odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

アイスキュロス「嘆願の女たち(ヒケティデス)」(KINDLE) 亡命者・難民の庇護権は古代ギリシャですでに確立していた。ソロンの民主改革の成果。

 タイトルは「ヒケティデス」で、邦訳には「嘆願の女たち」「嘆願する女たち」「救いを求める女たち」など。アイスキュロスが若い時期に作ったものと考えられていたが、1953年に発見された写本によって「ヒケティデス」を含む三部作がBC463年の上演であろうということになった。この作はその年のディオニソス祭で優勝したが、同時期に優勝したソポクレスの作(行方不明)より劣るのではないかと言われたりしている。


 「救いを求める女たち」とは、エジプト先王ダナオスの50人の娘たちのこと。ダナオスの兄弟で現王アイギュプトスの50人の息子と結婚することになったが、娘たちが嫌ったのでギリシャアルゴスに逃げて来たのだった。ダナオスがアルゴスの王女と遠縁にあったので。ダナオス以外は女だけ。戦闘能力はないので、アルゴスへの亡命が断られれば、その場で死ぬか、追いかけているアイギュプトスとともにかえって望まぬ結婚を強いられるしかない。
 ダナオスらが嘆き、アルゴスの暮らしに馴染むための方法を伝授するところに、アルゴス王ペラズゴスがやってくる。ダナオスと娘ら(コロス)がかき口説き、説得しようとするのを聞き、ペラズゴスは王といえど一存で決するわけにはいかぬ、評議会に諮って衆議を取らねばならぬという。なんとなれば、亡命者や難民を受け入れることは彼らの祖国との戦争を覚悟しなけれなならない由々しき事態だから。少なくともその国の領有地及び周辺とは交易もたたれるであろう。ことは同情や憐憫だけで決めることではない。そしてペラズゴスはダナオスを伴い、評議会に向かう。
 評議会の出した結論がすばらしい。

アルゴスの者たちによってきっぱりと決議された。わしの老いの胸も若返るほどだったぞ。この決議を採択するのに満場一致、右手が宙に林立したからな。我々は自由民としてこの土地に住むことを許され、奴隷とされることも、人から犯されることもない。また土地の者にしろ、外来者にしろ、誰からも連れ去られることはない。もし暴力が用いられる場合には、ここの土地所有者で救援を拒む者は、その市民権を失い、かつ民衆によって追放に処せられる。」

 紀元前400年代においてすでに亡命者、難民に対する庇護権が確立していたのだ。その根拠になるのは、フランス革命の2000年以上前のことなので人権ではなく、「賓客加護の神(クセニオス)」の神託による。人権は人々の意志を確認しなおす作業が必須なので(民主主義のコスト)、この時代には神の意志で説明したほうが簡単だったのだろう。庇護権は古代ギリシャだけではなく、近世まではほとんどの民族、国などがもっていた共通の権利だった。でも近代になって国民国家ができ、国民意識ができると、庇護権はないがしろにされやすい。全体主義国家では庇護権を無効にして、民族差別によってつくった無国籍者を国から放逐した。それは世界戦争の原因のひとつになった。
 というわけで、政治学・政治哲学からするととても重要な課題が書かれている。読まれるべき悲劇。この悲劇の100年以上前のソロンの改革(移民奴隷制の廃止、評議会の設置など)がこの民主的な政策になっていたのだね。
 でも物語は単調。ダナオスとペラズゴスの会話も自分の役職や地位に縛られていて、形式ばったものになっている。かわりに娘たちのコロスが雄弁。全員で一つの歌をうたったり、いくつかの群にわかれて意見を戦わせたり。起きていることの傍観者なのではなく、まさに当事者であるので、そのセリフは切迫していることこのうえない。コロスの役割がのちのソポクレスのときとは違っている。

 

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