古代ギリシャの都市テーバイ。禍いが自らにあると知ったオイディプス王は目をつぶし町をでた(「オイディプス王」)。荒野を放浪して横死する(「コロノスのオイディプス」)。テーバイはオイディプスの息子エテオクレスが治めていたが、その兄エリュネイケスは他国人の支援を受けて攻めてきた。兄弟が刺し違えて侵略は失敗し戦争は終わった。王が不在になったので、あとにはオイディプスの妻イオカステの弟であるクレオンが立つことになった(以上前史)。

クレオンは僭主になろうとしたエリュネイケスの遺骸を弔わず放置するよう命じた。それは都市国家への反乱者をださないための見せしめである。しかしオイディプスの娘アンティゴネーは神の掟・自然の掟として、兄の遺骸は弔わなければならないと決意する。その姿は番人のみるところであり、捕えられたアンティゴネーは叔父クレオンの前で自分の正しさを主張する。しかしクレオンは市民と国家の掟にのっとり、地下に幽閉することに決する(事実上の死刑宣告)。この決定に異議を称えたのは、アンティゴネーの許嫁でクレオンの息子ハイモン。彼は神の掟を守れと父を弾劾する。さらに予言者テイレシアスも、テーバイの都市はオイディプスの穢れによって不浄になっている(遺骸を路上に放置しているため)、アンティゴネーへの裁きは神の掟に違反している、なぜならクレオンは無思慮であるからと弾劾する。使いがきて、悲劇を伝える。アンティゴネーが幽閉所で縊死し、それを見つけたハイモンは激情してクレオンに切りかかったのち自害。さらにクレオンの妻までも自殺してしまった。そこにおいてさしものクレオンも、自分の短慮のためにオイディプスと同じ穢れを持ってしまったと自覚し、自身を都市から追放することに決めたのである。
2400~2500年前のことはわからないことだらけであるが、ソポクレスが紀元前442年に上演したとされる。このあとに「オイディプス王」「コロノスのオイディプス王」が書かれたらしい。初期作品らしいが、十分に円熟した傑作。
通常は、「アンティゴネとクレオンの対立は、即ち「神の法」(ピュシス)と「人間の法」(ノモス)の対立である(wiki)」とされる。まだアリストテレスが「ニコマコス倫理学」を書く前(「アンティゴネー」のおよそ100年後)なので、正義や道徳の基準は神にある。それに則るのではあるが、都市国家ができて民主主義で運営しているとき、神とは別のルールも成立している。自分をどこの立場に置くかで、神と国家のルールのどちらを優先するかの分裂が起きてしまう。分裂状態にあるのがクレオン。彼は国家を守る、市民を守るという都市のルールを遵守することが最優先。彼は神よりも政治を優先した。そのせいか、クレオンは神によって罰せられることになる。神がクレオンを罰する理由は以下の通り。テイレシアースは「オイディプス王」に登場し、王に「真実」を告げた予言者。
テイレシアース「あんたは地上に止まるべき者(アンティゴネー)を地下に投げ入れ、無慚にも生ける魂を墓穴に住まわしめ、また地下の神々に属すべき死体を埋葬の礼に与らしめず、供え物もせず、すべて汚れたるままにこの世に留め置く。」(引用は内山敬二郎訳)
死体は地下の神々のものなのに、儀礼と一緒に送りだないから、地下の神々の怒りを買ってしまうのだ。神々の怒りは生者に向けられるので、死体の放置はいずれ災厄となって生者に還ってくる。その掟をクレオンは破ってもいるのだ。
このふたつのルールの対立や分裂で忘れられがちなのは、クレオンとアンティゴネーやハイモンなどの間には権力の不均衡があること。アンティゴネーやハイモンが神の掟を守れと力説しても、クレオンが自らを省みないのは、彼らに対してクレオンは権力者としてふるまっているから。それは政治的な権力だけではなく、女アンティゴネーに対しては男として、息子ハイモンに対しては父として権力をふるう。そのために、神の掟を守れという「正論」はクレオンに対する反逆とみなされるのだ。このような権力勾配を使いながら自覚できず、強者とふるまううちに「狂気」に陥る暴君になっているのだ。なので、クレオンはシェイクスピアの「リア王」に典型的な暴君の先駆者である。
(そうすると、運命や神託にもっとも翻弄されたのは、オイディプスでもクレオンでもなく、男のわがままで生じた苦労を一身に背負いついに首をくくることになったアンティゴネーではないか。父が兄でもあるという出生の異常さがあり、父が不始末の責任をとって盲目になった後の介護を一身で行う。男と女の権力勾配が彼女から平穏な人生を奪った。そのことに男たちは無知で無恥。やりきれないなあ。)
さて本書が出たのは紀元前442年とされる。この半世紀後の紀元前399年2月15日にアテネではソクラテスが死刑となった。ソクラテスは自分の言動が神の命令に基づくものであると主張した。しかし市民(納税と徴兵の義務を負う成人男性のみなので、近代の市民とは異なる)の法廷では都市と国家の法で裁いた。これはアンティゴネーへの処罰とは基準が変わったことを意味する。この間に、自然や神の掟と市民や国家の法の優先順位が逆転した。なにが転換点になったのか。ギリシャ思想や古代ギリシャ史の研究者が考えているのだろう。
(俺が妄想すれば、都市国家の連合が強力な〈帝国〉の圧力を受けて分裂し、戦争状態になったことだと思う。緊急時にサバイバルの要請があって、国家の権力が強くなり、神意よりも法が強くなったのだろう。)
(放送大学「舞台芸術の魅力」によると、ギリシャ演劇はポリスの民主主義が最盛期だったころに作られたという。そうすると、暴君としてのクレオンは民主主義の反面教師、民主主義の挑発者として作られたキャラなのかなあ。文庫の解説にはそういうことが書かれていないので、妄想するしかないけど。)
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