った人非人であることを認められなかったので。そこで予言者はオイディプスを思慮なきものという。実際にオイディプスはすぐに激高するし、神託から逃れるための方策も浅はかだった(父母の生地や居住地に行かないという決心だけで、人を殺してはならないを規範にしていない)。のちの「コロノスのオイディプス」で死期を悟ったらしいオイディプスは暗愚であるが、老年になってからそうなったのではなく、すでに若いときから短気で思慮が足りなかった。すなわちデルフォイの神託である「汝自身を知れ」から最も遠い遠いところにいたのだった。
 ソポクレスのテーバイ三部作(というのは俺の勝手な命名)すべてに登場するのはクレオンだけ(細かいことを言えば放浪するオイディプスに付き従う娘アンティゴネーもすべてに登場するが、第一作の「オイディプス王」ではセリフがない)。そうすると三部作全体の主人公はクレオンに他ならない。彼はとても割を食ったヒーロー。この作ではオイディプスに謀略の嫌疑をかけられる。それが誤解だったことがわかってもオイディプスクレオンに謝罪しない。クレオンは身内の不幸は身内だけが見聞きできればよいと住居を提供するといったにもかかわらず、オイディプスは拒絶する。真実が明らかになったとしてもオイディプスの自己処罰は厳しすぎるとして再度神託を聴くことを提案するが、ここでもオイディプスは拒絶する。常識人であるクレオンは世の穢れを背負ったオイディプスに虚仮にされているのだね。それはクレオンが都市や国家の道徳を規範としている機会主義者であるから。神託ですら時と場合に応じて使い分けることもする(これは「コロノスのオイディプス」や「アンティゴネー」で繰り返される)。もしかしたら神に挑戦しているのはクレオンのほうかもしれない。この凡庸な男こそ、神性政治を君主政にすり替える僭主なのかもしれない。それがあってか、機会主義者のクレオンは「アンティゴネー」で神託に逆らったために、神の怒りを買い、係累をなくすことになった。クレオンはオイディプスのような短慮ではない。現実的で功利的な計算ができる合理的な人間。そのような近代にいてもおかしくない人間は、神が政治を支配し人間の運命を決めている世界では居場所がなかった。三部作全体のヒーローはクレオンなのだろう。
 ちょっと読み取りがうまくいかなかったのは、最後のところ。テーバイを出るにあたって、オイディプスは子供たち(恐ろしいことに彼と彼女らにとってオイディプスは父であり同時に兄弟姉妹なのだ)の身の振りをクレオンにたくす。息子たち(ポリュネイケースとエテオクレス)は自立できるので気にするな(長じれば市民になって資産と権利をもてる)。娘たち(アンティゴネーとイスメーネー)の面倒を見てくれ、という。その直後に、オイディプスは「この子(娘ら)をわしから奪わないでくれ」という。すでに古代ギリシャにおいて、親の介護は女の役割になっていたのかと、あまり気分がよくならないところ。この依頼に、クレオンは「何もかも、思いどおりにしようとのぞんではならぬ」というから、のちの劇のようにアンティゴネーが付き従うことを許し、イスメーネーを自分の手元に置いたのだろう。クレオンが現実的な判断をできる証左。
(しかし最も割を食ってしまったのはアンティゴネー。男たちのわがままに振り回される女の一生だった。悲劇は彼女に起きたことだ。)
(以上2024/1/26)

 

〈追記2024/7/15〉
 吉田敦彦「オイディプスの謎」(講談社学術文庫)にびっくりしたので、河合祥一郎訳で「オイディプス王光文社古典新訳文庫を読んだ。これまで読んだ藤沢令夫訳(岩波文庫)と内山敬二郎訳(グーテンベルク21で復刊)はたぶん古代ギリシャ語を参照したと思うが、河合訳は20世紀半ばの英訳からの重訳。ギリシャ語原文もある対訳なので、適宜参照しているとのこと。

 過去訳との大きな違いは、説明をするようなところを削除しているので、文章の量が過去訳の半分くらいになっているところ。語彙も21世紀に合わせているので、正旋舞歌と対旋舞歌、コロスの合唱で多少は文語調になっていても、対話は読みやすい。読者に負担を書けるものではないので(いや古典は多少読者に負担をかけてもいいと思うが)、初読者にはいいでしょう。光文社古典新訳文庫の解説ではギリシャ悲劇の上演形式やアテネの民主制とのかかわりなどにはいっさい触れていないので、ここは不十分。
 解説では上記のようなことや吉田敦彦「オイディプスの謎」(講談社学術文庫)の指摘などはほぼスルーして、イオカステはいつ「真実」を知ったかを扱っている。従来説では2つ。ひとつは第2エピソードでオイディプスが自分の生い立ちを話したとき(780-790行)と、もうひとつは第3エピソードでコリントの使者がオイディプスがボリュポスの世子ではないと説明した時(1040行前後)。訳者は後者の説を採用。羊飼いから幼子のオイディプスを預かったという使者の話を聞いたときからとする。一方、俺なんかは前者の説にあるように、オイディプスが生い立ちを話すときに、イオカステが妙におびえるところが気になる。オイディプスは、ライオスが殺された時の状況をイオカステが説明する最中に「真実」に気づく。そして惑乱する。それを見ることでイオカステは「怖いけれど、何でもお答えします(河合祥一郎訳)」と答える。ここで疑惑が生まれてほぼ確信になるが、コリントの使者がボリュポス王が亡くなったと伝えたことで、「真実」がそうではないと必死にすがる。しかし直後に使者がオイディプス王はボリュポス王の子供ではないことを聞いて、絶望する。そういう心理過程があったとみたい(まあ現代的にいえば、二人の子のうち男が成人しているのだから、寝物語などでオイディプスの生い立ちは先に聞いているとは思うのだが。なので疑惑はかなり前からイオカステに芽生えていたのではないかなあ)。素人読みがいっても詮無いことだけど。

 

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