odd_hatchの読書ノート

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シャルル・バルバラ「赤い橋の殺人」(光文社古典新訳文庫)-2 気難しく激高しやすいクレマンは積極的無神論者で、過去を隠す。妻の死と自分に似ていない息子に耐えられない。

2025/10/27 シャルル・バルバラ「赤い橋の殺人」(光文社古典新訳文庫)-1 19世紀半ばのフランスの状況について 1855年の続き


 パリで気ままな「放浪芸術家(ボエーム)」生活をしている青年マックスは、最近成金として名をあげているクレマン氏の夫人ロザリーの音楽家庭教師になった。最初のうちはレッスンが順調にいったが、しばらくすると疲労困憊。マックスが教えるバイオリンは無理でも、ピアノならとティヤット夫人を付けた。ロザリーは彼女の顔を見るなり失神。夫のクレマンも動転する。ティヤット夫人には最近証券仲買人の夫に不幸があった。事業で失敗したという噂が流れているところに、夫は赤い橋から身投げして自殺してしまったのだ。100万フランの大金も行方不明になっている。
 クレマンはマックスが付き合うには面倒くさい人。積極的無神論者で、神はいないというだけではなく、他人の篤信を激しく罵倒するのだ。
 ロザリーは日々憔悴する。理由は不明。ことに堪えたようなのは夫婦の息子がクレマンに全く似ていないこと。ロザリーがいうにはティヤット氏にそっくりなのだ(20世紀以降のエンタメであれば、ティヤット氏と彼の部下であったロザリーの不倫を疑うのであるが、19世紀の本書ではそのような疑惑を誰ももたない。霊魂は不滅であって死んだ人間は生まれ変わるという当時の思潮で納得したと思う)。クレマンは気難しく、激高しやすく、他人を寄せ付けないが、ロザリーが危篤になっても変わらない。彼女は司祭を呼びたいのであるが、マックスが見つけて来た司祭が家にいるのを見つけて罵倒して追い出す。しばらくしてロザリーは死去。これがクレマンの強がりを打ち砕いた。息子もクレマンを憎み、虐げようとする。
 疲労困憊したクレマンはマックスを呼んで、長い告白をした。自殺を試みようとしたが果しえないので、精神の地獄にいることが耐えられなくなったのだ。告白のあと、クレマンはすべての財産を金に換えて失踪する。彼の行く末は……。
 19世紀の小説であっても技術は稚拙。積極的無神論者であるクレマンの言動は事細かに書くのに、それいがいはなおざり。経過の説明を省くので、ストーリーはぎこちない。主筋があきらかになるのは3章になってから。過去の因縁が先に説明されるので、謎解きの快感は訪れない。どれも当時の新聞小説のやり方を踏襲したもの。今日に読むには根気がいる。


 にもかかわらず、異様な迫力をもっているのだ。その思想的な解明は次のエントリーで行うことにする。ここではブッキッシュな話題。
 作者バルバラボードレールの知り合いで、ボードレールの翻訳で流行になっていたエドガー・A・ポーに興味をもっていた。というわけで、ストーリーのそこかしこにポーの姿が見える。病気と妄想で憔悴したロザリーと、彼女に無関心を装いながら恐怖をもっているクレマンの二人は「アッシャー家の崩壊」の兄妹を模している。危篤になったロザリーが下着姿にブラウスをつけて放心しながら歩いてくるのは「アッシャー家」のクライマックスそのまま。その後のクレマンが秘密にしておきたいことをしぇべらずにいられないのは「天邪鬼」。
 それよりも、本作はシェイクスピアマクベス」の本歌取り。貧窮と差別に苦痛している夫婦が「下剋上」を果たしたのであるが、その時の決断が現在の災いになって自分たちに降り注いだのであった。妻は錯乱し、夫は苦悩する。「マクベス」では夫婦は戦国時代の習いとして殺されてしまったが、近代の19世紀には肉体的な復讐は起こらない。精神の牢獄が永遠に続くようになる。近代のマクベスは死ぬまで、自分の罪と罰を考えどう償うかを模索しなければならない。

 

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2025/10/23 シャルル・バルバラ「赤い橋の殺人」(光文社古典新訳文庫)-3 無神論と「法に罰せられないのであれば、人間はすべてが許される」は19世紀フランスの流行思想。 1855年に続く