odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

アイスキュロス「縛られたプロメテウス」(KINDLE) 人間に勇気と火を送った英雄は神々による懲罰にも和解の説得にも屈しないで、自己犠牲を実行する。

 人間に火(ばかりか数、文字、占い、技術など多くのことを教えた)を与えたために、プロメテウスはゼウスの怒りを買い、遥かな山岳のステゥテイアの岩山に鎖でくくりつけられている。さまざまな苦難と痛撃で日々痛めつけられているが、プロメテウスは決してゼウスに屈しない。むしろゼウスを激しく非難する声を聞こうとする神々がいるのである。どうやら「プロメテウス」3部作の一つとみなされている(ギリシャ悲劇は通常三部作になっているらしいので)。しかしその他は失われ、全貌はわからない。


 さらに奇妙なのは、この悲劇がいつ書かれたのかも不明であること。本書(1941年初出、1979年再刊)では「嘆願の女たち(ヒケティデス)」BC463とオレステイア三部作BC458の間に上演されたと考えている。近年になると、むしろ晩年の作ではないか、あるいは死後に作られた別人の作ではないかという考えもある。ここでは本書の考えを踏まえるので、上記の諸作の間にいれることにする。これが別人の作とみなされる理由もよくわかる。邦訳であっても、それ以前の作とは文体が異なる(軽薄で薄っぺらい言葉の羅列になる)。キャラが神々ばかりである。俳優が二人では上演できないようなシーンがある。など。でもアイスキュロスの作とも思いたいのは、プロメテウスのセリフの中に「嘆願の女たち(ヒケティデス)」の話が出てきて、アイスキュロスの作品には書かれていない後日談があること。作者でないと知らない情報であるとみなせる。これらの疑義を解明するのは専門家にまかせよう。
 プロメテウスはヘパイストスの手によって岩山に鎖でくくりつけられている。彼は苦痛を受け続けることは運命であると受入れるが、同時に彼に罰を与えたゼウスを激しく非難する。いわくゼウスは天と地を勝手に支配する。傲慢であり他人の言うことを聞かない。いったい神々は暴虐で残酷。プロメテウスは死なないので、さまざまな罰(鳥に肝臓を喰われるなど)を受けても終わることはないし、谷底に身を投げても詮方ない。
 プロメテウスの苦難を知っている者たちは、彼を訪れてゼウスと和解するように説得する。やってくるのはオケアノスにイーオー(ゼウスの怒りにあい牛頭になった乙女)にヘルメス。プロメテウスの怒りは彼らの説得には全く応じることはない。というのは、彼の苦難が終わるのをすでに知っているから。それはゼウスが王座から転落するまでであり、自分の愚かな思慮で婚姻をし、ひどい目に合うから。ゼウスの祖父ウラノス、父クロノスがいずれも王座を子供によって追われたようにゼウスもそうなるのだ。プロメテウスを解放されるのは、イーオーの13代目の孫によって。途方もなく長い時間を待たなければならない。
 ヘルメスはゼウスの使いとしてきていて、プロメテウスが来るべきものを正確に予見する能力があるから、ゼウスの未来を知りたがった。当然プロメテウスはヘルメスの甘事に乗るわけはない。
 劇は雷光が閃いたのちプロメテウスが姿を消すところで終わる。観客としては、人間に上記の知恵と技術を教え、火と希望(さらに思慮と知性)を与えたプロメテウスの自己犠牲に感謝するのである。ゼウスの威光を疑うことはどうかと思いながらも、人間を人間たらしめ、人間として生き返らせるために自己犠牲をいとわないプロメテウスを英雄とみなすのだ。
(18から19世紀のヨーロッパの英雄は端的にプロメテウスのような存在であることだった。人類救済のために自己犠牲になるもの。それが英雄。だからベートーヴェンは「プロメテウスの創造物」という劇に音楽をつけたし、自己犠牲どころか皇帝に上り詰める野心を隠さないナポレオンを軽蔑するようになったのである。)

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